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斉藤さんが時の政府に話をつけ、資源を給付してくれた。木炭、玉鋼、砥石──四次元葛籠から取り出したそれらを刀の近くに配置し、じわじわと力を送り込む。全て混ざって、溶け合うように。治れ治れと念じつつ。
霊力任せな手入れは正規の治し方ではない。マニュアルにも書かれてあるが、刀剣男士の修繕は、「手入れ部屋」という特殊な部屋で式神を喚んで行うもの。けれど、差し迫った状況であり、私一人の力でも申し分なく治せるという斉藤さん(プラス上の方々)の判断によって、今回はこの方法で手入れすることになった。
「十月の時のようにはならないでしょう。あなたは必ず成し遂げます」
と、担当官の太鼓判付き。前回みたいに力を擦り切らせたり、昏倒したりはないだろうと言ってもらえ、安心である。しかし、例外的な手段であるため、不慮の事態が発生しないとも限らない。こんのすけも不在だ。よって、携帯はまだ通話中にしてあった。
淡く、仄白く、ぽうっと光る。目には見えない私の力か、はたまた刀や資源が応じているのか。薄明かりのような白光が段々と輝きに変わり、私は左右の手をかざし続けた。
治ってほしい。この子が元に戻るなら、私の力を要るだけあげる。だからお願い。神様、どうか……。
胸に十字を切るような思いで精一杯力を流せば、資源が光の粒子となった。細かなそれはぼろぼろの刀へ融和してゆく。きらきらとした光の筋。夏の夜空の天の川のようだった。
燦爛たる光輝が私の眼を白で塗りつぶす。光に覆い隠された刀はどうなっているのだろう。うまく手入れできているのか、錆や傷は治っているのか気が気でなかったが、私には力を注ぐことしかできなくて。
鬼胎と興奮が横溢する心の器。時間感覚がおかしくなり、一秒一秒が長くも短くも感じた。眩しくて目を閉じ、だけど刀が気になって、光に抗い瞼を開ける。視覚も馬鹿になってしまいそうだった。
しばらくすると、瞳への刺衝が和らいだ。光度が緩やかに下がっているらしい。
光のちらつく目をしばたかせ、私は「それ」を見た。刃毀れ一つない、銀灰に照る尖鋭な刀を。
「っ、わ」
風が吹いたのが先か、光彩が迸ったのが先か。
飄風に押され、膝立ちしていた私は尻もちをついた。臀部に鈍痛が響き、土間へ手をつき体を支える。風圧に転がされるかと思いきや、風も光も潮が引くように消えてしまった。「まっくろくろすけ」ならぬ「まっしろしろすけ」が逃げ去ったかのごとく。
収まったそばから一閃するなんて、もう、何がなんだか。さっきのは爆風? あの子はどうなった? 手入れは?
二つの瞳を正常にすべく、何度も瞼を開け閉めした。体勢をととのえながら刀へ視線をやれば、こんのすけの足拭きに置かれてあったはずの刀はそこにない。
その代わり、桃色の髪の男の子が仰向けに倒れていた。
羊のようにくるんとした巻き毛、子供特有のふくらみを残す血色の良い頬、すべすべの白い肌。ファンタジー映画に出てくる妖精そのものだ。衣服がビリビリなのが惜しい。
──……この子が。
鳩尾の裏で心臓が脈を打つ。鬼胎が期待に転じ、体内を躍る血のせいでのぼせてしまいそうだった。
この子が、あの刀の付喪神。前の審神者に消されていたはずの刀剣男士。水色の髪の神様の弟、小さな神様たちの兄弟。
息を押し殺して幼き風采を凝視する。原型を留めない程ばきばきに砕けた防具は朱色で、破れたシャツの間には臍が覗いていた。そしてその下、腰骨と腰骨を結ぶようにして据わる一振りの刀。
艶やかな黒い鞘、金の組糸の巻かれた柄、光沢のある鍔……これは私が池で見つけた物なのだろうか。本当に? 見違え過ぎて別の刀のようだ。
ぼうっと見惚れていると、刀がぴくりと揺れる。いや、揺れたのはその子の体だった。
意識を取り戻したのかも、目を覚ますのかも。
ゆっくり立って上がり框に駆け寄り、下目でそっと彼の顔を見る。桃色の睫毛がふるりと動いた。
「……ん」
呻く声は変声期前の男児のそれに近い。ぷっくりとした唇がきゅっとすぼんでいる。やがて眉に、目縁に皺が入り、神様はゆるゆると開眼した。その眼窩には桜と晴朗な青の合わさる虹彩が嵌っていて、私は昔どこかで見た景色を、澄んだ青空を桜の花が埋め尽くしている風景を思い起こす。
──そう、春の空だ。
「あれ……? 僕は……」
呂律怪しく舌を回した彼は、寝たままで腕を上げ、両手を握ったり開いたりする。眠たそうな、まだ夢路を旅しているような双眸がしぱしぱと瞬き、五指の動きを確かめていた。
その子の挙動に目が釘付けになる私。声は出ないし、下手すれば息も止めていたかもしれない。
ぼろの切れ端を着けた上体がのろりと起きる。腹から落ちそうになった刀を押さえ、彼は春空の瞳を徐ろにこちらへ向けた。土間で固まる私を振り仰ぎ、猫が驚くように眼を瞠るその子。ぽかんと開いた口が声を発したのは、少ししてのことだ。
「あなた、は?」
眼前の事象を放心して見つめていた私だったが、心底怪訝そうな彼の声で我に返る。
斬り掛かられないかな。結界を強化してなくてよかったかな。場所は考慮すべきだったかな。と、仕事を再開した脳がそんな物案じをしだした。捜索も手入れも血眼になっていたため、後先なんぞ考えてなかったのだ。
「や、あー……私は審神者、かな? 今年の三月からここに就職した新米で……えっと、は、初めまして」
どもって話せば、小さな神様はぽけっとした表情で左に首を傾ける。攻撃的ではなさそうだが、さて、これからどうしたものか──。
考えあぐね、自分を包む結界をさり気なく強化。一応、というか保険だ。
「……え? さに、わ……あの人は? 僕、なんで。ここは? みんなは……」
桜と空の眼をきょろきょろさせる彼は、固い顔つきでうわ言のように疑問符を出していた。あからさまに狼狽している。もしや、意識が戻ったばかりで記憶がごちゃ混ぜになっているのでは。
この子、池の底に沈んでいた間のことを覚えては──ああ、意識がなければ覚えるも忘れるもないか。詳細は不明だけれど、小さな神様が混乱しているには変わりない。そこで私は順を追って話をした。
ここは彼が顕現された本丸であり、他の本丸でも時の政府の施設でもないこと。彼は「先の審神者に消された」とされていたこと。ところが、消えも壊れもしておらず、ちょっと前まで池の中にいたこと。折れる直前で手入れができたこと。……前の審神者はもう居ないこと。
前任者の免職についてかなりびっくりしていたその子だったが、それ以上に仲間の安否を気遣っていて。
「あの、いち兄や僕の兄弟は……加州さんや大和守さん、長谷部さん、みんな……」
「あ、神様たち? 手入れしたから大丈夫だよ。いつだったかな。先月? みんな治ってピンピンしてる。君のお兄さんと兄弟もね」
いつも通りに喋れだす。どぎまぎしていた私も、説明しているうちに少しはまともになったみたい。この子があまりにも心細そうだったから、自然にしゃきっとしたのかも。「私がしっかりしないと」ってね。
「本当ですか!? はあ、良かった……」
怯えの失せた面持ちがくしゃりと歪んだ。
「ありがとうございます。……ありがとうございます」
一回、二回、と桃色の頭が上下する。
弱々しく震えた声。春色の瞳に涙を溜め、それでもうっすら微笑む彼のそれは、なんと綺麗な相貌か。
胸がきゅーっと締め付けられる。この子に漲る気持ちが伝わり、心がじんわり温かくなった。想いのこもった「ありがとう」が嬉しくて、嬉しくて、もう飛び跳ねてしまいたい。
十月某日にした付喪神の一斉手入れは悲惨だった。その後も散々だった。お礼なんて誰も言ってくれなかった。冷遇に次ぐ冷遇だった。だからか、彼らが治って良かったとは思えど、「自分が」治せて良かったと思ったことは一度もない。
だが、今初めて、本心から喜べた。
「私が治せて良かった」と。「私に治せて嬉しい」と。
刀剣男士の手入れは審神者の仕事の一つ。そう、「業務」なのだ。感謝されるためでも、優越感に浸るためでも、見返りを求めるためでもない。
だけど私は、この「ありがとう」にどうしようもなく満たされた。自分の勤めを初めて認められた気が、自分の思いが初めて通じた気がして。
「ううん、いいっていいって。良かったね、ほんと、良かったね」
嬉しい。嬉しい。でも、ちょっぴり照れ臭い。だらしなく頬が緩み、セーブできない喜びがダダ漏れになる。
「えへへ」
彼は笑顔を満開に咲かせ、人間である私へ贈ってくれた。人嫌いや人間不信を感じさせない、翳りのないものだった。そこはかとない朗らかさが眩しくて、わけもなくじーんとしてしまう。
……なあーんだ。斬り掛かられたらとか、凄まれたらとか、そんなの全然なかったじゃん。