16
今度こそは離れに帰るぞ。
三人部屋を後にして、気分一新帰途につく。だがまあ、すいすいとは進めない。付喪神たちに呼び寄せられたり、声を掛けられたり──五歩に一回は足を止められた。それでも、立ち話は手短に終わらせ、物品請求への対応は速やかに行い、もと来た道をこつこつ戻る。堅実に、着実に。
……よし、あとちょっとで曲がり角だ。この寮みたいな場所を抜けさえすれば、神様の数も減るはず。
「待て」
気が急いて早足になった私の前に、一振りの刀剣男士が立ちはだかった。キリッとした面貌は石像のように硬く、雰囲気もどこか物々しい。
「何?」
用向きを尋ねながら思う。ただの挨拶やよもやま話ではないんだろうなと。
「お前、それ──」
眉間の縦皺と鋭利な眼差し、そして、重圧感たっぷりの声音。
荒く逆立った髪は金や茶、オレンジが合わさった色をしていて、赤い瞳は紅玉のよう。服装は若干ルーズだ。長く張った紐が支える鎧は、腹にだらんと垂れている。胴を守る防具だというのに、胸部ががら空きじゃないか。
「その葛籠、物を出すのに霊力は使うのかい?」
れいりょく。──霊力? 四次元葛籠で?
「んー? 使わ……ないんじゃないかな。そんな説明されてないし」
着任当日に斉藤さんがここへ送ってくれた四次元葛籠。こんのすけに教わった使い方は、「欲しい物を念じながら振るか、手を入れたらいいよー」って、それだけ。メカニズムも動力も知らない。聞いてもない。でも、霊力やら審神者の力やらは消費しないでしょ。そんな重要な点を斉藤さんやこんのすけが秘密にしているわけがない(と思いたい)。それに、今日の今日まで何十回も何百回も葛籠を使ってきたけど、怠さや眠気に襲われたことは一度もなかった。
「葛籠を使って眠くなったりは?」
「えっ、ならないよ」
間髪入れずに否定する。心の臓がぎゅっと縮んだ。
そうだ、この神様は知っていた。どこで嗅ぎ付けたのか、誰に聞いたのかは明らかではないが、力の使い過ぎが齎す影響も、私が出陣後に昼寝をしている事も。
遡った記憶の中で「霊力を分けてやる」と言った彼の顔は、険しかった。
──どうして。
出かかった言葉を喉に封じる。何ゆえそんな話を仕掛けてきたのか気にはなった。けれど、よく考えもせずに突っ込めば、墓穴を掘ってしまうかもしれない。ああ、面倒。あれもこれも。
互いに視線を逸らさず、睨み合いのようになる。冷たく澄んだ冬の空気に剣呑なものが混じり、不気味な静けさが生まれていた。
まじろぎもしない紅玉の眼。……顔を背け、俯きたくなるほどに居辛い。
「ついて来な」
グレーの上着が翻る。紅い裏地が目を引いた。
「えっ、待ってよ」
こんなのずるい。私の決定権をないがしろにしてずんずん行っちゃうとか。
心の底から嫌なら追わなければいい。しかし、咄嗟に反応した足は自ずと彼を追っていて。角を曲がらず直進すると、これまた和室が続く。付喪神が一振り、付喪神が二振り、付喪神が三振り……こちらも居住区らしい。うーん、ますます寮っぽい。
「どこ行くの」「なんで移動するの」「何するつもり?」
後ろから問いかけるが、刀剣男士は黙っている。がっしりとした背は厳めしくて、ご機嫌斜めというか、怖いくらい真剣というか、なんとなく圧があった。
やっぱり、第三回わちゃわちゃお部屋訪問……ではないよねえ。はあー、どこに連れてかれて、何言われるんだろ。お叱り? 尋問? もう帰りたいよー。ポケットでぎゅうぎゅう詰めになってる時計、何時になってるかな。
──っと。
先をゆく付喪神が止まり、私も急停止する。追突しなくてよかった。
「……」
襖障子を開け、私を一瞥する赤眼の神様。「入れ」ってことだろうな。
そろっと覗き見れば、和風の家具が置かれてあった。田舎にあるおばあちゃん家(ち)のようだ。広さは明るい灰色の髪の子たちの部屋と同じで八畳。
嫌だけど、入らないと事が進展しないので、ビビりつつも敷居を跨ぐ。無人の、いや無神のそこへ私が入室し、付喪神もついてきた。鼻先を掠めるは、むわりとしたイ草の香り。
背後で襖の閉まる音がする。閉じ込められたみたいで胸がざわついた。
「兄弟──兄弟、おい、どこだ」
大股で私を追い越し、部屋の中心まで行った彼が「兄弟」とやらを探す。他に誰かいるのだろうか。私も四方を見てみたが、机の下にも、箪笥の影にも、人の形はない。
「……ここだ」
狼が唸るような声がした。
「まーたか。ったく」
刀剣男士は逆立つ髪を揺らしてずかずかと歩き、奥へ進む。骨張った手が押入れに伸びた。
勢い良く引かれる戸。密閉が解かれ、横たわった男の姿が露わになる。押入れの下の段、探し神はそこにいたようだ。……えっ、なんでそんな所に。
「おいおい兄弟。蔵がないからって、押入れに籠もるのはやめろよ」
「別にいいだろう。蔵に封印されていた俺には似合いの場所だ。……落ち着く」
蔵……封印? 押入れの中が落ち着くというのは分からんでもない。時々いるよね、狭い空間を好む人。押入れとまではいかないけど、私も布団にすっぽり包まるのは好き。安心する。
二振りを傍観していると、押入れから「兄弟」がぬうっと這い出てきた。
うわ……でかい。赤眼の神様も高身長だったが、彼の方が十センチは高そうだ。狭い押入れに籠もれるくらいだから、てっきりこぢんまりした体つきだと──背中丸めてないと収まらないんじゃ。
肩につく灰がかった黒髪。眼窩に嵌まる眸子は、赤は赤でも暗みのある朱殷(しゅあん)色をしていた。切れ長の目、眉は歪み、口は「へ」。お世辞にも愛想が良いツラではない。威厳が満ちまくっている。
この刀剣男士、前もこんな感じだったっけ? どこかでちょびっと話したことがあるような、ないような……あー、包丁直した時? うーん。
思い出そうとしている私へ、一振りが向き直った。
「お前はあいつとは違う」
閉め切られた室内に放たれた声。何を言わんとしているのだろう。
「霊力は弱いし、量も多くない」
ぐさっときた。……反論できない。その通りだもん。浄化ができても、結界が張れても、トータルでみた私の実力はお粗末。
最弱の敵を数体倒すのがやっとの私と、神をも縛り自在に使役していた男じゃ、そりゃあ月とスッポンだ。
「出陣した後、寝て霊力を回復させてるんだろ?」
ふうん、そう繋げてくるのか。まあね、寝て食べて補給してるよ。でもそれ、触れられたくない話題の一つ。ほんと、なんで知ってんの。誰に聞いた? 彼以外の神様も知ってる? 私、付喪神には言ってないよね。こんちゃんの仕業? ここから「戦場に出せ」コンボになると嫌だなー。
「言いたくないってか」
「ううん、そんなんじゃないけど」
図星を指され、焦って早口になる。攻められたら動揺しちゃうなあ。平常心、平常心……顔の筋肉が引き攣らないようにしないと。
「大したことじゃないじゃん。言うまでもないっていうか、ちょーっと寝るぐらいで、気い遣わせたくないし」
「そういうのやめろよ」
マイルドに躱したつもりだったのに、ぴしゃりと撥ねつけられた。彼の眉と眉の間にある皺がぐっと濃くなる。
「俺らを戦に出せばいいものを、お前はそうしない。『自分の仕事だ』、『自分だけでやれている』だと、強情に譲らねえ。使った霊力を分けてやるっつっても、『寝れば問題ない』、『困ってない』だの──今だってなんだよ、気を遣わせたくない?」
まくし立てるように言って、私の方へ一歩踏み出す付喪神。熱い怒りを感じる。紅玉の瞳は燃えていた。
どうしよう。まずい、怒らせた。
胃の辺りが重苦しくなり、冷や汗が出そうだった。如何にして謝るか、彼の気を静めるか、やり過ごすか、ぐるぐると思考が回る。口論、暴力、多勢に無勢……波打つ恐れのせいで、最悪の場合まで思い描いてしまった。
だが。
「──なあ、たのむから少しは頼ってくれ。俺たちを」
きつく吊り上がっていた眦がしゅんと下がる。眼に渦巻いていた炎も下火になり、悲しげな陰が差した。
「お前に何かあったら、嫌なんだよ」
縋るみたいな切々とした声が私の胸に融け、はたと感付く。この神様、心配してくれてるんだなあ、と。
最初に「霊力を分けてやる」と詰め寄られた時は分からなかったけど、今は違う。彼が何を想い、何を考えているのか、骨の髄まで沁み込んできた。
……そっか。心配してくれてるからか。自分の力を分けようとしてくれるのも、軽く返した私に苛々するのも、葛籠で霊力を使うか聞いてきたのも、全て。
貶そうとしてるんじゃない。責めようとしているんじゃない。意地悪でもない。
あー、なんで分からなかったんだろう、私。アホだ。疑いと警戒心とで目が曇ってたのかな。苦手意識を盾にして解ろうとしてなかったのもありそう。
己の愚かな偏屈さに嫌気がさしながらも、私はそっと息を吸った。「ありがとう」と、伝えるために。
「心配してくれて、ありがとう」
言えなかった、こんなセリフ。「『心配してくれて』ありがとう」なんて。言えなかった。
自惚れや思い違いだったら嫌だな、って。後々傷付きたくなくて、怖くて、だから言えなかった。彼らの気遣いや優しさ、好意も、ありのままに受け取れなかった。信じられなくもあった。
──……でも、ちゃんと分かったから。
「ほんと、ありがとう」
上っ面ではなく、きちんと返事をしよう。逃げも流しも隠れもせずに、向き合ってみよう。
「けど、大丈夫。敵は倒せてるし、怪我もないし、使った力は二、三時間寝たら戻ってる。眠いのもだるいのもなくなるよ」
前回同様にお断りするが、言い方や心境はまるで異なっている。一時凌ぎの定型文ではない。一言一句に感情を込めた。
「困ったら相談するね。その時は、よろしく」
演技や作り物でもない顔で、私は笑う。
冷たくされた過去を帳消しにはできない。忘れもしない。だけど、今この付喪神が私に向けている気持ちは分かった。受け取った。
まだ踏ん切りはつかなくても、受容までは遠くても、少しずつ彼らを頼ることは──できるのかもしれない。
「……はあ、頑固な人間だな」
「へへっ、まあね」
「無茶するなよ?」
「うん」
「絶対だぞ」
「……うん」
二つの紅玉を正視する。私の誠意が届いたからだろうか、刀剣男士はそれ以上追及してこなかった。
「よし。俺は坂上宝剣の写し、ソハヤノツルキ。で、こっちは──」
「天下五剣が一振り、大典太光世だ」
刀は名乗り、音を紡ぐ。
「俺たち兄弟の霊力は強い。好きなだけ分けてやる。あいつに扱き使われたせいで腕っぷしも鍛えられてるからな、戦でも役に立てるはずだぜ」
自信ありげな表情になって私へと手を伸ばす神様。反射的に閉眼すると、頭のてっぺんが二度ぞわっとした。瞼を開く頃にはもう治まっており、快活な笑みを浮かべた彼と目が合う。
今は腰に当てられているあの手。さっきの感覚からして、どうも私は頭を撫でられたか、ぽんぽんされたかしたらしい。
「遠慮せずに何でも言いな」
やんちゃっぽく胸を張った彼に見出したのは、他ならぬ兄貴属性である。