雪解け - なんとはなしに

02


 師走も十日を過ぎ、今日も今日とて野良仕事。草引き道具を乗せた竹製の手箕(てみ)を抱えて外に出れば、燦々と降り注ぐ日光に包まれる。本日は晴天なり。昨日一昨日と曇りだったので、綺麗に晴れた空がなんとなく嬉しかった。天気が良いとそれだけで気分が明るくなる。日差しのおかげで少しは暖かいし、太陽さまさまだ。
 こんなに晴れているというのに、こんのすけが隣に居ない。相棒の不在はちょっぴり寂しいけど、定期出張も今週の金曜で終わり。期間延長の報せはないため、土曜日からは毎日一緒に過ごせるだろう。
 目に染み入るような青空を寸刻仰ぎ、視線を地上へ戻す。微かに水音がして、池の縁石に亀吉が這い上がってきていた。
「お、亀ちゃん」
 日向ぼっこか、甲羅干しか。陽の当たる石の上はさぞかし居心地が良いに違いない。
 畑に直行せず池へ向かう。私が歩くと震動が生まれ、愛用の草削りが手箕の中で揺れ始めた。竹ひごの編み目に擦れてごろ、ごろ、と音が鳴り、すごく些細なものなのだが、私はこれが好きだった。
「おはよ」
 私が挨拶するとゆっくり瞬くふさふさ尻尾の小さな亀。それがこの子流の返事なのだ、と、私は勝手に思っている。亀吉は濡れた体を乾かすようにおひさまの光を浴びていて、とても気持ち良さそうだった。
「この前はありがとね」
 瞼をほとんど閉じた亀吉へお礼を伝えるも、うとうとしているのか反応はない。
 私は彼に恩がある。というのも、この子は先日、池に消えたある物を見つけ、持ってきてくれたのだ。どんなに探しても出てこず、諦めていた長靴を。
 いやー、あれにはびっくりしたなあ。逆さまの長靴が水面をスーッと移動してきて、鯉なのか心霊現象なのかギョッとしてたら亀吉がぴょこっと顔を出すんだもん。驚いたけど助かった。その折、「うわーありがとう! 亀ちゃんすごい、えらい!」と、亀吉をべた褒めして尾黒に水を散らされた。あれはヤキモチか嫌がらせだな。うん。
「ん、おねむ?」
 小さな亀はすっかり閉眼していて、本格的に微睡みだしたらしい。では私も畑に行こうかな、と顔を上げる。すると、こちらへ駆けて来る二振りの付喪神が見えた。
「おはようございまーす!」
「おはよー!」
 桃色の巻き毛の子に長い金髪の子。活気ある声と共に境界線へ張り付く彼らの後ろには、他の子たちがいる。小走りだったりのんびりだったり、各々のスピードで歩みを進め、やがて兄弟らは池の向こう側に集合した。絶えず飛んでくるにこやかな笑みと「おはよう」。一つ一つに応答すれば、ほのぼのとしたムードが満ちる。
 ボロボロだったあの子を治した翌日から、粟田口? の短刀たちは毎朝こんな風に揃って透明な壁を訪れていた。動機は可愛らしく、「『おはよう』が言いたい」や「顔が見たい」や……すっごく好意的なもの。私が離れを出るタイミングを狙ったような日もあって、「出待ちみたいな事はやめてくれ」とやんわり告げたのだけれど、誰も聞き入れてはくれなかった。上目遣いで「迷惑ですか?」としょんぼりされればもう何も言えない。この賑々しいフレンドリーな朝の挨拶には、最近やっと慣れたところだ。
「みんな今日も元気そうだねえ」
 池をぐるっと回り込み、結界の側まで行く。眩しいばかりのキラキラ笑顔。その輝きは太陽にも負けていない。軒下のお兄さんたちにも一応軽く会釈する。水色の頭が律儀に下がり、両脇にいる黒髪の子と白っぽい髪の子も同じ動作をとった。うーん、ぶっちゃけこのくらいの方がしっくりくるんだよね。心臓にも優しいし。
「まあな。あんたはどうなんだ?」
 見た目にそぐわぬ低い声が問うてくる。もみあげの伸びた黒髪に、浅紫の双眸。涼しげな目元が印象的だ。
「ん? 元気だよー」
「はは、そりゃあ良かった」
「くすくす」でも「ふふふ」でもなく、その子はニッと笑った。なんだろう、所作といい話し方といい声といい……美少年のくせに男前感がある。解せん。
「お持ちになられているのは農具ですよね。これから畑で作業なさるのですか?」
 短いおかっぱの子がつま先立ちになり、覗くようにして手箕を見つめている。
「うん。草むしり。その後水遣りかな」
 ざっくりとした予定を言うと、「まーた畑仕事か」と横からからかわれた。薄墨の眼に黒い短髪の子が、にやにやしながら頭の後ろで手を組んでいる。
「そ。まーた畑仕事」
 からかいには軽口を。ということで、含み笑いのオウム返し。小さな子たち──というか、この子たちに嫌な思い出がないため、苦手意識はそんなにない。だからか、いじられてもムッとしないし、大勢で詰め寄られても平気だった。純粋に可愛く思う。他の神様と比べてわりと仲良くやっていけてる……のかな。
「そげん畑に精ば出して、作った野菜はいくらで売ると?」
「売らない売らない。全部私とこんちゃんの食料だよ。余るけどね」
「もったいなかー!」
 赤フレームの眼鏡をかけた子に向かって首を振ると、悲鳴に近い声をあげられた。「もったいない」と言われても、広い畑にもりもり実った野菜は女一人と狐一匹じゃ食べ切れない。現に春や夏、秋に収穫した作物の残りが四次元葛籠に眠っている。それらをどこかに売って小遣いの足しにすればいいのかもしれないが、んな事したら本物の農家になってしまう。
「備蓄してんの。いつでも食べれるように」
「うー、確かに蓄えも大事ばってん……銭が……」
 あらら、唸りだしてしまった。この子はお金が好きなのかな? ひょっとして、商売繁盛の神様でもあったりとか。
「博多の商売人魂は筋金入りだね。っと、いてて」
 短刀の塊の奥から聞こえたそれを耳が拾う。見れば、赤紅色の髪の子が顔を顰めて上腕を押さえていた。
「えっ、どうしたの、痛い? 怪我?」
 服は破れてないし、血も流れてなさそうだけど──あっ腕を庇ってる手の下に傷が?
「大丈夫。いち兄にしごかれただけ。怪我なんてしてないよ」
「信濃、派手に転がされてたもんね。受け身が取れなくて右から倒れた時のでしょ」
 金髪の子が後ろを振り向いて言う。深刻そうな声音ではなく、冷やかしを滲ませたようなものだったため少しは安心した。けど、お兄さんにしごかれたって……まさかまた喧嘩したのではないだろうな。
「しごかれた? なんで? 何してたの?」
 別の懸念に気を揉み、質問を連続させる。答えてくれたのは、朱い胴鎧を着けた桃色の髪の子だ。
「鍛錬です! 今朝はいち兄や骨喰兄さんに稽古をつけてもらってました」
 鍛錬。稽古。……ああ、そういや今日の挨拶は朝一番じゃなかったもんね。こんのすけのお見送りの時にキンキンカンカン金属音がしてたのは、この子たちだったのか。
「俺たちも戦に出る準備をしてるんだぞ。すごいだろー!」
 自信満々といった表情。人妻好きの神様が両手をグーにして私を見上げており、思わず顔が強張った。
 ……こんな子供が、戦に?
「え!? だめだめ。小さいのに危ないことはやめなよ?」
 衝動的に言葉が出た。幼い外見をしていても、彼らは神だ。人でもなければ小児でもない。しかし、私がこれまで生き、培った観念が先にきてしまった。勝ってしまった。「子供が戦うなんてありえない」と。
 喫驚のあまり、この子たちが人外のものであることを、コンマ一秒前の私は失念していた。視覚だけで考えていた。
「──何か勘違いしてそうだから言うが、俺っちたちも付喪神、刀剣男士だ。こんな見て呉れでも戦える。あんたよりは強いぜ」
 子供扱いを感じ取ったのだろう。白い肌した黒髪の子が己の刀に手を添え、低い声を尖らせた。浅紫の眼は獲物を狙う鷹のように鋭い。
「あ、ごめん。えっと」
 場を取り繕うべく口を開くも、髪の跳ねた背の高めな子に遮られる。
「短刀の俺たちに太刀とか大太刀みたいな力はない。でも、他の刀種にない強みがある。あんたは知らないかもしれないけど、俺も兄弟も腐るほど時間遡行軍を斬り倒してるんだ」
 彼も周りの子も真面目な顔つきになっていて。私は自分の放言を認知し、申し訳なさを覚えた。そんなつもりはなかったのだが、外形のみで判断したあの一瞬、不用意なことを言ってしまったが故、「刀剣男士」としての彼らのプライドを傷付けてしまったようだ。
「……ごめんね」
 もう一度謝る。口を噤んだ私を見かねてか、「いいじゃないですか。悪気はなかったんですよね。小さい子って可愛いですし、心配になっちゃう気持ちも分かります」と誰かがフォローしてくれた。それでも自責の念は消えなくて、気まずい雰囲気の中、天候や亀吉の話をして彼らと別れる。最後にはみんな笑っていたけれど、許してくれたのだろうか。
 過誤に苛み、畑仕事に集中できない。浅紫の刺すような眼光が、瞼の裏に焼き付いていた。

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