20
葛籠の上に投げて載せてよ。そうお願いしたら、彼は冴えぬ顔で「もしあなたに当たってしまったら……」と口籠った。私の頭部や顔面にぶつけてしまわないかと、気が引けていたらしい。「そこはなんとか頑張って」と返した私のこれは、無茶振りになるだろうか。
でも、煤色の髪の刀剣男士は印鑑ケースの時のように上手くふわーっとトスしてくれ、私はきちんと卓上時計を受け止めることができた。無論、顔や頭ではなく葛籠で。
チッ、チッ、と規則的に音を鳴らす簡素な時計。長針と短針は狂わずに動いている。欠けたり、部品が取れたりもなさそうだった。
「はあ、良かったあ……」
「壊れてないようで何よりです」
張り詰めていた彼の表情が緩む。つつがなく時計を投げ終え、緊張が解けたようだ。この付喪神、思いやりがあるし真面目だよね。まあ、今が十月だったらどうだったか分かんないけど。おでこにバシーン! ってしてきたかもよ。流血事件になるくらいの力でさあ。
「うん、ありがと。……あ、葛籠と一緒に渡してくれたら良かったのに。そしたら二度手間にならなかったでしょ?」
お礼の後に疑問を付け加えれば、神様は「ですが」と言ってきた。
「あの時は『だんしんぐふらわあ』の件で忙しそうでしたから。時計は後回しにした方がいいと判断しました」
おー……ほうほう。そだね。花子の電池切れ事件でバタついてたもんね。君は空気を読んだのか。
「あっ、それもそうかー」
合点がいって数回頷く。
「はい」
刀剣男士も短く首を縦に振り、会話が途切れる。薄闇に紛れて訪れたのは、沈黙だった。
彼は落とし物を届け、私はそれを受け取った。双方、用事は済んだのだ。ずっとこうして向かい合っている必要はない。
では、ささっと退散しようかな。……と、思ったのだが、別の考えが横から主張してきた。「もう少し話してみたら?」「もっと踏み込んでみたら?」と。理由ははっきりしない。だけど、心の中の私は強く提案し続けている。
何を言おうか。何を話せばいいのか。僅かに迷って開口する。正面の刀剣男士は背筋を伸ばして佇立していた。
「……えっと、君って親切だよね。この前の印鑑も、ありがとう」
私がぎこちなく喋ると、彼ははにかんで吐息を漏らす。キツそうな目鼻立ちをしていても、笑い方はとても優しい。
「礼には及びません。お安い御用ですよ。あなたが何か落とせば拾って届けますし、失せ物は以前のように必ず探し出します」
「ありが──えっ?」
以前のように? 探し出す?
引っかかりを覚え、脳が目まぐるしいほどに活性化する。そして心当たりが弾き出された。印鑑ケースの事だ。
私、この神様が偶然見つけて拾ってくれたもんだと思ってたけど……「以前のように必ず探し出す」ってさ、ひょっとして──。
「ねえ、前に返してくれたやつ──あれ、もしかして探してくれたの? たまたま見つけたんじゃなくて?」
そういえば聞いていなかった。彼が印鑑ケースを拾うまでのいきさつを。
煤色の髪の付喪神をじーっと見上げる。均整のとれた顔から笑みがなくなり、青紫の瞳がきょろりと揺れた。
……あ、これ。言いにくいんだな。ていうか、どんぴしゃっぽい。
ピーンと働いたのは女の勘。私は彼の方に数歩迫って、「ちょっと、正直に言ってよ。気い遣わずに」と告げた。この神様が私を慮って返事を選んでいるように感じたのだ。優しい嘘をつかせてしまうかも、とも。
「探したの?」
我ながら鋭い語勢だった。問い詰めるような、嘘はつかせないぞというような、そんな声。それが功を奏したのか、彼はバツの悪そうな面持ちをしながらも、「探しました」とぼそりと答えた。大当たり。
「嘘、やっぱり! マジで!? 何時間ぐらい?」
また一歩、ずいっと前に出る。付喪神は若干反り身になり、眉をぴくつかせた。閉じた唇をこじ開けたくて、私は「ほんとのこと言わないとだめだからね」と神に凄んだ。いやだって、ちゃんと知りたいし! 知ったうえでお礼言いたいし!
「正確な時間は分かりませんが、空が白むまで──ですかね」
空が白む!? よ、夜明けまで!?
「いつから?」
「さあ……あなたと会った後、しばらくしてから探し始めました」
「しばらくして」って言っても、それ夜には変わりないでしょ? うわっ、夜から明け方までじゃん! 一、二時間とかじゃなくて数時間じゃん!
「ええー!? 一晩探してくれたの!? ごめん、そんなに探させて!」
ああ、非常に申し訳ない。私が捜索を頼んだり強要したりしたわけではないのだが、赤の他人の銀行印を見つけるためにそこまでしてくれていたのかと思うと心苦しい。有り難いんだけど申し訳ない。
「あ、謝らないでください。俺が独断でした事です」
「いやでも悪いよ! ごめんね。私、落ちてるのを偶然見つけて拾ってくれたんだと思ってた」
葛籠の上から時計が落ちないよう気をつけつつ、頭を下げる。多大な労力をかけさせてすまなかったな、というのと、彼の苦労や努力を一ヶ月もの間知らずにいた罪悪感。のうのうと過ごしていた自分が愚かしい。はあ……印鑑を渡してくれた時、しっかり確認しておけばよかったんだよね。喜ぶばっかりだったのがいかん。
「ありがとう。暗いし寒いしで骨が折れたでしょ? 明かりもないのに」
顔を上げて礼を言う。提灯も懐中電灯も、マッチ一本すらない夜の庭は、月や星があるといえど闇深かったはずだ。時節は十一月、きっと寒かっただろう。
なのに夜通し探してくれたなんて。探し出して、届けてくれたなんて。感謝しかないよ。
「いえ、そんな──」
「絶対大変だったって! ほんとにほんとに、ありがとね」
謙遜しようとした彼の言葉を遮り、青紫の双眸を見据える。煤色の髪の刀剣男士は視線を宙に遊ばせていた。右、下、私、下、左、上、私──と、落ち着きがない。
程なくして、まごついていた神様の口がのっそりと動いた。もう瞳は泳いでいない。私だけを見ている。朧げな熱がそこにあった。
「あなたの役に立てたなら……俺は、それでいいんです。あなたの役に立てることが、嬉しい」
静かに息を継ぎ、付喪神は自分の胸へ右手を当てる。劇的で、けれど仰々しさのない仕草だった。
「俺はへし切長谷部と言います。できればへし切ではなく、長谷部と呼んでください。困り事があればなんでもお申し付けを。最良の結果を出してみせますよ」
丁寧に一礼する彼の、凛とした相貌。
なぜ私の役に立とうとしてくれているのか。言動の真意は捉え切れてないが、厚意や温情といったものはしかと伝わった。
「ありがとう。超頼もしいね」
こんのすけみたいに信頼できる、ってわけじゃない。結界を解く気にもならないし、アレも水に流せない。この先、まだもやもやもするだろう。
でも、今の私はこの刀剣男士を疑わしいとも怪しいとも思わなかった。偽らざる気持ちで「ありがとう」と言える。先月との大きな違いだ。
私が笑いかければ、神様の唇は弓のようにしなった。矢になる声はない。優しい形にほっとする。
「ああっ、そんなところにいたんだね!」
煤色の髪の付喪神とほんわかしていたら、誰かの叫びが耳をつんざく。廊下を駆ける足音も始まった。
「き、亀甲貞宗──!」
顔色をさっと変える煤色の髪の神様。どうやらお知り合いらしい。仲間なんだから顔見知りで当たり前か。
足音は私の後ろ側にあり、そっちに目を向けると白っぽいシルエットが近付いてきていた。……これはなかなかの爆走。どなたかな? って、げっ! こ、こいつは!
「はあ、はあっ……やっと見つけたよ! ぼくに首輪を着け──いや、出してくれないかい!?」
尻叩きの刀剣男士!
「ええっ!?」
な、なんなのいきなり。首輪? はあ? しかも「着けろ」とか言おうとしてなかった? うっわ!
「『お守り』なんて贅沢は言わないから! こんのすけみたいにぼくの首にも何か──」
引き気味の私へ、奴はじりじりと間合いを詰めてくる。
「やめろ、驚いているだろう。おい、両手を広げてにじり寄るな!」
牽制する彼の動きは俊敏だった。あっという間に私の後方に回り込み、尻叩きの刀剣男士の首根っこを掴む。そして、ご退場。己の宣言通り、早々と最良の結果を出してくれたのである。