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「今日の結界は粧し込んでるんだな。厚いし、硬い」
前触れなく切り替えられた話題。私の首の前で神様が手を操った。少しの力で押して、軽く叩き、やわやわと摩る。どれもこれも、検査するかのような動きだ。彼の指や掌が透明な膜を這う度、喉元がぞわっとした。
……なんで、バレてんの。
驚かせ好きな刀剣男士が何を言ったのか。自分の置かれた状況を認識した私は絶句する。一秒にも満たない僅かな時間で突き抜けた寒気。骨の髄まで凍ってしまいそう。粟立つ肌の不快感が薄れるほどに、受けた衝撃は莫大だった。
「──え? そうかなあ?」
しらを切った自分の声は別人のものみたいで、おかしくもないのに顔が笑いの形状をとる。自衛本能が作動していた。
「なんだ。自覚なしか? 普段より範囲も広いぞ」
この結界は私を守る盾。物理的な攻撃を弾き、刀たちとの距離を保つ、なくてはならないもの。
厚さ、硬さ、広さ。何もかも視えているというのか。今に至るまで一度も指摘されたことがなかったから、結界の強度やら射程やら、神様たちには分からないのだと思っていた。
でも、それは私の誤認?
「うーん……」
結界について思い当たる節を探すフリして、彼への対応を考える。偽らずに事実を伝えるか、しらばっくれるか。或いは、話をすり替えるか。
嘘はつきたくないが、正直に話すとなると、彼らに対する私の苦手意識や汚い部分を知られる危険性がある。しらばっくれるなら上手くやらないといけない。下手すればこの付喪神に不信感を与えてしまう。話をすり替えるにしても同様だ。
ああするなら、こうするなら。諸々の選択肢を思索する私の頭は、高速でフルパワーに達していた。まだまだ戦略を練りたい。しかし、あまり長く待たせると怪しまれそうなので、そろそろ決断せねば。
「あ、こっちに来る前にちょっと強くしたかも。すごい、分かるんだね」
言い回しはあやふやだが、私は真実をセレクトした。ただし、見せたくない、触れられたくないところは非表示。そして、さり気なーく探りも入れる。
「ははっ。体はきみと同じ人に近いが、これでも付喪『神』だぜ。そりゃあ分かるさ」
「へえー、そうだったんだ。初耳」
げっ、分かるんかい。なんて思いながら平静を装うと、ドアにするようにして結界がノックされた。
「秋も冬も、きみが屋敷に居る間はいつもこれが強化されている。どうしてだ?」
「ん? えーっ、……なんでだろ? 深い意味はないんだけど、『念のため』かな? あはは」
ま、毎回バレてたのか。うわー。
ひくつきそうになる頬筋に力を入れて笑顔を固める。楽しくなんかないけど、笑って取り繕うしかなかった。
これが十月だったらズバッと言えたかもしれない。心のバリアをバチバチにして、「あんたたちに切られた時のためだよ」って。でも今は──そんなの無理だ。心許してくれた神々の想いを無下にしたくないし、前向きになってきている繋がりに変な傷をつけたくもない。
「『念のため』、──か」
「うん。とりあえず強くしとこーって感じ」
「ほー、なるほどなあ」
「うんうん」
わざと軽薄な態度を取って、この話を「雑談」にしようとする私。頭ではずっと警鐘が打ち鳴らされている。根掘り葉掘り聞かれると困るし、私の中にあるどろどろした汚泥を見透かされるのも嫌だ。ここらで終わってくれれば、と祈るも、驚かせ好きな神様は結界から手を離さない。
「つまり、きみは『刀剣男士(おれたち)に危害を加えられるかもしれない』と……少なからず思っているってことかい?」
あー、的確。まずい。
「え、ううん、違うよ。一応だってば」
「違わないさ。『一応』でも『念のため』でも一緒だろう? そもそも、結界を張る目的は何だ。自分の身を守るためじゃないのか。俺たちから」
「いや、うーん……」
形勢は不利。口を濁してやり過ごすのは厳しそう。
「結界は──ねえ? だって、最初が最初だったじゃん。あんたたちすんごい人間不信で、『近寄ったら殺すー!』みたいな雰囲気だったし」
「ああ……そうだったな」
納得したかのように一つ頷く付喪神へ、私は畳み掛ける。
「ずーっと前に別の子に切られたりもしてるから、これがあった方が安心かなーというか。お守り的な?」
「ほう」
彼の笑みは薄れていた。結界に添えられていた手の甲がくるりと裏返され、掌が壁を撫でる。ざわついた皮膚が煩い。
「だが、今きみに何かしようなんざ考える刀はいない。あの男ときみは違うと、俺たちもようやく区別がついた。中にはまだ、きみを避ける奴もいるが──それでも、刀を抜いたりはしないさ。きみが何もしなければ」
これは真情なのだろう。私を見下ろす目は実直だった。胸が締め上げられるほどに。
「んー、そう? まあ、何にもしないけど。てか、できないもん。私に神様を怪我させるような力ないよ」
「はは、それもそうか。あの男は規格外だったが、きみはそうじゃないからな」
言葉を切った神は緩い微笑みを湛える。人工的ではない顔だ。自然な表情が出てきて少しほっとした。
「質も量も月並の霊力、兵法に無知、武器も使えず武術はからっきしで、審神者としても未熟」
結構な貶しっぷりだが、彼の声がまろやかだったせいか悪口だとはとれなくて。酷いことを言われているのに、怒りも悲しみも沸かなかった。
ああ、うちの弟のあれに似てるんだ。「姉ちゃんはアホだよなー。買い過ぎ。後先考えらんねー単細胞」って私を馬鹿にしつつ、なんだかんだ荷物を持ってくれるあの子の、親愛なる嫌味に。
「きみは弱くて非力だ。けど俺は、そんなきみを気に入っている。楽しそうに野菜や花を育て、こんのすけを甘やかし、俺たちを守ると言ってくれたきみをな」
真っ向から目線を絡められ、呼吸の仕方を忘れそうになった。
「他の刀はどうか分からんが、俺はきみと良い関係を築いていきたい」
結界から手をどけた彼が唇の角をニッと上げる。
「……きみはどうだ?」
「えっ」
止まっていた時計が動き出したかのように、私は我に返った。ぼけっとしてる場合じゃない。
「あ、うん。私もそう思うよ」
「本当か? こんなに結界を飾り付けておいて。きみ、俺たちを怖いと感じたり、不満に思っていることがあったりするんじゃないのか」
問われ、胸がぎゅっとなる。冷たい手で心臓を握られたみたいだった。
もう、ほんと、ヒヤヒヤだ。核心を見事に突かれてる。
「え? ううん、ないない」
反射的に飛び出た大きな大きな嘘。自ずとへらへらしてしまう。己の声は羽のように軽く、チャラついていた。
「一つも? どんなに些細なものでもいいんだぞ」
見破られているだろうか、疑われてないだろうか。「ない」と返事をしてしまった手前、後に戻れない。どうしよう。
「うん、ないって。あったら言うもん。こんちゃん引き連れて文句ぶちかましてる。正面衝突、戦争開始だよ」
作り顔でシャドーボクシングをしてみせれば、付喪神は「そりゃあおっかない」とお手上げポーズをとった。
冗談と軽口は便利だ。隠し事の手伝いをしてくれるし、時に信憑性を持たせてくれたりもする。空気だって和む。
けどこの嘘は、こんな芝居は……。
「きみのことになると、こんのすけは鬼になるからなあ」
ユーモアで返してくれた彼に、すごくすごく申し訳なくなった。せっかく聞いてくれたのに。解ろうとしてくれたのに。
今私がとった行動は過ちでしかない。相互理解の道を踏み外した。こじれたままになってしまった。
──でも、だからといって本心を曝け出せるかと言われたら、……まだできそうになくて。対峙する勇気も覚悟もない。私はいつから弱くなっちゃったんだろう。昔はあんなに図太かったのになー。
「そうなんだ? まあ、こんちゃん私のこと大好きだしね」
「おっ、言うじゃないか」
「事実だもーん」
表面上は気軽なお喋りになった。意気地なしの自分を隠してこんのすけの話をし、彼と別れる。
「当分は驚かしたりしないから、光坊だけじゃなくて俺とも話をしてくれよ」
と言い、人当たりの良い笑みを置き土産にして帰っていった刀剣男士。その背を見ながら、焦燥感に駆り立てられる。
今のは絶対に駄目な展開だった。私はやらかしてしまった。あの神様にも悪いし、自分を自分で追い詰めている。……後が怖い。
心が夜に侵食されて、気にならなかった闇の暗さが急に不気味に思えてきた。
この日ついた大嘘を、私はのちのち後悔する。