雪解け - なんとはなしに

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「おーっし、やーるぞー」
 離れから出て、第一声。大きな伸びと共に発した声には、ちょっとしたやる気が滲んでいた。
 そうさ。私、気持ち切り替えて頑張るよ。やってやるぞー。
 一つ深呼吸をしてみれば、鼻の奥がすうっとする。朝の冷たい空気は好き。肺いっぱいに吸い込むと、寝ぼけた頭がしゃんとして、清涼感に満たされるのだ。
 時刻は七時を過ぎた頃で、まだまだ太陽は昇りかけ。私の居る離れの上空のみが、澄んだ青と朝日を見せている。
 本丸御殿の上? 真っ赤ですよ。曇ってるし。不自然だよなあ。とっとと追っ払わないと。
 少しの間忌々しげに赤い空を見上げ、よし、と気合を入れる。
「浄化、しようと思うんだけど」
 後方に控えるこんのすけへそう言うと、私の意図を読み取ったのか、敷地全体の浄化について教えてくれた。やり方は昨日したようにすればいいとのことで、私の中にある力を敷地の隅々まで行き渡らせればいいだけの話みたい。そんな単純なもんでいいんだね。
 ただ、途中で脱力感やめまい等を感じたらすぐにやめるようにと注意された。なにそれ副作用? この力って使えば使うほど体に悪影響があるとか? 不安になってこんのすけに尋ねたが、それは杞憂だったようだ。
 こんのすけ曰く、審神者の力というのは使う分だけ消耗してしまうそうで、何もせずとも自然回復するらしいが、使いすぎれば一時的に体に負担がかかってしまうとのこと。
 なので、もし浄化途中で体調不良が出れば中断し、力の回復を待って再挑戦することになった。私としては一回でちゃっと終わらせたいんだけどなあ。いつまでもこんな空模様じゃ嫌だし、早いとこ仕事のノルマ達成したいし。
「ほんじゃ、始めるね」
「……ええ」
 人間嫌いの小さな狐とは距離感バリバリ。今に始まったことじゃないけど。ま、後ろで見守ってくれてるだけありがたいのかな。役割放棄とかせずちゃんと助言はしてくれるし、刀剣男士? の子たちと違って敵意剥き出しでもないしね。
 あ、刀剣男士といえば。
 私、今もバッチリ監視されちゃってたりするんだよなあ。池の跡地を挟んだ真向かいの本丸御殿、一人の男の子が縁側に腰掛けてこっちを睨んでてさあ、ご苦労なことだよね。おーおー、怖っ。私はなんにもしませんよー。オシゴトしてるだけですよー。
 ……っと、気が削がれそうになった。危ない危ない。
 神経を集中させ、まずは自分の中に力を溢れさせる。溜めて、溜めて、どんどんどんどん力を満たしていって、少しずつ体の外に出していく。できるじゃん、私。ちょっとはサマになってるのかな。こうしてると、改めて得体の知れない職業に就いたんだなあと思う。
 放出した力は目に見えないが、なんとなくどこに在るかは分かる。というか、感じる。それは川の流れのように伸び、私の思うままに動いてくれた。
 ゆっくり広げて、ゆっくり伸ばして、大地に空にと捧げゆく。体に変調はなかったため、もう少しスピード上げて規模を大きくしてみようと考えた。どっちかというと面倒くさがりな私にとって、ちんたらやるのはもどかしい。
 ──ふんっ!
 心の中で可愛げのない勢いを付け、ぶわっと力を拡散させる。すると、本丸御殿の手前までの暗雲が一気に消え、空は透き通った水色となった。霞のように立ち込めていた黒い靄──澱みも綺麗さっぱりなくなり、けっこうまともな景色となる。
 うわー、すごい。こっちの方が格段に早い。ちまちまするより全然いい。うん、体が大丈夫な限りはこれでいこう。
 俄然モチベーションが増し、あっちこっちに力を送りまくる。みるみる空の色が変わり、雲が消え、光が差し──数十分もかからないうちに、こんのすけのストップがかかった。
「そこまでで構いません。あなたのお力、この空間全域に行き渡りました」
「あ、もういいの? そういえば、なんか力が進んでいかないっていうか、抵抗があるっていうか」
 そう。隅から隅まで浄化しようと力を押し広げようにも、ある一点を越えられない。見えない何かが弾力のある壁のように立ちはだかり、通してくれないのだ。まだまだ遠くにパノラマが広がっているのに。
「そこが、此処の終わりです」
「……終わり」
 なんだか、恐ろしい響きだった。
 私の知る世界(ちきゅう)は丸く無限で、終わりなどないものだったから。
 そうか、ここは「箱庭」みたいなものなのだ。斉藤さんに聞いてはいたし、政府からの資料にも書いてあった。「本丸」とは、切り取られた空間に造られた一区域である、と。
 ここは限られた世界。端のある世界。時空ゲートを通らなければ出られぬ、籠のような──。
「案外、狭いんだね」
 四方をぐるりと見渡し、この有限なる世界への直情的な感想を漏らす。籠のようではあるが、まさか閉じ込められるようなことにはならないはず。雇い主様、信じてるからね。閉じ込めたりなんかしたら悪い子になるよ私。グレるよ。斉藤さんに鬼電するよ。
「ええ」
 吐息の混じった短い返答には、どこか感慨深いものがあって。
 こんのすけはこんのすけなりに、この狭い世界に思うところがあるのかもしれない。聞いたところで教えてくれそうにはないが。
「オシゴト一つ完了ーっと。やればできるもんだねえ」
 気分を一新して空を見上げる。うん、良い天気だ。本日は快晴なり。布団干そうかなー。
 ふと、向かいに居るあの男の子の方を見やれば、彼は刮目して朝日の眩しい青空を仰いでいた。喫驚している様子は、見た目相応に可愛らしくもある。ふっふっふ、驚いたろう? 私、すごいだろう? 歩み寄ってくれてもいいんだよ。
 してやったり、な顔で男の子を眺めていると、おや、目が合った。瞬間、男の子は背筋を伸ばし、ハッとしたかのように睨みを効かせてくる。うっわまた鬼みたいな顔になったよー、殺気溢れてるよー、刀の柄に手をかけてるよー、臨戦態勢だよー、なんだよもー。
 はあ、白けた。
 大いに白けた。
 せっかく景色が綺麗になったというのに、興醒めだ。
 青空の下、盛大に溜息を付く。と、池を挟んだあちらの領域、縁側に接している襖障子が緩やかに開き、二人の男の子が顔を出した。一人は見覚えがある。青い髪を結い上げているのは──昨日、会った子だ。
「小夜左文字に、蛍丸です」
 背中にかかるこんのすけの声が、彼らの「名」を告げる。こんのすけには悪いが、あまり覚える気にはならなかった。だって、仲良くなれそうにないし。名前なんて呼んだら怒られそうだし。仕事に協力的じゃないし。もともと人の名前覚えるの苦手だし。
「ふーん」
 新たに出現した二人をじっと観察しながらした返事は、自分で分かるくらい興味のなさそうな音をしていた。
 青色の髪の男の子も、明るい灰色の髪の男の子も、周囲の景観を目にして驚きの表情を浮かべている。面白いくらいにキョロキョロしてるもんだから、再びちょっと得意気になってしまった。どう、これ、私がしたんだよ? 褒めてくれてもいいんだよ?
 それにしても、あの子達はみんな傷だらけなんだなあ。灰色の子なんか、足引きずってるじゃん。うっわ、何あのでかい切り傷。痛そう。前の審神者さんによっぽどこき使われたか、ひどい仕打ちを受けたか……どっちにしろ早く治してあげたい。でもガード固そう。
 二人はしばし挙動不審になっていたが、私の監視をしていた男の子に何かを言われ、ギンとこちらに射抜くような眼差しを向けた。はいはい、分かってましたよ。私はどうせ敵ですよ!
 ちなみに、私の監視をしていた子は、昨日「こっちに来たら殺す」宣言をした黒髪の男の子である。名前はなんていったかな……うーん、魚みたいな、あー……こんのすけが言ってた気がするけど、覚えてない。
 ギラギラと注がれる殺気や憎しみ、負の感情に尻込みした私は、低い声で呟いた。
「刀の修繕、やっぱりまだ無理な気がする」
 こんのすけの肯定を聞き、やはりしばらくは距離を置いたままの方がいいよなあと、不干渉を決め込んだのだった。

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