雪解け - なんとはなしに

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「ねえ、いいでしょ? あなたに見て欲しいんだ」
 その子は生き生きとした様子で誘い掛けてくる。どうして見に来て欲しいのかは分からないが、「おびき出して罠に嵌めてやろう」という感じはしない。声を弾ませ、惜しみなく愛嬌を零して笑う彼に、邪心や陰謀の予兆は窺えなかった。これが芝居であれば大したものだ。いや、私の洞察力が鈍かったりして。
 好意によるお招きなら嬉しい。けれど、「うん」と即答するには躊躇いがあった。現状を維持したい私にとって、今以上の関係は望ましくない──望んでいないのだ。
 彼らに関われば関わるほど、不安になる。自身の選択が、会話が、行動が、知らず知らずに親密さを上げているのではないかと。
 ……だって、もうきっと何度も誤っている。自分の甘さや緩さだったり、流されたり押されたりで。
「え? なんで?」
 ピュアな眼差しを受け流しつつ、とぼけるように訳を訊ねた。この子たちとのふれあいは楽しい。しかし、億劫でもある。お兄さんだって気を悪くするのではないだろうか。大事な弟さんの部屋に私なんぞが侵入したら。……ううむ、宜しくないな。
 波風立てずにどうやって断ろう。考えていると、ウインクが飛んでくる。
「なーんーでーもっ!」
 うわあ、めちゃくちゃ可愛い。精巧なビスクドールにアイドルが乗り移ってるみたい。芸能界で子役やってるって言われたら普通に信じちゃうかも。
「うーん……」
「ちょっとだけだから。ね? だめ?」
 彼は首を左へこてっと倒し、南国の海と空を閉じ込めたような瞳を上目遣いにさせる。威力の高いお願いに心がぐらつきだした。私の中では「否」で固まっていたというのに。
 ──どうしたもんかねえ。
 再考する私の耳に、足音と子供の声が入ってくる。群れになって迫りくるそれは、私のいる部屋がゴールだったようだ。
「おーい、審神者はまだなのかー!」
 人妻好きの子。
「遅かねえ。何しとーと? 『時は金なり』たい」
 九州(たぶん)の方言を使う、赤い眼鏡の子。
「こっちはもう、準備できてますよ!」
 朱い胴鎧を着けた桃色の巻き毛の子。
「み、みんな、先に行かないでください……」
 虎を連れた気弱そうな子。
 お出ましになった四振りはバタバタと部屋になだれ込んできて、一様に頬が上気していた。走ってきたせいだろう。この子たちが何をしに来たのかは台詞で察した。人間(わたし)を誘いに行った兄弟がなかなか帰ってこないので、どんな具合か確かめに、というところじゃなかろうか。
「まーだ座っとるばい」
「審神者ー! 早くー!」
「厚兄さんや薬研兄さんも待ってます」
「あ、あの……来てくれるんですか?」
 四者四様のアタック。お掃除部隊がお誘い部隊になってしまっている。……これは分が悪い。雲行きが怪しくなってきた。虎ちゃんも気になる。
「早くしろよー!」
 人妻好きの子がぴょんぴょん畳の上で跳ね、桃色の巻き毛の子は「僕たちの部屋に遊びに来て欲しいんです」と会心の笑顔を出し、うっ、と胸を押さえたくなった。可愛さと無邪気さを炸裂させないでくれ。帰ろうとしているのに、行かない方が無難だと知っているのに、揺らいでしまう。
「ええー、うーん……」
 ぐらぐら。ぐらぐら。
 悩みに悩む。胸に巣食うややこしいものさえなければ、満面の笑みで「うん、行く行くー!」と返事していたと思う。この子たちすっごくかわいいんだもん。子供っていいよなあ。
「随分賑やかになりましたね」
 先程までの談話相手が頬を緩ませ、私と小さな子たちに目をやった。でも、瞼を下ろしてるのに見えてるのかな、と訝しんでしまう。私の斜め横でお手本のような美しい正座をしている彼は、ずっと瞳を閉じているのだ。
「賑やかな方がいいよな。楽しいだろ」
 金の髪をポンポン付きのヘアゴムでくくっている刀剣男士が明るく笑う。今日教えてもらったのだが、彼が肩に纏っているのは「鵺」という妖怪の毛皮らしい。妖怪の毛皮とはまあ、さすが神様。スケールが違う。
「わ、虎くん」
 うわ、うわわわ、虎がこっちに来た。やー、可愛い!
「だ、だめですよ」
 飼い主なのか友達なのか、柔らかそうな白髪の子が金の双眸を歪めた。白いもふもふ、虎の赤ちゃん──よいではないの、よいではないの。私としては全然止めてくれなくていい。命を狙って喉笛に噛み付いてくるとか、とてつもなく凶暴だとか、そんなのがなければ。
 五匹の虎ちゃんが結界に頭突きをしたり、鼻を押し付けたり、前足でタッチしたり、ああ、天国。撫でたいあまりに手を彷徨わせてしまった。が、我慢我慢。
「ほらー、虎も早く来いって言ってるじゃんー!」
 人妻好きの子が畳を踏み鳴らして催促してくる。
「……そう、ですね。虎くんたちも、来て欲しいみたいです。あの、……あなたに」
 んんっ、ううっ!
 脳天に雷が落ちた。うだうだ考えていた事が塵も残さず爆散する。動物好き、なおかつこの虎たちに目をつけていた私からすると、その一発は大きかった。大き過ぎた。ホームラン、急所に当たった、効果は抜群だ。
「えー? ほんとに?」
 ぎゃおぎゃお鳴いてる子虎たちは、眼をキラキラ輝かせて私を見つめている。こんなの、あの子たちの言葉を本気にしてしまうじゃないか。
 愛くるしい虎ちゃんたちに誘われていると思うと、「行かない」の選択肢がひゅるひゅる萎む。抗いがたい子虎の誘惑に負けた私は、ひとたまりもなく白旗を上げた。
「んー、じゃあ、ちょっとだけね」
 この招待を受けて別の何かを断ろう。プラマイは考えとかないと。どうせ今日の家具搬入で接触度がぐーんとプラスに傾いてるから、お誘いがあってもしばらくパスだな。仲良くなり過ぎないように──上手に、上手にやっていかなきゃ。
「わあ、やったあ!」
 頷く私を見た金髪の子は両手を合わせて喜んだ。可愛い喜び方だなあと和むその裏で、私は暗い算段をする。悪あがきにしかならないかもしれないが、どうにかして今の均衡を保ちたくあった。例え避けられなくとも、移り変わりは遅々としていて欲しい。
 私が望むのは、あくまでもゆったりとした歩みなのだ。それが自分本位の保身でしかないことは、重々承知である。

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