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「ありがとう!」
真ん前から響く甲高い声。鈴なりになった付喪神たちの中、一口がぶんぶん手を振りだした。弧を描く細い腕に合わせ、長い金の髪が揺れている。いつだったか、トイレの窓越しに「消されたはずだった子」のことを話した神様だ。
「秋田を治してくれて、見つけてくれて……ありがとう!」
彼の眉と目尻が下がり、顔一面に広がっていた笑みが形を変えてゆく。
「ボクたち、また──また、秋田に会えたよ」
鼻を啜る音がした。途切れ途切れの声はくぐもっていて、涙ぐんでいるのだとすぐに分かった。
一歩踏み込む。神々からの警告はない。境界線へ進む毎にお兄さんの様子を確かめるが、私がどれだけ弟さんに近付いても何のアクションもなかった。
──いいのかな?
泥濘んだ地べたにつっかけサンダルをのめり込ませながら歩き、小さな子たちと対面する。話しかけてもいいのだろうか。思った矢先に「ありがたかね。兄弟が揃って嬉しいばい」と、誰かが開口した。その子はニンマリとほっぺを崩していて、片手を腰に当てている。金とベージュを混ぜた色の短髪はやんちゃそうだ。けれど、暗みがかった青の眼に端然とした利発さを感じる。知性を湛えた瞳を覆うのは、赤フレームの眼鏡。
「外に出ちゃって大丈夫?」「こっちに来ても良かったの?」「私と話したらお兄さんが心配するんじゃない?」
聞きたいことは山程あったのに、「『〜ばい』って九州辺りの方言だったっけ?」なんて、頭の内で雑念が遊んでいる。
「秋田のこと、ありがとう。……へえ、あなたが新しい審神者かあ。んー、怖くは……なさそうだね」
訊ねるタイミングを逃した私を、紅葉に劣らぬ赤紅の髪を持つ子がじろじろ注視してきた。
「……ふうん」
首元から胸にかけて、吊り気味の双眸がやけに視線を縫い付けてきている。何? 土かゴミで汚れてる? いやでもお風呂で着替えたばっかりだしなあ。
なんとなく作務衣の合わせをサッサッと払うと、彼の側に居た短い黒髪の刀剣男士が渋面になった。
「信濃、懐の観察はよせ」
「えー? 俺は将来を考えて──」
「今しなくてもいいだろ」
「ちぇ。はーい」
じとっとした薄墨の眼差しで睨まれ、赤紅の髪の子が唇を尖らせる。
ところで、「ふところの観察」とはなんぞや。「将来を考えて」? ……懐と将来。んんー? 懐事情的なもの? でもあれは一種の言い回しだよね。今の御時世、懐に札束を入れてる人はそうそういるもんじゃないし(神様の常識は知らないけど)、胸の周りを見ただけで資産は分かんないんじゃないかな。
なら何を──リアル懐? ……はっ、乳か。乳の大きさか。こんないたいけな子供(の姿の付喪神)が、まさか!?
赤紅色の髪の子がつまらなさそうに「懐」から目を逸らす。推理が膨らみ、一人でギョッとしていた私だったが──。
「あの、改めてお礼を言わせてください。僕や兄弟、みんなを治してくれて、ありがとうございました」
温和な微笑みと感謝の言葉をもらい、動転していた気がしゅんしゅんと鎮まる。蘇った嬉しさと喜びで頬が上がった。
治せて良かった。兄弟が揃って良かった。彼らが再び巡り会えて良かった。
なんて幸せなんだろう。奇跡のような出来事を、湧き出る感情を、この子たちと共有できている。私の行いは間違っていなかった。私の仕事は誰かの為になったんだ。
「や、いいよいいよお礼なんて。よかったね」
思ったよりもふにゃっとしていた自分の声。これは参った。デレッデレじゃないか。私の顔面、えらい事になってそう。
「えへへ」と、可愛らしく笑った桃色の巻き毛の神様は更衣を済ませていて、真新しい朱い胴鎧が陽の光を反照している。紺を基調とした装い。ズボン丈やデザインに多少の違いはあれ、小さな刀剣男士たちの服装には統一感があった。
「みんな兄弟?」
付喪神の一塊へ問えば、髪の跳ねた背が高めな子が「おう」と頷く。
「俺たちは粟田口吉光に打たれた短刀。多いだろ?」
顎をツンと上げた彼。どこか得意げだ。まあ、良き兄弟が十数人もいると自慢したくなるのも分かる。
「うん、多いねえ。すごい」
誇らしそうにしているその子が妙に可愛らしくて、ややオーバーに褒めてしまった。
「へへっ。秋田も見つかったことだし、益々賑やかになるぜ」
「ああ、違いない」
嬉々としている彼らに胸が暖かくなる。温室となったそこにパステルカラーの花が咲き乱れ、無限の花畑ができた。
「いいなあ。私は弟が一人だけだから羨ましいよ。こんなに兄弟がいると何やっても楽しそう。ほんと、みんな揃ってよかったよかった」
喜悦に酔ったためか軟らかく口が回る。自分が派手にニヤついている自覚はあった。現に、「お前は今、喜色満面だ」と、表情筋が活き活きと高唱していて。舞い上がっている私を前にし、小さな神様たちは顔を見合わせた。
あ、これ……ヤバい奴、馴れ馴れしい奴だと思われたかな。距離誤ったかも。失態を招いちゃった?
危ぶんでいたが、それはハキハキとした声に一蹴された。
「ね、ボクの言った通りでしょ? この人はあいつなんかとは違う。別物なんだから」
強い口調で言って、仲間へ目配せをする長い金髪の子。もう涙声ではない。面持ちも凛としている。
「はい。とても素敵な方ですね」
「もっと早くにお礼に伺うべきでした」
右端からの賛同へ目を向ければ、黒に近い焦げ茶の頭と、明るい茶色の頭があった。おかっぱにボブ。ほお、可愛らしい。双子みたいだ。……って、「素敵な方」とかやめて。恥ずかしい。
「いやいや、そんなんじゃないよ。普通だし。あとお礼もいいってば」
熱がカッと昇る。照れて早口になるのも致し方ない。小刻みに首を振っていると、今度は左側でお呼びがかかる。
「あの、一つ聞かせてください。秋田は池に居たのですか?」
透き通る瞳は大粒のアメジスト。結界に両手を添える彼は淡い黄緑色の頭髪をしていて、柳や若葉を想起させた。
「うん、そう、池の中。橋の向こうの──あの辺かな。めっちゃびっくりした!」
太鼓橋を指差し、例の場所をざっくりと教える。池の奥にやっていた両目をパッと前に戻すなり、白い影が跳躍した。
「うわっ」
驚いてたたらを踏む。素早い動きで躍り出たそれは……。
「あ、わわっ、虎くん……!」
丸い耳、長い尻尾、猫科の造りをした容貌、白の毛に黒の虎模様。なんとまあ、白い影は子虎だった。しかも一匹ではない。二、三、……五匹だ。五匹の子虎が結界にじゃれついている。うわああ肉球が、ピンクの肉球が。
「なんだ、どうした」
「薬研兄さん。えと、虎くん……に、匂いが、気になるみたいで……」
「匂い?」
「はい。お花みたいな──」
結界の傍でのやり取りが遠く聞こえる。私の意識も私の目も、虎にがっちり固定されていた。動物好きにはたまらん。
もふもふで、もふもふの、もふもふが、はあ、五匹も! ああああああ触りたい!
「ふんふん……よか匂いやねえ」
虎まっしぐらの私だったが、方言で正気に返る。閉眼して鼻をひくひくさせているのは、赤フレームの眼鏡をかけた子。
だめだ。虎はものすごく可愛いけど、ものすごく撫でくりまわしたいけど、えーと、匂いがああだこうだの話だっけ?
「え、なんか臭う?」
犬のようにすんすんと空気を吸うも、特段変わった臭いはないような。──あ。
「ああ、石鹸かな。お風呂行ったばっかなんだー。匂いキツい? 臭かったらごめんね」
池で汚れた体を洗って間もない。石鹸の香りがまだ濃いのだろう。フローラルなんたらの匂いだ。
「風呂? こんな真昼にか?」
低い声を発する白皙の美少年。音域も話し方も儚げな見た目とギャップがあり、意表を突かれた。だから返事が遅れてしまって、桃色の髪の子が萎縮した声を漏らす。
「もしかして、僕を探すために池に入ったからじゃ……それで、濡れて──」
「違う違う!」
申し訳なさが十二分に伝わってくる。眉を八の字にした彼は、春の空の瞳を悲しそうに萎ませていた。
咄嗟に「違う」と言ってしまったが、まあ、当たりなんだよなあ。でも気に病ませたくないし、うーん……。
嘘をつくか真実を述べるか考える。澄んだ双眸は迷う私を真っ直ぐに仰ぎ見ていて、その真摯さは私の心を震わせた。
「あー……違わないけど、気にしなくていい。池で濡れても乾かしゃいいだけじゃん。私お風呂好きだし、さっぱりした」
でまかせは出せなかった。親切な嘘がつけなかった。しかし、この子の罪悪感を野放しにするつもりはない。
「ですが」
「気にしなくていいって! ちょーっと濡れたくらいでどうもならないよ。怪我したってわけじゃないのに、そんな顔しないでほしいな。君を見つけられて何より。うん、よかったよかった」
彼を手入れしてからというもの、私は何回「よかった」と口にしたのだろう。……十は越えてそう。
「はい、笑って。せっかく元気になったんだよ。笑っとかないと損、損」
自身の頬をぺちぺち叩き、桃色の髪の子へ笑いかける。曇っていた顔が次第に晴れ、私と彼は互いに歓笑した。
「おかしい。おかしいぞ!」
そこへ唱えられた異議。前髪をパッチンどめで留めている子が一振り、険しい形相でこちらを睨みつけており。
「この人間、人妻じゃないのに優しいじゃないか!」
ビシッと指をさされた私が目を丸くしたのは、言わずもがなのことである。