04
彼は──秋の夜長に三日月の話をした付喪神。いつの間に来ていたのだろう。負のスパイラルに陥っていたせいか、気配も物音も分からなかった。
わざわざ御殿の裏側まで、なんで? 見張り当番ではなかったよね。他の刀剣男士と交代したにしろ、ここんとこゆるーい監視になってるから、追跡はなくなってたのに。
「あー……まあねえ」
挨拶か、交流か、用事か……神様の意図を憶測しながら返答すると、彼は柔和な面持ちで接近してきた。
「大変ではないか?」
あの日の夜のように隣へ並ばれる。私を包む結界より数十センチ右、手を伸ばして届くか届かないかのスペースを空け、付喪神は姿勢良く立っていた。顔を見ようとすれば自然と視線が上がる。百七十、百八十ほどは身長がありそうだ。
「んー、どうだろ。夏よりは全然」
「ほう」
おっとりとした佇まい。彼は私から目を離し、腐葉土や赤土を混ぜた区画を見下ろした。等間隔に出ている芽を眺めているようだが、ううむ……三日月の次は花を二人で観賞することになるとはねえ。
「美しい花が咲きそうだ」
「えっ?」
気の早い言葉に少し驚く。そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、まだ芽吹いたばかりなのだ。二葉も茎も弱々しく、蕾だってない。開花は年が明けてになる。ガーデニングの本の通りにいけば。
「や、まだ芽が出たばっかりだからわかんないよ。これが咲くのは二月か三月くらいだし。頑張って育ててるけど、枯れちゃうかもしんない」
「おお、そうか。……だが、俺は綺麗に咲くと思うぞ。お主がこれだけまめに世話をしているのだからな」
「えー? ないない。どんだけこまごまやっても枯れる時は枯れちゃうんだよ。天気とか、虫とか、……運とか」
三月に土地の浄化を終え、これまでたくさんの植物を植えてきた。成功もあれば失敗もあり、試行錯誤の繰り返しだった。梅雨の時期には水分過多でトマトの苗をダメにしたこともあったし、春と夏の間には虫で小松菜を全滅させた覚えがある。種が発芽しなかったり、若葉を枯らした経験も。
野菜作りもガーデニングも案外難しいものなんだよね。そして奥深い。まさかこんなにハマっちゃうとはなあ。
「ふむ……」
しげしげと花の赤ちゃんを見つめる彼。
「そりゃ私も咲いて欲しいからやれるだけやるけどさあ、ほんと、こればっかりはわかんないんだよねえ。あと、咲くのは最低でも三ヶ月先だよ。けっこう待つよー?」
言うと、その付喪神はゆるりとこちらを向き、ふんわり笑った。
「待つのは嫌いではない。先の楽しみができて──うん、これは『嬉しい』というのだろうな」
眦が下がり、一対の眼は柔らかく細まる。瞳孔に黄色の弧が見えた。黒目を囲むようにして浮かぶ人間にはない不思議なそれへ、人外の気を感じる。金、桃、紫、赤、緑……髪といい、眼といい、刀剣男士の持つ「色」はカラフルだ。どれも染料やカラコンなどではないのだろう。
「ところで、今、少しよいか?」
瞳の中の三日月に意識を奪われていた私へ、お時間頂戴の声がかかる。どうやら話題が変わるらしい。がっつりコミュニケーションは控えたいのだが……さてどうなるか。
「あ……うん、何?」
ぎゅっと神経が引き締まる。心の縄張りに踏み入られないか、溝を埋めようとされるのではないかと、私は僅かに警戒していた。もちろん、顔には出さないようにして。
「先月、陸奥守に『だんしんぐふらわあ』という土産をやったそうだな」
「ん? うん」
藪から棒に、どうしたんだろ。
疑問に思うも一つ頷く。尋ね事の旨意が分からないので、ひとまず素直に認めてみた。彼の言う「ダンシングフラワーの土産」は記憶に新しい。あれは十一月の中旬だったか。方言のキツい神様に未来の機械を所望され、捧げ物に選んだのは……私のお古のダンシングフラワー。現「花子」である。
「加州には爪紅を贈ったと聞いた」
つまべに。……爪紅? あ、マニキュアだ。これも十一月だったよね。うん、赤いマニキュア、あげたなあ。爪自体は整ってるのに、マニキュアがまだらになってた刀剣男士に。そんなこともあった。
「うん」
あっさりと肯定する。彼に企みがあるのかないのかは不明だが、詰問というには穏やかで、私を謗っている感じでもない。
だから、単に事実確認されてるだけなのかな? と、推測しつつあったのだけど。
「では、俺にも何かくれないか。例えば、『座り心地の良い座布団』など、なあ」
端正な御尊顔がこてっと傾く。コミカルで、甘えているみたいなお願いだった。
はー、なるほどね。そうか。
心中で膝を打つ。謎が解けた。あれはおねだりの前置きだったのだ。
「ああ、座布団。前欲しいって言ってたもんね」
そう、覚えてる。包丁の手入れをした日、何かの弾みで物品提供の話になった。趣味や暇つぶしに使える物、机や布団等の家具を勧めたんだけど、感触はイマイチで。唯一、この神様だけが「座布団が欲しい」と注文をしてきていたのである。まあ、あの時はノー座布団になったんだけど。別の神様にストップ掛けられちゃってね。
「ほう、覚えていたか」
「えっこの間のことじゃん。さすがに覚えてるよー」
物覚えは悪くないぞ。という念を含ませて言えば、彼はほんの少し眼を大きくし、にっこりと微笑んだ。「嬉しそう」だと思ってしまったのは、私のうぬぼれだろうか。
「でも、いいの? 前は他の神様に止められてたじゃん」
「うむ。銘々やりたいようにやる事になったのでな」
「ほー……」
「神無月や霜月の頃とは状況がちと違う。お主も解っているだろう?」
悠々と訊かれ、考える。前と今で違うことは多数あった。彼らの私への評価、彼らの中での私の安全性、私に対する関心──諸々遷り変わっているが、一番は神様自身だ。
「んー……そうだね」
人嫌いで人間不信だった彼らは変わった。善き方に。けれど、その変化を私は……。
「座布団、いいよ。届けるのは後でもいい?」
もやっとした汚いものを胸の底に叩き落とし、空笑いをする。刀剣男士と下手に接触したくない。しかし、調度品の要望を退けるのはいかんだろう。神様たちの生活の質はできるだけ上げてやりたかった。この際、座布団以外にも家具を搬入してみては? うーん、提案してみようか。
「おお、有り難いな。お主の手が空いている時でいいぞ。急ぎはせん」
「ううん、いいよ。じゃあ……」
ぐるぐると頭を回転させる。先頭切って浮かんだのは、「こんのすけの帰りを待ってから」という夜プラン。けど、それじゃあ暗すぎる。十一月より日の入りが早まっているというのに、十九時を超えるなんて。もし家具贈呈になるなら長くかかるし、提灯だけだと配置に苦労しそう。では日中の間? いや、私単体は辛い。あー……んなこと言ってられないかな。こんのすけがいないと何もできない、って斉藤さんに思われるのはちょっと、うーん。あの子を頼りっぱなしなのも良くないよねえ。
「んんー……」
呻きながらお隣さんをチラ見する。彼はのほほんとした態度を崩さず、「俺はいつでもよい」と口角を上げた。そんな付喪神様に緊張の糸を一本抜かれ、心の天秤がくーっと沈んでゆく。
……不安は不安だけど、ぼちぼち根性出さないとなあ。今ならあっち行っても斬られたりはないよね、たぶん。命は大丈夫か。しゃっと渡してしゃっと帰ろう。うん。えーと、じゃあ時間は……斉藤さんに念のため連絡入れて、昼ご飯食べて、片付けして──。
「うーん、一時半くらいかな」
脳みそ使って計算し、時刻を告げる。余裕をもたせた時間設定だ。
「相わかった」
古風な言の葉に、優雅な相槌。スムーズなやり取りなのだが、一つ引っかかる。
「あれ、そっちに時計ってあったっけ?」
夏の大掃除で元あった家財道具(血塗れ、壊滅的)は全部捨てた。補充はしていない、というかさせてもらえていない。立派な御殿の中身は空のようなもので、家具はおろか時計もないはずである。だから、かつて私は赤眼に黒髪の刀剣男士を待たせてしまった。ずーっと。あの不手際を重ねてはならない。同じ轍は二度踏まんぞ。
「とけい」
「見たら時間が分かるやつだよ」
「ううむ、そのような物はないな」
「だよね? ごめん、時間分かんないかー」
足らぬ気配りを詫びるも、彼は怒りも困りもせずにこにこしていて。
「そうだなあ。ここは時を告げる鐘も鳴らん」
間延びした声も話し方も呑気そのもの。狼狽しているのは私だけ? この神様はなんだか大らかというか、マイペースというか……。
「漏刻や時香盤があればよいのだが」
「ろうこく? じこうばん……?」
彼の口から出た単語はどちらも聞き馴染みのないもので、クエスチョンマークがぽんと飛ぶ。
「平安の世に時を刻んでいたものだ」
「平安!?」
びっくり仰天。隣にいる刀剣男士の本体は、平安時代の刀なんだろうか。
「はあー……すっご」
陳腐な感想がひとりでにぽろりと漏れていた。胸の内で呟いたはずなのに。
私は彼らのことを何にも知らないんだな、と、漠然と思う。いつ誰に造られ、どんな人物の手を渡り歩いてきたのかも、刃や柄にどんな特徴があるのかも、名前の由来も──ほぼほぼ分からない。いや、苦手意識が強かったせいで、知ろうともしていなかったのだが。
今後、そういう事も少しずつ識っていった方がいいのだろうか。脳裏をよぎった思議の一つは、流れ星のように消えていった。
「あー、平安時代の時計はないなー。……どうしよ。私のでいいなら貸すんだけど」
対処に悩み、私物の貸出を提示してみると、付喪神は変わらぬ微笑で「うむ、頼めるか」と了承する。
「オッケー。ちょっと待ってね、取ってくる」
なんだ、すんなり解決しそうじゃん。
じょうろを地面に置いて離れに走る。文机にある小さな時計を引っ掴んで急いで戻れば、彼はしゃがんで花の芽を凝視していた。
「服、汚れるよ」
乱れた呼吸に合わせて声を吐く。振り返った神様は緩慢に立ち、本日何度目かの「にっこり」を見せた。
「早かったな」
「まーね。はいこれ。投げるよ」
息を整え、時計をそっと宙へ放る。彼は黒い手袋をはめた両手をお椀の形にして受け取ってくれ、なんだか可愛らしかった。片手でパシッとキャッチするかと思っていたのに、予想外。
「えっと、見方は──分かんないよね?」
「ああ、そうだな」
二歩だけ近寄る。刀剣男士の手中に収まった時計は規則正しく動いており、彼はじっとそれを見ていた。己の時代とは異なる「時を計る物」への好奇心が窺える。このタイプの時計に触るのは初めてなのだろう。
前の審神者は神様たちに時計をあげてなかったのかな。んー、そういえば大掃除の時に時計はなかった気がするけど……腕時計はあったよね。前の審神者が根城にしてたっていう部屋に。
ま、どのみち彼にとっては未知の物体だ。きちんと用法を伝えないと。
「あのね、この針がね」
「ん? これは針ではないぞ」
……短針と長針からか!