07
吊りがちの緋色の眼、野性味のある短い眉、乳白色の豊かな長髪。背の高い男の形状をしたその付喪神は、山吹色の羽織を纏い、灰色をベースにした袴を穿いていた。「狐」を連想させる色合いだ。左右の側頭に一房ずつ跳ねた毛束も、獣の耳のように見える。
す……す……と、足袋が畳を上品に擦る音がして、彼はこちらへやって来た。
「失礼致しまする」
丁寧な言葉遣い。狐みたいな刀剣男士は足を崩して座っている私の正面で止まり、一礼したのち腰を下ろす。真向かいで綺麗に正座をされ、若干焦った。やば、私もちゃんとしよう。
「そんな畏まらなくてもいいから」
言いながらいそいそと姿勢を正す。気を張っているせいか、作務衣の裾の特に目立ちもしない細い皺が目につき、わけもなくぴんと伸ばしてしまった。
「いえ、あなた様の御前ですので。私めにはお気遣いなく、どうぞごゆるりと」
やおら浅いお辞儀をした彼の動きは流麗で、満ち満ちる気品に押しつぶされそうになる。
「えー、そっちこそもっと楽にしてよ」
「いえいえ」
「いえいえじゃなくて」
「……お気に召しませぬか?」
「や、そういうんじゃ──」
葛籠を挟んでそんな応酬をするも、彼は慇懃な構えを解かず。私は手厚い扱いにすっかり萎縮してしまっていた。慣れないし、お尻がむずむずしそう。自分が恭しくされる理由だって分からない。この付喪神は他の神様ともこんな風に話をしていたと思うが、相手が「人間」でもこうなんだろうか。もともと。
「礼儀正しいんだね。すごく」
「お褒めに預かり光栄です」
「あはは。ほんと、すごい。見習わなきゃ」
表情筋がカチンコチンに固まらないよう、努めてソフトな顔を作る。
……やり辛いなあ。
行き場のなさで密かにビクビクしていると、神様が本題に入った。
「その葛籠、見せていただいてもよろしいでしょうか」
「んっ、これ? なんで?」
「少々気になりまして。いけませぬか?」
束の間、「奪われたら」「壊されたら」「悪事に使われたら」という考えが頭を掠めた。だが、「まあ、今はそんなことしないよなあ」と思い直す。眼前に座る彼からは悪意や敵意を感じない。この神様が葛籠の何を気にして、何を視ようとしているのかは定かではないけれど、怖い事や悪い事はしないだろう。たぶん。
「ううん、そんなことないよ。はい」
前方へ葛籠を押し、畳の上を滑らせる。蔓で編まれた四角い箱、彼はそれを徐に両手で持ち上げた。中がどうなってるのか気になるのかな? 得体の知れない物だもんねえ。と、思っていれば。
「……ふむ」
付喪神は唐突に葛籠を顔へ寄せ、くんくんと匂いを嗅ぎ始めたのである。
「へっ、なんで匂うの? 臭い? なんか臭う?」
驚きと同時に作られた己の声は疑問系。頭に浮かんだ言葉がそのまま出てしまっていた。
「いえ、その……」
はっきりしない応答をする彼の視線は葛籠に固定されており、私の方を見ようともしない。上の空の生返事だ。
「何? ねえ、臭い? なんの匂い?」
呼びかけるもノーリアクション。葛籠の外側をくんくんしている刀剣男士に、彼の狙いも行動原理も見えず半ば混乱している私。
神様が私の質問に回答することはなかった。無言で葛籠を回し、匂いをくまなく嗅いでいる。何が何やらさっぱりだが、夢中になっているようだった。
「──香りが弱い」
程なく、そんな呟きが聞こえた。彼は不可解そうな面持ちをして、顔から離した葛籠を置く。
「どしたの? なんの匂い?」
くんくんも治まったし、今なら答えてくれるかな。
「ええ……はい……」
期待して尋ねるも、まーた気のない受け答え。付喪神は目や首、顔を慌ただしく動かして、辺りをきょろきょろしている。鼻をすんすんさせる仕草が、実家で飼っていた犬やこんのすけを彷彿とさせた。雨の訪れを嗅ぎ当てるこんのすけ、好物を前にした犬──うん、すごく似ている。
刀剣男士は心ここにあらずのため、対話できそうもない。ならばと葛籠を引き寄せる。軽く、手触りの良いそれを持ち、鼻を近付けてみた。……無臭ではないが、特別臭くもない。からからに乾いた植物のような匂いが微かにするだけだ。
「んー?」
別に気になるほどでもないんだけど、臭いかなあ。匂うのかなあ。付喪神にとっては変な匂いなのかな? いやでも他の神様は何にも言ってきてないし……。
あれこれ考えつつ葛籠を下ろす。「はー、わっかんないわー」と、腹の中で溜息をつき顔を上げれば、まん丸に見開かれた緋色の瞳と目が合っ──いや、合ってはいない。この神様、どこを見て……葛籠? ううん、手? 手だ。私の手。ガン見してる。
「えっ、何、手? なんかある?」
そろりと引いた両方の手を、なんとなく下腹に当てる。追うように彼の目線もついてきた。未だに鼻をひくつかせている刀剣男士は、徐々に前のめりになってきていて。
「御手を、拝見致したく」
「えー……うーん……」
歯切れ悪く言い、首を傾げる。頭の奥では不確かな警鐘が鳴り始めており、直感的に「嫌」だと、「見せない方がいい」と思った。
それにしても、この手がどうしたんだろう。拝見って何を?
自分の手に異変が起きているのか、彼の気を引く何かがあるのか。確かめるべく、二つの掌を顔の前に出した刹那。
「!?」
座していた神様は、音もなくずいっと身を乗り出してきた。畳に踊る山吹色。羽織に通されてある手が葛籠を横へ払い除けたのだと、一拍遅れで把握する。その時にはもう、すぐそこに顔があった。向こうにあったはずの顔が。
私と彼を隔てる物はない。
「っ、」
ひどく驚いた。身体の芯がパンと弾けてしまいそうなくらい、驚いた。息を呑んで大きくのけぞれば、容赦ない重力に引っ張られる。右肘が地についた。正座のまま後ろに傾いたのがいけなかったのだろう。私は斜めになり、あっけなく畳に沈んだ。
「あでっ」
体勢が崩れ、鈍い衝撃が半身に伝達される。苦痛に呻く自分のくぐもった声が鼓膜を震わせた。
右を下にして横倒れ。視界は暗い。お香のような仄かな匂いが鼻腔を昇る。ぎゅっと閉じていた目を開けると、畳に腕が生えていた。
首を曲げて真上を仰いだ私が見たのは、アップになった付喪神。あろうことか、彼もくっついてきたのだ。
「ちょっ」
おとがいに落ちる下唇の陰や、鼻梁の高さがくっきりと分かる。半開きの口から犬歯が覗いていた。逞しい首筋、はだけた着物の合わせには胸板が。──緋色の眼、なんて深く、赤いんだろう。
「ちょっと、近い! どいてどいて!」
イ草でもこんのすけでも、愛用の柔軟剤でもない匂いがし、胸がざわざわした。
手足をばたつかせ、身をよじる。結界で押し退けようとしたが、彼はびくりともしない。私を挟み込むようにして畳に両手をついているらしく、柱の如く聳える腕は、サイドをがっちりと固めていた。
……これは、なんだ、ええと……覆い被さられてしまっている。