雪解け - なんとはなしに

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「あっ、あー……えっと、いいよ。終わったことだし気にしてないよ」
 刀のお詫びを待たずして、先回りの返答をする。動揺は収まっていない。ただ、警戒心はいくらか緩んだ。彼が匂いを嗅ぎにではなく、謝りに来たと把握したから。
「真でございますか!」
 ひえっ。
「う──うん」
 悲愴感を背負いし付喪神の猫背がシュバッと直り、その機敏さに驚かされる。押し潰されていたバネがびょん! と元に戻る様に似ていた。色んな意味でドキドキしている私に、チクチク──いや、グサグサと突き刺さるのは、前のめりになった「こぎつねまる」の、縋るような眼差し。
「なんと寛大な御心か……!」
 寛大……ではないけど、悪いと思ってくれて、こうして謝罪に足を運んでくれたんだから、ね。分かってもらえてるならいいんだよ。あの時は油揚げの匂いでおかしくなってただけなんだよね。
「お赦し頂き、感謝致します!」
 お、おう、なんか元気になったなー。胸のつかえが取れたのかな? まあでも、萎縮しっぱなしなのも良くないし。
「ううん、いいって。でも、すんごいびっくりしたから、もうやめてね」
「はいっ! しかと心得まする……!」
 神様は深々と頭を下げた。風圧を感じそうなくらい、または「ガバッ!」と効果音が付きそうなくらいの礼だった。百万馬力か。そこまでしなくてもいいのに。
 徐々に姿勢を戻した彼の顔には愁思など毛ほどもなく、喜色に満ち溢れていた。この蒼天に相応しい、清々しさのある満面の笑みだ。
「小狐丸、その言葉、ゆめゆめ忘れぬように」
「わ、分かっておる」
 こんのすけがチクリと釘を刺せば、「こぎつねまる」は決まり悪そうに顔面を引き攣らせる。珍しくジト目になった管狐と、微妙にむすっとしてる神様……なんだか火花が見えるような。あ、押し倒された話をした時、こんちゃん怒ってたもんねえ。私のことを大事に思ってくれてるからなんだろうけどさ。
「こんちゃん、いいから」
 宥めると、相棒は温容に微笑む。
「はい」
 頬を綻ばせて私を見上げ、お利口さんに返事をしたこんのすけ。よしよし、良い子だ。と相槌を打とうとするが、間髪入れず別の話を持ってこられた。
「主様、油揚げを用いた昨夜の手料理、とても美味しゅうございました。私は本当に果報者です」
「えっ、うん?」
 藪から棒に言われ、疑問文のような「うん」が出てきてしまう。どういうつもりだ、なぜ今その話題にした、と聞くよりも先に、刀剣男士が口を開く。
「……油揚げを用いた手料理」
 あんたはそこに反応するんかい! やっぱり「狐」が名前に入るだけあるなあ。
「ええ。いなり寿司と、ぱりぱりに炙った油揚げを頂きましたよ」
 わあ……こんのすけさん、えらいドヤ顔してますね? 何、自慢? この神様に嫌がらせしてる?
「いなり寿司と、ぱりぱりに炙った油揚げ」
 こ、「こぎつねまる」がなんとも言えない表情になってる。羨んでるのかボケッとしてるのか──えっ放心してない? 大丈夫?
「味が染み、しっとりとしたいなり寿司。七輪でかりかりに炙った油揚げには醤油を垂らし……ああ、美味でしたなあ。舌がとろけてしまいそうなほど、美味でしたなあー」
 あ、確信しました。これ嫌がらせだわ。もー、こんちゃん、根に持ってるね。私を押し倒したことへの仕返し? 神様も反省してるし、時間割いて謝りに来てくれたんだし、もういいでしょ。
「こら、こんちゃん」
 咎めるように名を呼ぶと、管狐はわざとらしく肉球でマズルを押さえ、上目遣いでにこりとする。あざと可愛い奴め。どこでそんな小悪魔技を覚えたの。けしからん。
 こんのすけの地味ないじめを受けた刀剣男士は、未だに魂が抜けており、ほげーっとどこかを見つめていた。こんなに打撃を被るとは……ちょっと可哀想だ。
 うーん、「こぎつねまる」においなりさんや炙り油揚げをあげようにも、昨日こんのすけが食べ尽くしちゃってるしなあ。この子、他の料理は残しても、油揚げはぺろりと平らげるんだもん。さすがだよねー。
「狐ってほんとに油揚げが好きなんだね。あはは」
 手始めにお茶を濁す。彼には悪いが、めんどいので今から油揚げ料理を作る気はない。
「ごめん、もういなり寿司も炙った油揚げもなくて……」
 呆然としていた神様の目が私に定まった。
「いえ、そんな──あなた様が謝るようなことは」
 彼の魂はちゃんと戻ってきたらしく、緋色の双眸があっちこっちに揺れている。しょんぼりしたり、元気になったり、上の空になったり、慌ただしい付喪神だ。
「……あの」
「ん?」
 結界の向こうでもじもじとしている「こぎつねまる」。冬の庭に沈黙が降りた。それを破るのもまた、彼であって。
「もしお許しいただけるのならば、その……今一度、御手の匂いを」
「えっ」
 恥ずかしいのか、神様の顔は少し赤らんでいる。「匂いを」の後に続くのは、「嗅がせろ」しかないだろう。自意識過剰だとしても、それしか私には思いつかない。
 なんつーお願い事を。困ったぞ。
「過ちを繰り返すつもりですか」
 と、ここで我が相棒の鋭い声が飛ぶ。
「な、何を──!」
「手弱女(たおやめ)たる主様を畳に組み敷くなどという狼藉を働いたのは、どこの戯け者でしたかねえ」
 おいおいこんちゃん、いじめ再開か。あと、私は手弱女ではない。盛るな。
「うっ、こ、こんのすけ……きょ、今日は必ずや自制する」
 風船から空気が抜けるみたいにして、しゅんしゅんと活気が萎んだ。体格とマッチしない、ぼそぼそとした声色である。
「聞き入れては、くれませぬか」
 捨てられた犬のような瞳が私を映した。答えを求める視線にへばりつかれ、どうしたものかとこんのすけを見る。足元の相棒は何も言わない。あとは私の好きにしろ、ってことだろう。……はあ。
「こぎつねまる」をじーっと凝視しながら黙考し、心に決める。私も甘くなったなあ。
「ちょっとだけだよ」
 現物支給ができない代わりの、匂いのおすそ分け。
 壁の間近まで行って、右腕を差し伸ばす。手首から先だけが結界の外に出るようにした。私自身は内側にいるため、「何か」起きても安全だし、「何か」起こる前に逃走もできる。少なくとも、前回よりガードは硬い。押し倒されることはないはずだ。
「よ、よろしいのですか!?」
 ぐわっ、キラキラスマイル! 油揚げってすごい。武士の情けだぞ。あー、でも、油揚げの匂い残ってるかな?
「ちょっとだけだからね」
 再々念を押しておく。仏心で嗅がせてあげても、大サービスは致しません。これがお供ちゃんだったら思う存分くんくんしてもいいんだけどなあ。それで、見返りにもふもふさせてもらう。
「は、はい。では、失礼して……」
 いそいそと私の手に鼻頭を近付ける「こぎつねまる」。高く通った鼻梁は憎らしいほど整っていて、彼もイケメンなんだなーという感想を齎した。
 結界に当たるか当たらないかの距離、美形の付喪神がすんすんと鼻を鳴らす。掌にふわふわ掛かる息がくすぐったい。
「油揚げの匂い、する?」
 一くんくん、二くんくん、三くんくん、と、手を匂っている彼へ問う。一晩過ぎちゃってるし、お風呂も入ってるし、水仕事もしてるし、油揚げの匂いなんかとっくに消えてるかもしれない。「神様」の嗅覚なら分かったりするのかな?
「いいえ」
 うーん、しないか。ごめんねー。……あ、私の手じゃなくて、油揚げを渡せば良かったじゃん。食材は葛籠からすぐ出せたのに。浅慮だったわ。
 刀剣男士はそこに油揚げの名残がないというのに、匂いを嗅ぎ続けている。残り香を探しているのだろう。油揚げを一枚進呈しようか悩んでいると、彼の瞼がうっすら開いた。
「ですが、あなた様の匂いがします」
 そんなのが耳に入ってきて、私の思考回路がぶっ飛ぶ。
「清冽な地下水と、あなた様の柔い肌の、とても良い香りです」
 己を立て直すこともできず、ちゅどーん、と追撃。「こぎつねまる」はうっとり、そりゃもう恍惚とした媚笑を見せた。
 想定外の急変に頭がついていけてない。フリーズしてしまった私には、手を引っ込めることすら考えられなくて。付喪神が様々な角度で鼻をひくつかせているのを、肝を潰して眺めるのみ。
 ──鼻が結界に触れた。そうして、彼の白い頬が私の掌へすりりと寄せられる。直接ではないのに、掌全体がぞわりとした。
「小狐丸、そこまで」
 足元で生まれる風。黄色と白の物体が宙に舞う。それがこんのすけだと認知した刹那、「こぎつねまる」に華麗な尻尾ビンタ(正確には結界ビンタ)がヒットし、「小狐丸、貴様あー!」なんて怒号が聞こえてきた。

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