雪解け - なんとはなしに

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 お部屋訪問だけして帰る。お部屋訪問だけして帰る。少ーし覗いたら終わり。夕飯作りを理由にして離れに戻ろう。この子たちとのお喋りもそこそこにした方がいいよね。お兄さんへの配慮を忘れないようにしないと。
 そう思いながら立ち上がり、大人の姿をした付喪神の輪から外れる。お部屋訪問後は離れに直帰したかったので、四次元葛籠も持った。縁側で庭を見物している卓上時計を無理やりポケットへ捻じ込み、用意完了。作務衣のポケットが大きめに作られていて良かった。
「置いておけばいいのに」
「足りない物があったらそっちですぐ出せるでしょ」
「あ、そっかあ。ありがとう」
 金髪碧眼の子は疑いもせず私にお礼を言う。ま、まあ嘘はついてない。葛籠を持ち歩いてさえいれば、移動先で不足物品を頼まれてもその場で出せるもん。
「僕、お持ちします!」
「あっ、あの……僕も」
「ううん、いいよいいよ。これ軽いから」
 荷物持ちを志願してくれたのは朱い胴鎧の子と虎を連れた子。良い子過ぎる。微塵も邪気がない。
「行くぞー!」
 人妻好きの茶髪の子は早くも廊下へ出て両手を振っていた。「焦れったい」という文字が浮き上がってきそうな表情をしている。
「こっちばい」
 赤フレームの眼鏡の子も私の前に立って先導しようとしてくれていて、年下のいとこと遊んだ昔を不意に想う。ずっと会っていないけれど、彼ら彼女らは元気にしているだろうか。お正月にはまた会えるだろうか。
「行ってくるね」
 交流会の参加者へ一言言うと、みんな笑って送り出してくれた。
「ふうーん。あの子、狐や亀だけじゃなくて虎も好きなんだねえ」
 背後からそんな声がしたが、聞こえなかったことにする。あの声はたぶん、女物の着物を来た大柄な刀剣男士のものだ。声音に笑いが滲んでいる。馬鹿にした感じではなく、微笑ましそうな、生温いような──なんだか恥ずかしい。
 子虎ちゃんにメロメロなの、モロバレだったかあ……いや、隠すような事じゃないんだけど。
 こそばゆさに口をもごもごさせつつ、小さな子たちの最後尾についた。五匹の虎は私の足元をうろちょろしていて、もう、顔が緩む緩む。「んもー、危ないよお」と、赤ちゃんや幼児を甘やかす時のような声が出てしまった。はあー、すっごく触りたい。抱っこしたい。撫でたい。構い倒したい。
「着いたよ!」
「ここが俺たちの部屋だぞー」
 欲望を燃やして歩き、案内されるままについて行った先は、広々とした部屋だった。十畳の二間続きになっていて、部屋というよりは広間のようだ。襖を外して二部屋を繋げたのだろう。壁の隅に襖が立てかけてある。
「おう、来たか」
「やっと? 俺、待ちくたびれたー」
「粟田口部屋にようこそ!」
「うわあ、来てくださったのですね!」
 到着するなりわっと兄弟が集まってきた。うっ、だ、大歓迎じゃないの……。
 内心たじろいだが、「お邪魔します」と軽くお辞儀をして敷居を越える。部屋の奥にお兄さんと脇差の子たちが居たため、そちらへも会釈をしておいた。
「どう?」
「広いね。家具の置き方も綺麗」
「でしょ! どこに何を置くか、みんなで考えたんだ」
 私を見上げていた金髪の子は室内をくるりと見渡した。十人ほど座れそうな長机がそれぞれの部屋に一つずつと、箪笥がたくさん。座椅子に座布団、鏡台や衝立もある。うん、少しは「家」っぽさが出てきた。でもまだまだ生活感が薄くてモデルハウスみたい。もうちょい日用品があるといいよねえ。
「好きに見ていってくれよな」
 黒くつんつんした短髪の子に言われ、部屋の中をうろうろさせてもらう。早々に帰りたかったけど、せっかく招待してくれたのだ。ちょっとはお付き合いしなければ。
「この箪笥は僕と前田のです。左の抽斗が僕、右の抽斗が前田なんですよ」
「中身は替えの一着だけですけどね」
 ボブヘアーの子とおかっぱの子がくすくす笑って教えてくれる。可愛い。けど、そっか。箪笥があっても、神様たちは今着てる服と替えの服しか持ってないんだよね。あの夜は「下着も他の衣服も要らない」って満場一致で撥ねつけられたから、私も引き下がったんだっけ。
「何か着れそうな服出そうか?」
「ええっ、い、いえ!」
「そういうつもりで言ったわけでは」
 すかすかの箪笥が可哀想になり、衣類の提供を試みたが、ぶんぶん首を振って断られた。うーん。汗や皮脂、垢で汚れない体に着替えは必要ないのかもしれないけど、用途に合わせた色んな服を所持しておくのは悪い事ではないはずだ。
 いつか服問題もなんとかしないとな、と今後の課題にぽいっと加え、短刀の付喪神たちにあれこれせっつかれながら部屋をぶらつく。さーっと一周するつもりだったのに、いざ見て回るとのめり込んでしまっていた。「へー、ここにこれ置いたのか」「ふーん、工夫してあるなあ」と、いくつもの発見がある。
「わっ」
 右の足先に引っかかる何か。浮いた踵。靴下の下でズキズキする親指。あの家具この家具、目移りしていたせいで下を見ていなかった。体が前につんのめり、ぶれた視界に敷居が入る。ああ、これに躓いたんだ。
 しかし、転倒するほどではない。左足は畳に付いているし、右足も痛みを堪えれば爪先でバランスがとれる。あとは踏ん張って──……?
 下半身に力を込めた瞬間、横から腕が飛び出てきた。鎖骨の前で真っ直ぐに伸ばされた紺の長袖。肩と肩を結ぶようにして肌がぞわりとする。私は結界ごと支えられていた。
「……大丈夫ですか?」
 誰の声だろうと思った。聞き覚えのある声なのに、私の知ってる「それ」とはどこか違っていて。
 両足でしっかり立って姿勢を直す。助けてくれた一本の腕を視線で辿り、驚いた。なんで、……なんで、この子が。
「えっ」
 謝意ではなく一驚の声をあげてしまう。転びかけた私を支えてくれたのは、転ばないように助けてくれたのは、「大丈夫ですか」と言ってくれたのは、思いがけない刀剣男士だったのだ。
 髪を緩く束ねた脇差の付喪神。ここへ就職した私を暴言で出迎えた彼は、刀たちの総手入れをしてからというもの、不自然に鳴りを潜めていた。
 向こうに居たのに、いつここに?
「あ、ありがとう」
 しどろもどろに感謝を告げる。黒みを帯びた紫の瞳が、ただただ静かに私を映していた。自己紹介をしてくれた時以来だ。この子と近くで話すのは。けれど、敬語じゃなかったはず。
「よそ見してるからですよ」
 聞き取りミスではない。やっぱり、敬語だ。
「んー……うん、そうだね」
 春夏と、「消えろ」だの「審神者は要らない」だの、こっ酷く私を罵っていた彼であるが、十月の手入れを経て悪口も睥睨もなくなった。私を斬ろうともしないため、今はそこまで憎まれたり嫌われたりしていないのだろう、とは考えている。また、彼の弟にあたる刀剣男士を探し当て、怪我を治してからは、自己紹介だってしてくれたのだ。若干の歩み寄りもあると思う。
 なので、転びそうになった私へ手を差し伸べてくれるというのは有り得なくもない。でも、敬語──どうして敬語。そればっかりは理解できなかった。この子の中で何がどうなって私に敬語を使い始めたの?
「ねえ、なんで敬語?」
 もしかすると、桃色の髪の子を手入れしたから? 恩義を受けて態度を改めたとか? 私が悪者じゃないってやっと認めた?
 ああかな、こうかな、と推察してみる。私を補助していた腕がゆるゆると下りた。
「一つ、けじめをつけました。それだけです」
 夜の始まりのような色をした眼は澄んでいて、吸い込まれてしまいそう。彼の唇の端は仄かに上がっていた。「笑顔」とも「微笑み」とも言えない、本当に、本当に微々たる変容だった。僅かに解れた目尻、笑っているのかいないのか分からない口元、なだらかな形の眉、淡白ながらに柔い声──全部ひっくるめ、不思議と清々しさを覚える。
 ──けじめ。
 胸に染み渡るその言葉。即座に悟った。彼は今までの「彼」ではない。変化を遂げたのだ。決してちっぽけではない変化を。
「おーい、ちょっといいか?」
 茫然としていた私にお呼びがかかる。はっとそちらを見れば、短刀の付喪神が近付いてきていた。そして、私がその子に気を取られているうちに、黒髪の彼は踵を返す。引き留める間もなく、お兄さんたちの所へ向かっていってしまった。
「ん? 鯰尾兄と何か話してたのか」
「あ、うん」
「もういいのか?」
「んー、うん。そう……だね。あっち行っちゃったし」
 あの子がどんな「けじめ」をつけたのかは気になるが、追いかけてまで聞き出すのは良くないだろう。「けじめ」の中身を話したくない可能性もある。
「どうしたの?」
 お兄さんの隣に戻った彼から目を離し、短刀の付喪神に用件を問う。長めの黒い前髪、大人びた浅紫の双眼、男らしい口調。小中学生みたいな外見をしているくせに、子供らしくない神様は、私の側まで来てこう言った。「薬箪笥が欲しい。できれば、大きなやつを頼みたい」と。

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