雪解け - なんとはなしに

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「人妻はすごいんだぞ! 頭撫でてくれるし、お菓子くれるし、最高なんだ。前の主も人妻好きだったけど、当然だよね!」
 キラキラと瞳を輝かせ、人妻について熱っぽく語る幼い風貌の刀剣男士。私が話について行けないでいると、他の子たちが「分かったからやめろ包丁」「今の気にしないでね」「はいはい、人妻好きの刀はこっちきんしゃい」と助けてくれた。短い黒髪の神様が教えてくれたのだけど、どうやらパッチンどめで前髪を留めている子は、ずっと昔の持ち主の優しい奥さんたちを視てきていたせいで「人妻イコール至高」の方程式を作り上げているらしい。
 はー、そういう付喪神様もいるんだなあ。──あ、お兄さん。
 奇妙な感心をすると共に彼らを見守る兄のことを思い出した私は、交流を切り上げることにする。何も言ってこないお兄さんだが、内心気が気じゃないはずだ。本当は弟を私から離したいんじゃないだろうか。嫌な気分にもなってそう。なんか申し訳ない。
「昨日の雨はひどかったな」
「風も強かったですね」
「雨漏りしなくてよかったぜ」
 私の心配を知る由もなく、この子たちは和気あいあいとしている。「なあ、離れは大丈夫だったか?」「今度そっちに行ってみたいな」といった具合にちょいちょい声をかけられるもんで、気付けば話の輪に取り込まれてしまっていた。後ろめたさがチクチク刺さる。
 いや、これではいかん。やっぱりお兄さんに悪い。
「あ、私そろそろ行かないと。やる事あったんだった」
 折を見てあっさりとした別れを切り出す。嘘ではないさ、私には「やる事」がある。池ですっぽ抜け、置き去りにした長靴。あれを助けねば。……まあ、今の今まで忘れていたというのは内緒だ。
 今尚こちらを静観している水色の髪の刀剣男士に配慮し、和やかな雑談から抜ける。驚くことに小さな神様たちは残念がってくれ、「ゆっくり話がしたい」「一緒に遊んでほしい」とまで言った。お兄さんの目が気になる私は「うん」とは返せず、「今度ね」なんて濁してしまって。
「虎ちゃんもまたね」
 後ろ髪を引かれる思いで回れ右。幼い姿の親しげな付喪神たちも可愛いし、結界を越えようとする子虎も可愛い。虎に関してはいつか許可をもらって抱っこする。絶対。
「ありがとうございましたー!」
「またお話しようね!」
「お足元にお気をつけください!」
 いくつもの声が背に当たり、私はその度振り返って彼らに手を振った。もったいないくらい温かく、受け止めきれないくらいたくさんの言葉を贈られ、胸がむずむずする。気を抜くと何かが溢れてしまいそうだった。焼けた鉄のような心は熱く、離れに戻ってひと休みをすることでやっと落ち着いた。
 ……もういいかな。声もしないし。
 外が静まるのを待って戸を開ける。小さな刀剣男士は解散したのか、みんな池の前から消えていた。庭のどこにもいない。あの子たちも、お兄さんも、黒髪の子も白っぽい髪の子も。
 たぶん、御殿に帰ったんだよね?
 落葉で寂れた秋の庭を見回すが、兄弟たちは見当たらない。他の付喪神はいるんだけどなあ。槍の神様とか、薙刀の神様とか。
「おー、掃除か?」
 私を見つけ、気軽に話しかけてきたのは、無造作ヘアーの槍男士。
「違うよー。別件ー」
 濁った池を挟んで声を張り合う。
「手伝いはいるか」
 お次にモノクルをかけた薙刀の付喪神が助っ人を申し出てくれた。しかし、一人でもできるのでお断りをする。気持ちはありがたい。
「ううん、いらなーい。ありがとねえー」
 手でバイバイを表せば、彼は「必要となればいつでも呼べ」と会釈する。その隣にいたもう一振りの薙刀もお辞儀をしていたのだが、少しあたふたしておりぎこちなかった。私が礼を返すとますますまごまごしてた。
 うーん、あの神様はまだ人間が怖いのかな? ……それより、服、ヘソ出し? ヘソ出しだよね? うへえ、ちっちゃい子たちの短パンもだけど、今の季節にヘソ出しって寒いよ。今日なんかめちゃくちゃ冷え込んでるのに。上着、腹巻き? そんなのをあげたくなるなあ。
「秋田の手入れ、お疲れさん」
「ん、ありがとう! じゃあねー」
 槍の刀剣男士に労われ、ほんのりと機嫌が良くなる。あの子の兄弟以外の神様も労ってくれて嬉しい。自己満足でしかないけど、「私は善き行いをした」んだと自信がつく。片手に持った竹箒をリズミカルに揺らしたくなるも、ウキウキな幼稚園児になってしまいそうなので我慢した。
「この辺だったよなあ」
 太鼓橋を渡らず池の岸に沿って森側へと進み、目的地付近に到着。竹箒の柄で濁った水の中をつついたり、長靴を引き上げたりするつもりなのだが、上手くいくだろうか。虫取り網もあれば──いや、うちにはないもんねえ。
 緑がかった茶色の池は魔女の棲む沼のよう。どんよりとした水面の下を見ることはできない。目を皿にして探しても、長靴らしきものは肉眼で捕らえられなかった。
「ねえ、私の長靴知らない?」
 どうにもこうにも見つからなくて、寒さで体を震わせながら鯉へ聞く。濁り水に隠れた彼らは跳ねもしなければ出てきもせず、私の声は虚しく消えた。刀探しの時はあんなに協力的だったのに。
「もー、手伝ってくれてもいいじゃん。今回はダメってーの?」
 ぶつくさとぼやき、竹箒の柄で池の底をトントン打つ。鯉たちはやはり無反応だ。だんまりを決め込んで、わざと知らんぷりをしているみたい。
「……寒っ。はあ、どこいっちゃったんだろ」
 探索を続けつつ、池の淵をとぼとぼ歩く。重い水を掻き回したせいで腕が疲れてきた。太鼓橋まで戻ったらちょっと休憩しよう。
 足と箒を引きずって朱い太鼓橋を目指し、ふと顔を上げれば。
 ──お?
 対岸に刀剣男士が一振り。どこぞの騎士や王子様じみた洋装の彼は、小さな子たちのお兄さんだ。鮮明な水色の髪が秋の終わりの庭に映えている。
 何やってるんだろう。結界の手前で。
 驚きと疑問が運動機能をストップさせた。橋の袂で立ち止まった私を、弟想いの兄は正視している。私に用事……? ああ、苦情かな? それと牽制。あの子を治したといえど、やっぱりそう簡単には──えっ。
 思考を巡らせていた私だったが、池の向こうの付喪神がとった行動で脳みそまで停止してしまった。
 えっ。え、え、ええっ!?
 視界の中央には深々と下げられた水色の頭がある。きっと近くであれば旋毛が見えただろう。そのくらい低い。角度でいうと九十度ほど。
「はえっ」
 空気が声帯に引っかかって変な音が出た。「は?」と「え?」の合わさりしボケた声。息を吸おうとすると唾液で喉が詰まり、口蓋の裏がフガッと鳴る。
 刀剣男士の中でも人間(私)への警戒心やら憎しみやら複雑さやらがとりわけ強い彼が、人間(私)へ向け「礼」らしきものをしている、とは、如何に。
 お辞儀されたならお辞儀をしなきゃ!
 混沌としている脳内で一つの神経が叫んだ。固まっていた体がシュッと動き、腰が深く折れる。半ば条件反射だった。
 なんのお辞儀? なぜにお辞儀? 「弟を治してくれてありがとう」のお辞儀? あの子の手入れをした後だし、そうだよね? 他に理由はないよね? えっ、そもそもあれお辞儀でいいんだよね?
 乾ききらない泥濘んだ地面も、枯れかけた草に乗る水滴も、履き古したスニーカーも、そこから伸びる自分の足も、ここではないどこかの映像のようで、推考に忙しい頭はきちんと処理してくれない。
 何秒、何分経っただろうか。
 衝撃での錯乱もいくらか治まり、そろーっと顔を上げ──わっ、あの人まだお辞儀しとるがな! 球になった水色は高さをそのままにしていて、私はもう一度慌てて頭を下げる。ああ、彼はいつお辞儀をやめるのだろう。校長先生の礼が終わるのを待つ生徒になった気分だ。
 あれやこれやと考え事をしながら、靴のつま先と長く見つめ合う。そうして、「もういいよね」と屈めていた上半身を起こしたのだが。
 えええええええっ! まだ!? なんで!? なっが!
「何? ちょっとやめてよ!」
 長過ぎであり、さすがに声が出た。小揺るぎもしなかった付喪神の体が僅かに身じろぐ。彼は徐ろに頭を元に戻して、しばし私の方を見る。
 一体どうしたのだと尋ねんとすると、水色の髪が下へ下へと再度垂れ始めた。
「えっ、やめてって! どしたの、お礼? そういうのいいから! マジでやめて!」
 竹箒を持つ手も空いている手もめいいっぱい振る。全力の「やめてください」は受理されたようで、顔を上げた彼と視線が絡んだ。
「弟さん、良かったねー!」
 またお辞儀されては敵わん。ので、祝意を投球。拍手をするジェスチャー、万歳のジェスチャー……「おめでとう」は伝わるだろうか。伝わったらどうなるのだろうか。
 予測できなくてドキドキする。逆鱗に触れないか、胸糞悪くさせないかが気がかりだ。先に「弟さんと話してごめん」と謝ればよかったかもしれない。
 もし、刀で威嚇されたら。そう考えたところでお兄さんが俯いた。礼ではなく、うなだれるようにして。そんな彼の心情が分からず、嫌悪感が生じたのではないかと、屈辱に耐えているのではないかと、不安だけが募りゆく。
 瞬時に、横殴りの風が吹き荒んだ。あまりにも強い突風で、ぎゅっと目を閉じ四肢を縮こませる。風は大きな音を撒きながら轟々と走り抜けてゆき、強風にぶたれた耳や頬がじんじんした。
 風神がジョギングでもしていたのだろうか。そーっと瞼を開ければ、白い粒がふわりと宙に舞っていて。
「……雪?」
 空は青い。雪が降る雲もない。天気雨ならぬ、天気雪?
 仰いだ天をくまなく見渡すと、風が吹いてきた方向、遥か遠くの山々に雲の冠が残っていた。嵐も去って快晴になったと思っていたが、山の上は違ったようだ。山頂辺りは灰白色になっており、雪が積もっていそうである。
 あそこで降っている雪をさっきの風が運んできたのかな。寒い寒いと思っていたら、そうか。明日で十二月……冬になるんだ。
 落ちてきた雪を手のひらで受け止める。小さく、粉みたいなそれは私の体温ですぐに溶けた。いつの間にかお兄さんは顔を上げていて、不時の初雪にそこそこときめいていた私はできたてホヤホヤの話の種を使う。
「雪だね! これ初雪! 天気雪!」
 風が届けた雪はその場限りのものであり、もうほとんど分からない。だけど、お兄さんは微かに頷き、一緒に空を見上げてくれた。

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