雪解け - なんとはなしに

19


 ニコちゃんマークがリズムを刻む。電池の入れ替えをした花子に不具合はなく、元気そのものだった。
 揺れる花子を食い入るように観ているのは、土佐弁の神様と布を被った神様だ。彼らは文机を陣取ったままであり、その周りで他の刀剣男士たちが「良かったな」「いつもの花子ですね」と目尻を下げている。たくさんの付喪神に復活を喜ばれ、花子もどことなく嬉しそう。命も心も宿らぬ「物」だというのに、ニコちゃんマークが精彩を放っているように感じた。
 花子電池切れ事件もこれにて一件落着。ささやかな達成感を胸に、今こそ離れに帰る頃合いだと思い立つ。三度目の正直──ううん、四度目? 五度目? なんでもいいや。時間的にももう戻んなきゃ。御殿が仄暗くなってきてる。夕暮れは過ぎたんだろうな。太陽も沈んでそう。
「花子も大丈夫っぽいし、私、帰るねー。お邪魔しましたー」
 部屋にいる神様たちへ暇を告げ、退室する。土佐弁の刀剣男士が「もっとゆっくりしとうせ」と言ってくれたが、今日は遅いからと断らせてもらった。薄暮が夜になる前には帰りたい。私とこんのすけのご飯を作らないと。
「……わあ」
 廊下に出た私が嘆息したのは、橙色の幽かな光が見えたから。
 障子に透けるそれは火のゆらめきに合わせ、生き物のように震えている。まばらだけれど、あっちの部屋にこっちの部屋に、橙色の明かりが灯っていたのだ。
 行灯、使えたんだねえ。神様たち、やっと真っ暗闇とおさらばするのかー。火打ち石に困らなかったかな? 和紙破ってないかな? 蝋燭は斜めになってないかな? 上手に点灯できてたらいいなあ。
 ちょっとだけ微笑ましくなり、ニヤつきそうになる口をすぼめる。そうしている間にも、近くの部屋でカッ、カッと堅い音がし、新たな光が生まれた。火起こしが成功したようだ。
「おお、やったな村正!」
「huhuhu……簡単でしたよ。蜻蛉切は力み過ぎなのデス」
 襖障子の隙間から声が聞こえた。付喪神は火打ち石も難なく扱えているらしい。「力み過ぎ」だと言われていた刀剣男士はどうか分からないが。
 日没後は夜闇に包まれるばかりだった御殿も、ついに明るくなる。付喪神たちは睡眠を取らないので、ここは不夜城になるかもしれない。……か、火事だけは用心して欲しいよね。や、な、ないとは思うけど。
 点々とした温かな光を眺めながら歩き、ふと違和感を覚えた。ポケットに。
「……ん?」
 軽い。あるべきはずの質量がない。
 脇に挟むようにして葛籠を片手持ちにし、立ち止まる。フリーになった手で太腿を触ると、左ポケットには平べったい物、私の携帯があった。だが、右ポケットには何もなく、ぺったんこ。
「あれ?」
 一つのポケットに携帯を、もう一つのポケットに卓上時計をねじ込んでいたのに──おかしいぞ。
 秋冬用の厚手の作務衣。ポケットに手を入れてみるも、指や手のひらに当たるのはごつめの生地のみ。そこに私物の時計はなかった。
「んー……あっ」
 そうだ。走ってる途中にポケットがもぞっとしたんだよね。駆け足でずり上がっちゃって、そのままボトッと落ちたのかも。もともとポケットから少しはみ出てたし。あの時はバタバタしてて気が回らなかったなー。
 はあ、探さねばならん。複雑なルートじゃないっていうかこの廊下だけだから、すぐに見つかるかな? 落ちた衝撃で壊れてなかったらいいんだけど。
 面倒臭い。やや憂鬱になりつつ、暗がりに目を凝らす。向こうの廊下もぽつぽつと明かりがあり、光と影が漏れていた。床や天井は淡く照らされ、陰影の施す化粧が木目模様を妖しく魅せている。
 幻想的でありながら、ほんのちょっと怖くなった。足が竦む。過去にテレビで見た心霊番組の風景とダブったからだろう。
 ──よくよく考えてみれば、ここに住むのは人ではない。
 ぞぞぞ、と寒気がする。何を馬鹿なことを。刀剣男士は幽霊じゃない。神様だ。実体だってある。
 自分を奮い立たせて息を吐き、時計探しの道に戻ろうと足を動かした。
「お待ち下さい」
「っ!」
 後ろからした声に驚く。心臓が口から飛び出そうだった。まったくもって間が悪い。
 ドキドキしながら振り返れば、数メートル先に男がいた。先月は銀行印を、今日は葛籠を届けてくれた付喪神。体を反転させ、こちらへ歩いてきた彼と相対する。腰の高さにある白い手袋をはめた手が何か持っており、思わず「あ」と口が開いた。
「捜し物はこれでしょう?」
 差し出されたのは私の卓上時計だ。宵闇とはいえまだ明るさは残っていて、視野はまずまず保たれている。見間違いではない。
「うん。どこにあったの?」
 腕一本分の距離。煤色の髪の付喪神は唇の端をくっと上げた。笑顔というかドヤ顔というか……ううむ。
「岩融と今剣の部屋の前──あの辺で落とされましたよ。廊下が交わる四辻よりも手前の場所です」
 目線で示されても、誰かの名を伝えられても分からない。しかし、交差点付近であることは把握した。ついでに自分が落としたというのも……って、あんた、私が落としたこと知ってたんかい! まさか目撃者か!
「私、落としてた?」
「……いえ、あなたが落としたのではありません。これが勝手に落ちただけです」
 うん? なんだそりゃ。あっ、なんか気を遣われた? 「私が落としたんじゃなくて、時計が落ちた。私が悪いんじゃなくて、時計が悪い」ってニュアンスじゃない? ええええ。何その配慮。
「そっかあ」
 困惑を隠して相槌を打つ。すると彼は、一度目を伏せた後に話しだした。
「他の奴らに踏まれないうちに、俺が拾いました」
 ふ、踏まれ──!? あっぶな!
「うわっ、ありがとう!」
 子供の体格をした神様ならともかく、偉丈夫みたいな神様に踏まれてたら即アウトだ。時計はお陀仏、付喪神は負傷……よくないよね。危ない危ない。助かった。
「どうということはないですよ」
 感謝を言葉にしたからだろうか。煤色の髪の刀剣男士は、心なしか得意げな表情になっていた。

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