33
やってしまった。腹を割って対話するチャンスだったのに、とんでもない嘘をついた。
私が悪い。私が悪いんだけど、ポロッと出てしまったっていうか……後々ヤな事にならないといいな。はー、なんでノータイムで嘘を並べちゃったんだろ。脊髄反射で言っちゃったよ。もう、やだ。
微かに漏れる御殿の喧騒を聞きながら、葛籠を抱えてとぼとぼ歩く。腕も心も重い。驚かせ好きな神様への後ろめたさや、犯した過誤への焦りと不安。それらは船を泊める錨のように胸底に沈んでいた。
──あ、靴。
足を引きずる私だったが、第一のゴールが目に入り、ちょっとだけ気分が浮上する。行儀よく揃えて脱いでおいたスニーカーが見えてきたのだ。
はあ、やっと帰れる。
我が家。私の縄張り。安息の地。纏わり付いていた沈鬱がぼとぼと落ちて、歩くスピードが少し上がった。逸る気持ちで靴を履き、爪先を地面にトンと打ち付ける。履き慣れたスニーカーは体の一部のように足にぴったりフィットした。
もういいや。帰ろう。座布団は──明日でいっか。こんな時間だし、疲れたし。あの神様を探すのも他の神様捕まえて託すのも、今日はしんどい。
「座布団は明日の自分に任せよう」と決め、離れ目指していざ行かん。けれど、私の足が動くよりも先に、耳が後ろの音を拾った。それに気を取られ、下肢へ伝わるはずの信号が断ち切られる。
ここへ来てすっかり聞き慣れた、下桟と敷居の擦れる音。誰かが障子を開けたのだ。
吸い寄せられるようにして、顔が背中側を向く。上半身ごと振り向いた私が見たのは、縁側へゆるりと出てくる付喪神。夜の闇や屋根の影で全貌が分かりにくかったが、上から下までじーっと目で確かめ、彼があの刀剣男士であることを識別した。
「あ」
尋ね神との巡り合わせに唇が開き、冬の大気で口腔内がひんやりする。突発的だったので、一瞬ぽかんとしてしまった。
「帰るのか」
ゆったりとした声音。刺々しくなくて、のほほんとしていて、なぜだか胸を撫で下ろしたくなる。
離れに進めるはずだった足を回れ右させ、私は彼と向き合った。
「うん」
答える間、神様が縁側の端までしずしずと歩いてくる。そんなに接近しなくていいのに、結界の側に立つもんだから、真下から見上げなくてはならない。ついさっき庭に降りたせいで高低差が増しているため、彼と視線を交えようとすると首が伸びる。軒裏を見ているのかと思われそうだ。
「……座布団」
最後の最後で足止めを食らったが、この神様ならちょうどいい。よし、座布団をあげよう。帰宅前に会えて良かった。
「座布団、出すね」
横にスライドするようにして彼から数歩離れる。縁側に葛籠を置けば、「おお、頼む」と声が降った。
「忘れられていたかと思ったぞ」
品の良い笑いを含ませながら言われ、ちょっぴりムッとしてしまう。
聞き捨てならんことを。私は初めにあんたに座布団を渡そうとしてたのにさ。「後でいい」ってどっかに行っちゃったのはそっちでしょ? んもー。
あ、でも、この神様が出てきたのって私が最初に家具を出してた部屋だよね。もしかしてそこで待ってたとか? うーん、行き違いになっちゃってたのかな。
「忘れてないもん。あんた、『後でいい』って言った後にずーっと取りに来ないし、気にしてたんだよ私。うろうろしてても会えなかったから……明日にするつもりだった」
非難も混ぜて弁明すると、刀剣男士は「そうだったか」と優美に笑う。秋の夜に三日月観賞をした時からそうだが、彼のおっとりのんびりは一貫している。毒気やらもやもややら抜かれちゃうなあ。癒やしの波動でも出てたりして。
「そうだよ。忘れたなんて失礼な。はい、どーぞ」
座布団一枚、へいおまち。
「いやいや、助かる」
受給したての座布団を彼の足元にぽすんと配る。付喪神は持つでもなく、掴むでもなく、そこへちょこんと座った。……ここで座るんかい。寒いし、外だし、部屋に戻って使えばいいのに。
「うむ、尻によいな」
「そ? よかった」
「もう一枚頼めるか」
「いいよ」
新しい座布団を手早く取って突き出す。彼が座ったので、目線がぐんと近くなった。喉を反らさなくてもよくなり、首が少々楽になる。
「他の神様の分?」
会話の一端として何気なく訊ねる。穏やかに座す刀剣男士は柔らかく息を吐いた。笑ったんだな、と思った。
「いいや」
にこにこしている美しい神様。その麗しき見目には夜すら似合う。
「これは来客用だ」
「来客……?」
彼の答えに違和感が生じる。刀剣男士じゃないお客さんて誰? 私はてっきり、自分の部屋に遊びに来た仲間の分か、ルームメイトの分だと予想してたんだけど。
「んん? 分からんか?」
「えー……うーん……」
他の神様のものではない、来客用。はて、どういうことか。まるで謎掛けを受けているみたいだ。
んー……。
「俺の目の前に居るぞ」
へ? めのまえ? ……えっ。
「──私?」
唖然として自分を指差すと、付喪神が「ご名答」と首肯する。ご名答も何も、もろに正答を教えたのはあんたじゃないの。ここには私たちしかいないのに、「目の前に居る」とか。私じゃん。
「こちらへ来たお主が落ち着いて腰を掛けられる物を用意しておこうと思ってな。硬い畳に長く座るのは辛いだろう? この座布団があれば、縁側であっても座敷であってもお主を持て成せる」
情の宿された声遣い。
「え、大丈夫だよ。いい、いい、私のことは気にしなくて」
「そう言うな。それともなんだ、もうこちらへは来てくれないのか」
お次はからかうようなトーン。
「いや、そういうわけじゃないけど」
青年の見た目をしておきながら、絵本に出てくる好々爺のような口調の神様。素なのか話術なのか、私は翻弄されっぱなしである。やりにくい。
「では、来てくれるのだな?」
「んー、まあ、うん。用があるならいつでも行くよ」
四次元葛籠に蓋を被せる私の斜め横で、彼が「ううむ」と首を捻った。何か気に食わなかったらしい。
「些か寂しいな」
「え?」
「俺は用の有る無しにかかわらず、お主に顔を見せに来て欲しいのだが」
んん、そこか。「用があるなら」は冷たく聞こえたのかな。
「あー……」
なんて返そうか考えていると、笑い声が発される。
「はっはっは、俺が参った方が良いかもしれんなあ。お呼びさえ掛かれば疾く疾く参じよう。庭の隅でも池の淵でも」
「ええっ」
そ、そうくるの? この刀剣男士はまじで掴めない。ころころ変わるんだもん。
「無理にとは言わん。お主の気が向いた時、畑仕事の合間にでも、このじじいの話し相手になってくれ」
「えっ……う、うん」
ペースを乱され、戸惑いつつも「うん」と言ってしまった。これは流されたなー。
「うむ。よきかな、よきかな」
古めかしい言葉を満足げに述べ、彼は座布団を脇へ置いた。そして、居住まいを正して私に向き直る。
「今日は世話になった。空の屋敷も住まいらしくなり、皆、活き活きとしていたぞ」
間を取るように閉じた唇。薄いそれは柔和な笑みを刻んだまま、やにわに動いた。
「有難う」
純粋な謝意が表される。滑らかな所作で座礼し、顔を上げた彼の面持ちは、ただただ温かで。臭くも「慈愛」という表現を使いたくなるくらいだ。
「……どういたしまして」
ずるいよねえ。そんな顔で「ありがとう」なんか言われたら、嬉しくなるしかないじゃん。
頬に熱が集まりそう。嬉しくて、恥ずかしくて、むず痒い。
「あの、えっと、帰るね。そろそろこんちゃん戻ってくるから」
身の置き所がなくなってしまったので、もにょもにょしながら別れの挨拶。神様は始終笑っていた。
冷やっとしたこと、ドキドキしたこと、もやもやすること、色んなものがわーっとごちゃ混ぜになってたけど──なんか良い感じの終わり方になったな。まあ、座布団はお届けできたもんね。何はともあれミッションコンプリートだ。
夜道の果てに我が家へ到着し、土間に入る。戸口を閉める際に見た御殿の縁側には、ぼやっとした影があった。マイペースな付喪神はまだあそこに座っているようで、「帰るまで見ててくれたのかな」と思うと、またもや胸がむずむずする。
……ばいばい。
心で唱える別れの挨拶。柄にもなくもじもじして、彼へ向けてちょっとだけ手を振った。こんな小さな動き、あちらからは見えないだろう。恥ずかしいので見えて欲しくないような気もする。だったらするな、って話なんだけど、でも、どうしてだかそうせずにはいられなかったのだ。