雪解け - なんとはなしに

27


 一振りと一匹の合意のもと、お試しだったこたつは正式採用となった。彼らのプランに沿う談話室になればいいが、どうだろう。温かいこたつとふかふか絨毯で神様たちがのんびり過ごせますように。
「こたつも絨毯もこのまま置いてくね。他に足りない物ががあったらまた今度言っ──ん、もお、やーめーて」
 ……ぞわ、ぞわ。空中でじゃれる狐が結界に当たる度、肌がこそばゆくなる。「なきぎつね」は依然ちょんちょん、つんつんしてきており、お供の狐曰く「拗ねておりますなあ」とのことで。そう言われると、同じ顔でもいじけたように見えてしまう。
「……」
「はいはい。つっついてもじろじろしてもだめだよー。これの説明するから聞いてね」
 拗ね狐には悪いけど、スルー。つっつき攻撃を耐えつつ、私はちょっと強引にこたつの使い方や注意点なんかを話していった。神様がこんな調子なので、お供の狐にさえ説明できればいい。と思っていたのだが、「なきぎつね」もつんつんの手を休めてそれなりに聞いてくれた。指は狐のままだったけどね。
「私、今日はもう帰るからさあ。足入れても温かくならないとか、温度が調整できなくなったとか、そういう事があったら呼んで」
 ざっくりと伝え終え、葛籠を持って帰り支度。ポケットには携帯と時計がちゃーんとある。忘れ物なしだ。
「はい。審神者どの、素晴らしき調度品をありがとうございました。刀剣男士一同、そしてわたくしも、大切に使わせていただきます」
 律儀な狐は畳まで出てきたのち、前脚を揃えて礼をする。
「ううん、いいよいいよ。大事に使ってくれると嬉しいな」
 畳に座る一匹とこたつに座る一振り。
「ばいばい、またね」
 両者へさよならの目配せをすれば、お供の狐が「ええ、ぜひまた」と笑った。付喪神の方は黙っている。だけど、彼の作った素手の狐はこちらに向かって左右に振られていて、どうも私を見送ってくれているようだった。声はなくとも、あれは「ばいばい」だ。
 顔の下半分がお面で隠れ、目や眉といった上半分も変化に乏しい「なきぎつね」。相変わらず表情は分からないし、喋りもしない。何を考えてるのかさっぱりで、驚かされる行動もあった。……でも、悪い神様じゃないんだろうなあ、と思う。不思議と嫌にはならなかった。
「じゃあ、お邪魔しましたー」
 軽く目礼をして足を一歩出す。何気なく出口を見て、全身がぴしっと固まった。天啓が降りたのだ。なんというグッドアイデア。うん、そうだ。そうしよう。
 脳内会議は不要だった。全私が賛成した。なので、くるりと方向転換し、真後ろへと進路をとる。縁側に出るために。
「おや、そちらからお帰りで?」
「うん。靴置いてるとこまでもうすぐだから」
 青い髪の子を探してうろついていた場所もだが、ここいらに並列する部屋はどこも外に近い。廊下の反対側にある襖障子を出れば縁側だ。屋内の移動は刀剣男士にエンカウントする確率が高いと考え、ならばいっそ、縁側に行っちゃえばいいやと。長いだけで入り組んでいない縁側なら、迷うこともないだろう。
 ゴール地点は目前。私が始めに通された部屋まで遠くはない。
「左様でしたか。どうかお気をつけて」
「はーい。ばいばーい」
 今こそ別れめ、いざさらば。お供ちゃん、癒やしをありがとう。次はもふらせてね。
 外の弱々しい光を受ける障子紙はぼんやりと明るい。襖障子の前まで歩き、葛籠を抱えてない手で開けると、冷たい風が肌を裂くようにして過ぎていった。
「……寒っ」
 身震いして後ろ手に戸を閉める。そうしている間にも、また一つ冷気が走った。今夜は風があるらしい。日中は凪いでいたのに。
「鳴狐、皆々様にも『こたつ』の良さを体感していただきましょう。さあ、行きますよ」
 襖障子の裏側に弾んだ声。お供の狐だ。あの子と「なきぎつね」、今から他の神様を呼びに行くのかな。……みんな、こたつを好きになってくれたらいいんだけど。
 寒さで体に力が入り、両肩が上がる。視界に入った空の色は、群青と薄紫のグラデーションになっていた。中途半端な夜の帳。一番星がちかちかと耀いている。あの空は今、宵の明星だけのもの。
 ──暗い。八割方夜じゃん。ま、六時前だとこうもなるよなあ。はあ、早く戻ってご飯作んないと。あと一時間でこんちゃんが帰ってきちゃう。おかず、何するんだっけ。ああ、昼の残りに手を加えるだけか。そうそう、鶏肉のケチャップ和えに、油揚げと小松菜の煮浸し。……うーん、豚汁もつけようかな? 油揚げ入りで。
 そうだ、明日か明後日、離れにもこたつを出そう。うちは御殿みたいに広くないから、ちんまりしたのじゃないとだめだよなー。ノーパソ乗せてる文机は片付けるしかないか。じゃないとこたつが置けない。
 平々凡々のなんてことない雑事を頭にぷかぷかさせ、左へ首を捻る。横断歩道を渡るわけではないが、念のために安全確認。「車がきていないか、右見て左見て、確認しましょう」……これを習ったのは幼稚園だったか、それよりもっと小さい頃だったか……。
 ここは本丸。時の政府が造った異空間。私の住む現代日本とは環境がまるで異なっていて、自動車の飛び出しなんぞあるはずもなかった。車自体が存在しないのだ。道路も。
 変な話、この地で接触事故が発生するとしたら、相手は車や自転車ではなく──「付喪神」。
 ほら、言わんこっちゃない。あそこ。
 左には何も居なかった。だが、右には。長い長い縁側、ずうっと向こうに影が見えた。四辺が薄暗く、また距離もあり、誰なのかは不明である。背の高さから体形が大人だというのは分かった。
 その神様は一振り、縁側に立っている。何をしているんだろうとは思った。こんな所に一振りで。ただ通り合わせただけか、散歩か。もしや私に用があって待ち伏せをしていたんじゃ? などとも推し量ってはみたが、それにしては寄ってこない。動かないのだ、彼は。
 一抹の奇怪さ。何かが起こる予感。私はそれらを振り払う。
 ……まあ、いっか。私に用事があるんでもなさそうだし、時間も時間だし。声かけなくていいよね。
 会釈だけはしておこうと、ぺこっと彼に頭を下げる。耳元でひゅう、と風が鳴いた。冷たくて耳がじんと痺れる。
 言葉のない挨拶はこれで終わり。私はさっさと靴を履きに行くつもりだった。でも、顔を上げるか上げないかのうちに、鈍い音がして。物が落ちたような、重い何かがぶつかったような──。
「えっ、どしたの?」
 前を見て、我知らず声が飛んだ。のっぽの影が縮んでいる。神のいたずらで身長が低くなったのではない。あれは蹲っているか前屈みになっているかだと、微妙な陰影が私に教えた。
「だ──大丈夫?」
 びっくりしたせいか控えめな呼びかけになった。影は答えない。身を起こす気配もない。夜が始まったこの世界で、あの刀剣男士に何があったのだろう。怪我か病気か、はたまた別の要因か。なんにしたって放ってはおけず、私は床に葛籠を投げやった。
 ポケットの上から時計を押さえ、小走りで影へと駆ける。徐々に顕になってゆく神様の姿態。あまり会ったことのない刀だ。しかし、初対面ではない。包丁の手入れで御殿に出向いた際、案内してくれたのが彼だった。それ以降はほとんど関わりなかったけれど。
 黒髪にスーツの付喪神は、縁側に片膝をついて背を丸めていた。深く俯いており、顔ではなく旋毛が見える。幅のある肩が上下するのに合わせ、はあ、はあ、という荒い息が聞こえた。
 ──明らかに様子がおかしい。
「痛い? 苦しい? どうしたの?」
 普通ではない彼の傍らに座り、下から顔を窺う。暗さで血色までは分からないが、苦痛に歪む痛々しげな面貌だった。
 これはいけない。救急車……は違う。斉藤さん? どうしよう、どうしたら。先に他の神様を──。
「誰か呼ぼうか」
 耳に入ってないかもしれない。話すのもしんどいかもしれない。返事を待たずに動いた方が良いだろう。
 大声を放とうとすると、彼が頭を振る。声帯のすぐそこまで来ていた空気は気管に戻り、私は開きかけの口を結んだ。
「平気だよ」
 絞り出されたような声は掠れていた。声を聞くだけでもかなり辛そうだった。とても「平気」には思えない。
「でもすごい苦しそう。誰か他の」
「いいから」
 息絶え絶えに言い、頑なに拒む刀剣男士。私の話は遮断された。
「……呼ばないで」
 がくりと垂れ切っていた首に若干の気力が戻る。黒い頭を鈍重に持ち上げ、神様は私に瞳を向けた。二つではなく、一つ。
「呼ばないでくれないかい」
 眼帯で塞がれた右目、私を映す左目。訴えかけるような、哀願的な眼差しをしていた。闇のベールがかかる彼の眼は何色だっただろうか。記憶の中では金かオレンジであるが、定かではない。
「お願いだ」
 苦しげな面持ちで、なぜそうも助けを撥ねつけるのか。痛切に「お願い」と言われてしまい、どうにもこうにもできなくなった私は、息を凝らして彼に付き添った。容態が悪化するなら即刻叫ぼう。
 何なんだろう。どうしたんだろう。本当に誰も呼ばなくていいのかな。なんで呼んじゃだめなの? 呼ばれたくない理由があるの? そもそもこの神様がこうなってるのはなんで? 怪我? 病気? わかんない。死なないよね? 死んだりしないよね?
 不安と恐怖に押し潰されそうだった。結界すれすれまで付喪神の側に寄り、彼の顔つきや息遣いを細かく見る。他人事なのに生きた心地がしなかった。
 しばらくして、呼吸がじわじわ安定しだす。短くて頻回だった息は伸び、回数が減ってきた。呼吸と連動していた肩も止まる。眉間の皺や頬の強張りも解け、穏やかとまではいかないが、苦悶の顔ではなくなった。
「っ、はあ」
 水泳の息継ぎみたいな音。深呼吸なのか、溜息なのか。その神様は体の力を抜くようにして床板に尻をつく。長い足が縁側の外にだらりとはみ出した。
 もう大丈夫なのかな。楽になったのかな。
 いつ声をかけるか迷いながらも、口を開く。
「……大丈夫?」
 まだ少し体調が優れなさそうな彼へ問う。庭を向いていた顔が私へと傾いて、ひとりでに崩れてしまうのではないかと思うくらいの、儚い笑みが返ってきた。

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