雪解け - なんとはなしに

05


「えーっと、これは縫い針とか待ち針みたいなもんじゃないんだけど、『長針』と『短針』て言って──」
 私にうまく説明できるかな? 分かってくれるかな? と、はらはらしながらのレクチャーだったが、彼は物分りが良く、時計の仕組みを難なく理解してくれた。「じゃ、この針がここで、こっちの針がここになったら縁側に来てね」「心得た。一時半、だったな」という感じで。ちなみに「1」から「12」までの読み方も教えました。あの神様、すごいことにやっぱり平安生まれだったみたい。そりゃアラビア数字なんて知らないよね。
 付喪神は事もなげに「時計」の使用方法を修得した。とはいえ、万一のためにアラームも設定。抜かりはないさ。定刻になると音が鳴る、と伝えれば、彼は目を丸くしていた。
 ……で、万全の備えのもとに待ち合わせをしたんだけど。したはずなんだけど。なんであの刀剣男士は私と別れてからずーっと縁側に座ってるんだろう。あれじゃ時間を決めた意味がないじゃないか。
 井戸水を汲む間も、斉藤さんと電話をしている間も、洗濯をする前も、洗濯物を干した後も、彼は変わらず同じ場所に居る。
「時間でもないのにどうしてあそこにいるんだろ。待ってるっぽくない?」とは思ったが、少し様子見。昼食を作り始めた頃、土間から庭を覗いてみるも、やはりというか何故というか、あの神様は縁側に腰掛けていて。もちろん、一時半までまだ先だ。
 時計を渡してから一時間弱は経っていたため、どうしたもんかと頭を捻る。私を待っているにしては話しかけてこないし、早くしろというような素振りもない。私を待っているわけではなく、休憩所にたまたま「あそこ」を選んだだけか……。
 気になって気になって、料理の合間を縫って何をしているのか聞きに行ってしまった。すると彼は、「待ち合わせをしている」とのほほーんと答える。無論、待ち人は私だろう。
「まだ早過ぎるよ」
「時間になるまで別のとこでぶらぶらしてていいんだよ」
 慌て半分、呆れ半分でそう言うが、マイペースな付喪神は「うむ」と笑顔で頷くのみで、そこを動こうとしない。私の貸した時計を腿の上に乗せ、にこにこにこにこ……ほんと、調子が狂う。離れに戻っても落ち着かず、気もそぞろな昼ご飯作りとなった。
 余談だけど、昼のメニューは麦飯と鶏肉のケチャップ和えに、油揚げと小松菜の煮浸し。どれも夕食に回せられるよう多めにこしらえた。油揚げを使ったおかずはこんのすけが喜んでくれるから、頻繁に作っている。油揚げレシピは増える一方だ。
 食後は皿洗いをしてまったりするつもりであった。しかし、平安生まれのお刀様がいつまでも縁側に居るもんで、食器の片付けは後でやることにする。結局、私は折れたのだ。だって、そわそわしちゃうよね。待ちぼうけさせてるみたいでなんかヤだし。
 早めにあちらへ行くようにし、歯磨きを済ませ携帯を触る。画面の表示は十二時五十一分。
「んー、これだけでいいよね。支給品扱いはありがたいなー」
 四次元葛籠を片手で抱え、独りごちながら靴を履く。座布団を初めとした家具は職場(政府)が無料で提供してくれるそうだ。政府様のご高配には頭が上がらないが、掛軸や骨董品等の装飾物は「不可」らしい。「あなたが自分で購入し、刀剣男士に贈ってください」と、斉藤さんに言われてしまった。
 あいにく、来週の家族旅行のせいで今は金欠です。無理。もしも今日、御殿に家具一式搬入することになったとしても、支給品の枠内だけでお願いしよう。
 ふーっと息を大きく吐き、「よし、行くか」と気合を入れた。作務衣のポケットに沈む携帯には、いざという時のために斉藤さんの連絡先を出してある。有事の際はワンタッチでヘルプミーだ。緊急事態なんて起こらなきゃいいんだけど。念押しで結界も強化しておこう。
 自身をすっぽり覆ってくれている透明な膜に力を注ぐ。一撃くらいは凌げればいいが、いい塩梅が分からないのでちょっと適当。それでも結構な量の力は入れた。
 支度が終わり、自由な方の手で引き戸を開ける。青い大空にぽつんと昇った太陽の光が眩しい。目をしばたかせてお向かいさんに焦点を合わすと、……うん、あの、増えてるね。神様。
 いや、最初は一振りだったんだよ。単体で縁側に座ってた。時々誰かが話しかけていたにしろ、あの付喪神の周囲にたむろしてはいなくて。だのに、今や彼を中心に二十ほどの刀剣男士がそこに寄り集まっている。どうして増殖した。歯を磨いたり結界をグレードアップさせたりしているうちに何があった。
「おお!」
 敷居の前で固まってしまった私へ手が振られる。肩に黒い毛皮を乗せた、金色の髪の神様だ。遠くて見えないが、白いポンポンのついたヘアゴムで髪をくくっていたはず。編み込みもしてたよね。
「……あは」
 力ない乾いた笑いが口角を垂れ、戸惑ったまま手を振り返す。神々の群れに突撃するのは非常に憂鬱だった。行きにくいどころではない。行きたくなーい! と心は叫んだ。けれど、今更下がるわけにもいかないだろう。前進するしかなかった。
 大丈夫。頑張れ。やるしかない。引けない。大丈夫、大丈夫。なんとかなる。
 勇気の呪文を胸に刻み、自分を鼓舞して境界線を越える。前方から刺さる夥しい視線。子供の造りをした神はまばらで、大人の姿が多い。……あの日のアレが断片的に脳で再生され、私は急いでテレビを切った。片腕で支えた四次元葛籠が、普段より何十倍も重い気がした。
「どうした」
 待ち合わせ場所へ辿り着くなり、時計と私を見比べながら口を開いた紺の和装の神様。彼のお仲間たちも、近傍でガヤガヤしている。公園の鳩みたいだ。
「まだ一時半にはなっていないぞ」
 んなこと言ったって、あんたずーっと待ってるんじゃん。待たせて悪いなって思っちゃうじゃん。早く行かないとってなっちゃうじゃん。もー。
 心の中で悪態をつきつつ、葛籠を抱え直す。「だって、待ってるから」とできるだけ普通に言えば、整った顔に驚きの色がうっすらと滲んだ。
「ああ、気を遣わせてしまったか。急かしたつもりはなかったのだがなあ」
 彼の手元に向けられた、三日月を宿す双眸。
「『一時半』まで『二十六分』ある。すべき事があるのであれば、そちらを優先してくれ」
 おっ、完璧に時計を読めておる。一回説明しただけなのにすごい。「神様」なだけあって賢いんだろうなあ。
「ううん、いいよ。もう来ちゃったし」
 まあ、気忙しかったし焦りもした。だが、野菜も花も午前中にあらかたの世話をしてあるので、午後の仕事はこれといってない。日報を書くのは夜、月曜の今日は出陣も休みだ。食器を洗ってゆっくり寛ぎたくはあったけれど、「優先」事項ではなかった。
「ねえ、なんでずっとここにいたの? 好きにしててよかったのに。待ち合わせに使うからって時計も貸したんだよ」
 燻る疑念を問いに変えると、暗い紺の髪の刀剣男士は唸るような声を喉で鳴らす。少しの間を置き、彼は「何故だろうなあ」と瞳を閉じた。下瞼に落ちる長い睫毛が羨ましい。眉も、鼻も、口も、耳も、全て形が良いなんて……イケメン好きにはたまんないんだろうなー。
 眼の前の美男子が閉眼しているのをよいことに、不躾に眺めてミーハー思考を巡らせる。付喪神のシンキングタイムは短かった。やがて目を開けた彼は、本当に物柔らかな面差しで話し始めた。
「俺にもよく分からんが、どうしてだかお主を待っていたかった。待ち遠しいという気持ちがあったのやもしれんな」
「……え?」
 予期せぬ言葉に呆気にとられ、私は盛大に怯んだ。きっと馬鹿面をしていたのだろう。美しい顔が笑みを深めている。
 この刀剣男士が待ち望んでいたのは座布団か、あるいは──私か。自意識過剰かもしれないけれど、どことなく後者のように思え、好意がずしんとのしかかってきた。熱や甘さは感じないのでラブではなくライクであろうが、彼の後ろで「なかなかの口説き文句だ」などと宣う神様もおり、余計にどぎまぎしてしまう。
 面と向かって友好バズーカをぶっ放された? 嘘でしょ? いや私の思い上がり、勘違いかもしれないよね。けど、うーん……これは……もしそうだったとしても、ちょっと複雑。
 嫌われるより好きになってもらった方がいい。でも、何かがこんがらがる。
「腑に落ちない顔をしているな」
「え? や、そんなことないよ」
 被弾でできた大穴を高速で埋める。素材はすかすかの発泡スチロールだ。
「あー……っと、待たせちゃったみたいでごめんね」
 何を言うべきか迷い、当たり障りのなさそうな文字を組み合わせた。身躱しの術にしか過ぎぬ謝罪だったが、彼は素晴らしい破顔を披露し、「構わんさ」と私を見上げる。
「言っただろう。待つのは嫌いではないと」
 薄い唇から溢れたそれは、私の頭を掻き混ぜた。花壇に並ぶ花の芽、楽しげな声、瞳の中で微笑む三日月。
 これで二度目になる。「待つのは嫌いではない」という台詞を耳にしたのは。
「待つ時間も良いものだ。愉しかったぞ」
 はっはっは、と笑う彼には純真さしか見えなくて。もやもやした気分がすっと失せた。もう、毒気なんか消されちゃうよね。
「へえー、なるほどな。参考にさせてもらうとしよう」
「やめておいた方がいいんじゃない? 邪な心は見抜かれるよ」
 片目に仮面らしき物をつけた神様と、裏地の青いマントを着た神様の会話が聞こえる。そちらをちらっと見てみれば。
「なあお嬢さん。今度は俺と待ち合わせてみないかい? あんたになら、どれだけ待たされてもいい」
 銀髪にスーツの方に絡まれた。なので。
「ええー? うーん、誰かを待たせる気はないかな。待ち合わせするなら時間通りにしようよ。ね」
 と、お堅く流しておいた。

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