13
白皙の美少年はしばし穏やかに微笑んでいた。浅紫の双眸に映っていたのは私だったけれど、やがてそうではなくなった。彼は私を見ているようで、何か違うものを視ていたのだ。……とても遠い目をして。
──薄く、色のない唇が動いた。
「あの男が居た頃は、戦に出されるだけ出されて、禄に手入れもされなかった」
古き日々を吐き出すかのように、音がぽろぽろ零される。御殿はがやがやとしていたが、私の耳が彼の声に集中したため、無数の話し声はさっとどこかへ引いていった。
「必然的に自分たちで手当てするしかない。まともな道具も、包帯すらなかったがな。それでも何かできないかって、荒れた山で薬草を探し回ったこともあった。水で傷を洗おうにも、井戸は穢れて使えたもんじゃない。池も干上がってたんだぜ」
その子が宙に目線を漂わせる様を見て、過ぎ去った日を追憶しているのだと思った。彼の脳裏には今、前の審神者や重傷を負った仲間、穢れた本丸の映像が流れているのだろう。
「止血しようにも布がなくて、内番服をかき集めたなあ。俺っちの白衣も、袖から裾まで全部裂いた」
酷たらしい話だ。聞いているこっちが苦しくなるほどに。
息を潜めて浅紫の瞳を見つめる。昔を旅している二つの目は虚ろだった。
「思えば悲惨だったが、今はそうでもない」
回想が終わったのか、焦点が私へ戻る。
「誰がどんな大怪我をしても、あんたが治してくれる」
細まる目、上がる口角。声無き声で、「そうだろ?」と、言われたような気がした。
茶目っ気を含んだ笑顔に心臓が締め付けられる。どうしてそんな風に笑えるのか、分からなかった。あの笑顔の裏には凄惨な過去があって、きっとこの子も辛かったはず。
なのに、こうやって笑い、しゃんと前を向いている。本当にすごいと思った。彼だけではなく、他の神様も。中にはまだ乗り越えられていない刀剣男士もいるかもしれないが、みんな強い心を持っていそう。私だったら病んだまま立ち直れなかったんじゃないかな。
「……面白くもない話をしちまった。そら、薬箪笥を出してくれ」
「あ──うん」
過去を話してくれたこの子に、何も言ってあげられなかった。重くて、重くて、気の利いた台詞が浮かんでこなかったのだ。
名状し難い気持ちで葛籠を振り、「薬箪笥」と念じる。何もなかったそこに焦げ茶色の物体が現れ、畳がみしっと唸った。
「ほー、立派だな」
大きな大きな箪笥。いっぱいある抽斗には、黒く煤けた金属の引手が牛の鼻輪みたいにぶら下がっている。よくよく目を凝らせば、テレビで見たことがあった。時代劇の診療所やなんかで。
「これでいい?」
「上等だ」
満足そうに頷く彼に一安心する。良かった、望み通りの物を出せた。
「ありがとな。あとは俺っちがやっておくから、兄弟の所に戻ってやってくれ」
箪笥に触ったり、壁との距離を目測したりし、短刀の付喪神は中腰になる。そうして、黒い手袋をはめた手で箪笥の角を掴んだ。身の丈を越えるそれを持ち上げんとしているようだった。
「えっ、動かすの?」
「ああ。もっと壁に寄せる」
「えー! 一人で!?」
このでっかい箪笥を一人──いや一振りで動かそうなんざ、いくらなんでも無茶だろう。「神様」とはいえ、体は子供。こんなに大きい箪笥なのだ。中が空っぽでも絶対に重い。
「重いでしょ、手伝う手伝う!」
「いや、大丈夫だ」
「うっそ、だめ。これは一人じゃできないって。引き摺ったら畳が傷むよ」
親切心と使命感が働き、彼の返事を待たずに薬箪笥の端に行く。四次元葛籠は畳へやった。あの子が右で、私が左。二人でやれば少しはずらせる……よね。できなかったら大人の神様を呼ぼう。
「二人でやろう。はい、私こっち持つね」
彼は納得いかないといった顔でこちらを凝視していたが、私が退かないので諦めをみせた。よしよし、共同作業共同作業。安全第一。
「せーの」
掛け声に合わせ思いっ切り力を込める。腕、足、手──筋肉が軋みそうだった。しかし、予想していたよりも軽く、箪笥は無事に持ち上がった。これなら落とさず動かせる。
「俺の方に重心かけてもいいぜ」
「え」
何言ってんの。そんなのいいよ。
断る前に彼が腰を低くし、腕の重みがやや軽くなった。あああ、そっちに負担がいっちゃってるー! 私よりも細いのに、無理してるんじゃないかな?
「ほら、寄せるぞ」
「でも」
「さっさとする」
「う、ううー」
重心戻してー! 水平にしてー! 私頑張れるよー! そう伝えたかったが、彼が動き出してしまったため四の五の言えない。
「ここでいい。下ろせるか?」
「はーい」
「ゆっくりな。手、挟むなよ」
なんだその気遣いは。私よりもしっかりしてるではないの。これじゃどっちが年上か──や、違う違う。見た目は十代でも彼は刀の付喪神様。私なんぞ比べる対象にもならん。
「うん、わかってる」
時間をかけて薬箪笥を壁際に置く。この子の誘導が上手かったので、ずれたり、壁に当たったりはなかった。もちろん、指も挟んでない。ただ、渾身の力で握っていたせいか、指先がじんじん痺れている。労るように掌をこすり合わせる私を尻目に、彼は事もなげな顔をして乱れた抽斗を整えていた。私の分の重量も担っていたというのに、息ひとつ上がっていないなんて。
桃色の髪の子もどっしりとした胴鎧を軽々運んでいたけど、やはり「神様」なだけあって人間(わたしたち)とは同じでないのだ。腕力や体力が桁外れ。
「はあ、すごい。力持ちだねえ」
素直に感嘆する。運搬時の振動で飛び出た抽斗を戻す手が、ぴたりと止まった。浅紫の目が私を捕らえる。
「なあ、あんた。俺っちは『何』に見える?」
怒りも不機嫌さもない。無表情が心を隠している。いやに単調な問いだった。
この子が「何」に見えるか。つい最近の失言を踏まえて返答を考える。子供扱いしてはいけない。「子供」という単語は使わないでいよう。彼は「神様」なのだ。
「綺麗な男の子の姿をした神様……かなあ」
「男の子」も「子供」もそう変わらないと思われたらどうしよう。でも、どうやったって成人男性には見えないんだよね。嘘はつきたくないし……あー、難しい。なんて言えば良かったんだろうな。
正答かどうか自信はなく、付喪神の不興を買ってしまわないか冷や冷やした。
「綺麗な『男の子』、ねえ」
舌で転がすみたいにして呟く彼。浅紫の瞳孔が鋭くなる。不穏な兆候に身が竦んだ。
「これでもそう思うか?」
声がするや否や、細身の体が消え、風が吹く。
──何が起こったのか全く分からなかった。