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「痛いとこない? 体、ちゃんと動く? あっ服の替え出すね」
緊張が解けたせいか、親戚のおばさんさながらにその子の世話を焼き始める私。頭と心をふやけさせているのは、計り知れない歓喜である。頭の先から爪の先まで幸福感が充満していて、初陣で完全勝利を掴んだ時よりも深く、密な幸せだった。
「ちょっと待ってて」
ドタバタと、下半身ずぶ濡れなのもお構いなく離れに上がり、四次元葛籠を引っ張り出す。せっつかれてなどいないのに大股で、なおかつ急ぎ足。「ああしてあげなきゃ」「こうしてあげなきゃ」と、お節介が高じていた。
この子の服ー、この子の服ー……。
テレパシーを送るように思念で唱え、葛籠を開ける。逆さまにして軽く振れば、衣装や防具が折り重なって畳に落ちた。ぱさ、ぱさ、ずしん。ごろんと転がったのは朱い胴鎧だ。
「はい、どうぞ。おろしたて。嫌じゃなかったらお着替えどう? 他のみんなも新しいの着てるよ」
「え、あの」
「あっ、ここでは着替えにくいかな? 見られてるとヤだよねー。あっちで着替える? 後ろ向いとこうか? あっ! 先にお兄さんと弟さんのとこに行く? 早く会いたいよね。じゃあやっぱり着替えは御殿でする方がいいかな? 私はどっちでもいいけど……これ、お屋敷まで持っていける? けっこう重いよ」
脳に浮かぶ文字がポンポン出てくる。どれも未加工。独語に近い箇所もあった。上がり框で正座をしている小さな神様は、口をぱくぱく、目玉をうろうろ──慌ただしげな私の喋りについて来れていないようだ。
「あ、あの……」
私と服とを往復する視線。その子の戸惑いが春色の双眸に表れていた。
「あー……ごめん」
弾みに弾んでいた気持ちが二回りくらい萎む。しまった。有頂天になってたせいで、すんごくがっついちゃった。……これは失敗したかなあ。ドン引きされてないといいんだけど。
グイグイいってしまった自分を内省しつつ、再びその子に話しかける。今度は一方的にならないよう留意し、きちんと相談した。結果、更衣は御殿ですることに。桃色の髪の彼は「みんなに会いたいです」と、いの一番に言ったのだ。
「持てる?」
「はい。大丈夫です」
「神」といえど、体は子供。腕は華奢で、筋肉の隆起もない。外見だけで決めつけてはいけないのだろうが、重い防具を運べるかどうか心許なかった。けれど、やきもきしている私をよそに、その子はひょいっと拾い上げてしまう。手助けはいらないらしい。
「小さいのにすごいね。力持ちなんだね」
そう褒めると、薔薇色のほっぺに赤みが広がった。はにかみ笑いの可愛いこと可愛いこと。見ているこちらまでにこにこしたくなる。
朱い胴鎧の内側に新品のシャツやズボンなどを入れ、戸口へと立つ幼気な刀剣男士。私も彼を送り出すべく土間へ下りた。冷たいし土が付くし、水で太ったぐしょぐしょの靴下は不快でしかない。が、どうせ今だけだ。この子があちらに戻ったら作務衣も靴下も洗おう。池に浸かってなんだか臭いので、お風呂にもいきたい。
「脱いだ服は……んー、そのうち取りに行くね。捨てていいなら」
「分かりました。何から何までありがとうございます」
穏やかにお辞儀をし、彼は開けっ放しにしていた引き戸の彼方へ目をやった。
「うわあ……」
感嘆したような声が漏れる。吹き込んできたそよ風が桃色の巻き毛を揺らして、私の肌を掠めていった。鼻先をくすぐったのは、秋と冬の混ざった匂い。
「──ここ、本当に僕が居た本丸なんですか?」
「そうだよ。だいぶ綺麗になったでしょ? 前は荒れてたもんねえ。草は生えてないし、空は赤黒いし、空気もヤバかったし」
外の世界を一望したまま尋ねてきたその子の隣に並び、共に庭を眺めてみる。私がここへ降り立った日が、遥か昔のことのように思えた。
「でも、『穢れ』をなんとかしたらこうなった。浄化って便利だね」
「そうなんですか。浄化は、あなたが?」
「うん」
頷いてみせれば、桃色の髪の神様は顔を輝かせて私を見上げてくる。
「わあ、すごいですね!」
素直なのか、無邪気なのか、手放しで称賛してくれたその子。「すごい」だなんて言われ、ニヤニヤしそうになってしまった。いかん、鼻が高くなりそう。
デレデレしないように口をもごもごさせていると、目線をあちらへ戻した彼が「あっ」と声をあげた。
「にっかりさんと長谷部さんだ! 浦島さん、鶴丸さんも! ……いち兄や僕の兄弟たちも、どこかにいるのかなあ」
雨上がりの庭。お向かいさんの縁側には見張りの二振りと、他にもちらほら刀剣男士の姿があって。みんな私たちに注目している。彼らもこの子の気配を察知したのだろうか。
「うんうん、いるよ。家の中じゃないかな。君も無事だったし、神様全員そろったね」
言えば、小さな神様はまた私の方を向き、歓びを溢すかのように笑った。そして戸口の外を見渡し、喜悦滴る面構えのままもう一度顔を上げる。
「あの」
「ん?」
何か聞きたそうなその子をじっと見据え、続きを待つ。問いが発されたのはすぐだった。
「あの人が解任されて、その後にあなたがここへ来たということは」
「うん」
「……あなたは、僕たちの新しい主君なのですか?」
「しゅくん?」
耳慣れない単語を復唱する。
「ええっと……『持ち主』、『主』様です」
言い直された言の葉が耳道を突っ切り、ぐにゃりとひしゃげた。心が。
「えっ」
持ち主? あるじさま? 私が、この子たちの?
「それは──」
判然としない、けれど主張の激しい疑念が産み落とされる。
自分は彼らの「持ち主」なのか。「主」であるのか。こんのすけは私のことを「主様」と呼ぶが、それは私専属の式神だからだ。私と刀の結び付きについて、時の政府の要綱には何も……あれ、辞令にはなんて書いてあったっけ。
考えてみてももやもやするだけだった。うんともすんとも答えが出ない。
「うーん、どうだろうねえ」
あまり役には立ってないけど、私は審神者。なら、「審神者」である私は刀剣男士の「何」なんだろう。
人嫌いで人間不信の神様たちも、随分懐を開いてきており、徐々に距離は縮まっていた。しかし、ここで私を「主」と呼称するのはこんのすけのみ。付喪神から「主」と声を掛けられたことはないような気がする。だったら、私は彼のいう「主君」ではない。
大体、私はなりたいのだろうか。刀たちの「主」に。良き仕事仲間としてやっていけたらいいな、と思っていたが、この仕事を引き受けた時、そこまで考えてはいなかった。
「よくわかんないけど、違うのかなあ」
ぼかしながらも否定する。これから先の明確な見通しは立っていない。己の心も解らない。
「えっ、でも」
私の答弁が意外だったのか、桜舞い散る春の空みたいな瞳が丸くなる。
「さ、早く帰りなよ。みんなに元気な顔を見せてあげて。君の兄弟、すっごく心配してた」
敬遠したい話だった。退けたい事柄だった。なので、明るく笑ってはぐらかす。
「おい、あれやっぱり秋田じゃないか?」
「……秋田藤四郎?」
「わーっ、秋田だ!」
この子の存在を認識したらしく、いつしか御殿は賑やかになっていた。ちょうどいい。出しに使わせてもらおう。
「おっ、あっちの神様たちもざわざわしてるじゃん。ほら、行って行って」
「え? あ、は、はい。そうですね。それでは失礼します。……色々と、ありがとうございました」
低く頭を下げて礼をし、桃色の髪の神様は敷居を跨ぐ。駆け去る背へひらひらと手を振って、そういえば、と私は独りで首をひねった。
どうして結界の中に居られたんだろう。あの子、弾かれてなかった。
こちら側にあったからなのか、私が彼を受け入れていたからなのか──まあ、なんにせよこれっきりだ。刀剣男士との関係が曖昧な今、誰か一口を特例扱いすることはよろしくない。……ちょこっと寂しいけどね。「ありがとう」をくれたあの子に壁を作ってしまうって。もっと話してみたかったなあ。
引き戸に手をかけ、遠のく背中を静かに目で追う。御殿の縁側ではそこかしこの襖障子が開いていて、驚喜に沸く付喪神たちが見えた。消されていたはずの仲間が戻り、喜んでくれているようだ。
……はあ。
桃色の髪の神様が境界線を越え、ほっと息をつく。次に呼吸をする際、私は司令の如き意思を飛ばし、本丸じゅうの結界へ制限を加えた。「今後、あの子も阻むように」と。
──通ってはならない。入ってはならない。刀剣男士は誰も。