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逆三角の尖った歯を見せ、からりとした笑みを浮かべていた薙刀だったが、にわかに左上を仰ぐ。腕の中の管狐もそう。彼と同様に鼻先を大空へ向けていた。
「……?」
不思議に思い、私も首を伸ばしてそちらを見上げてみる。御殿の瓦屋根と、その後ろの真っ青な空、眩い太陽──視野に入ったのはそれらのみだ。特段珍奇な物はない。
こんちゃんも「いわとおし」も、どこ見てるんだろ。鳥でもいたのかな。
一匹と一振りへ目をやるが、彼らは屋根の方に注目し続けていて。薙刀の口ががばりと開いた。
「隠れることはない。出てきてはどうだ?」
隠れ……隠れる? 誰か居るの? 屋根? 空? えっどこ、誰?
彼の視線を追い、目を眇める。ちょうど太陽と重なった。お日様フラッシュで眼前がチカチカするも、懸命に瞼をこじ開ける。陽光と交戦しながら「誰か」を探していると、軒先の上ににょきっと何かが出た。逆光で見辛い。丸いようなボコッとしてるような、頭……?
「今剣、見ろ。この額にできた瘤、審神者殿に治してもらったぞ」
屋根に潜んでいるらしい「誰か」──「いまのつるぎ」へ声を張る薙刀。尖った爪の先がつんつんと自身のおでこをつついている。腫れてたところを見せようとしてるっぽいけど、あんなに高い場所からでは分からないんじゃなかろうか。んー、でもこの神様は刀剣男士の中でもかなりでかい(縦に)部類だし、上に居るであろう付喪神の視力も良ければ、案外見えたりするのかも。
「いまのつるぎ」をよく視たい。だが、お天道さまは光を弱めてくれず、澄み渡る空の青も目に滲みる。視界が白んできたため、目玉を休ませようと顔を下げた。直射日光は強い。こんのすけを抱いたまま両眼を片手でごしごし擦る。
「さあ来い、今剣よ。心配無用。この審神者殿は善き人間だ」
薙刀は一点の曇りもない双眸で屋根に──屋根の上の「いまのつるぎ」に話しかけている。
……「善き人間」ねえ。私の腹の底を知らないからそんなこと言えるんだ。はー……嬉しいっちゃ嬉しいんだけど、複雑。
朗らかに口角を上げる彼を釈然としない思いで見ていると、頭上でカンと音がした。空き缶を蹴ったような音だった。首を反らして上方を向けば、小柄な人影が宙に飛んでいて、心臓がひゅんと縮まる。碧空を背に、服や髪をひらめかせながら降下してきているのは、子供?
落ちてる、危ない!
「──っ」
あ! と叫びそうになるも、その子がテレビに出てくる超人の如く軽やかに着地したので、私は吸った息を吐けなかった。なかなかにショッキングな光景だ。怪我はしていないようで、小さなその子、「いまのつるぎ」は赤い一本下駄を鳴らして「いわとおし」の後ろへ走ってゆく。屋根から地上にジャンプしたというのに、足すら痺れなかったのか。すごい。
はあ、良かった。事故にならなかった。落ちて骨が折れるんじゃないかってヒヤッとしたけど、元気そう。身体能力たっかいなあ。
安堵で全身がぐでんと弛む。肺に溜まっていた空気が鼻息となって排出された。知らず知らずのうちに力んでたみたい。いやほんとドッキリどころじゃなかったよ。じゅ、寿命が。
「はっはっは! よく来た。相も変わらず天狗のように飛んで跳ねおるな。審神者殿が驚いているぞ」
体を揺すって笑う薙刀の付喪神。彼は逞しい腕を己の背面に回し、「いまのつるぎ」の肩口に手を置いた。肉のない狭いそこは、大男の黒い手にすっぽりと包まれてしまう。
薙刀の後ろに居るその子は木の枝のようになっていた。「いわとおし」のごつい体躯を幹にして、胸から上をにょきっと生やしている。
私にピントを合わせた紅赤色の大きな目。灰色の髪は右耳の後ろでお団子に縛られており、余った毛束が下に流れていた。髪と同じ色の眉はお供の狐と似た麻呂眉だ。顔立ちは幼い。背も低く、「いわとおし」の腹の高さに頭がある。あの風変わりな帽子はどういった物だろう。
「そう気を張らずともよい。さあ今剣、挨拶はどうした」
おそらく「初めまして」の「いまのつるぎ」。刀帳の中でしか見たことなかったが、短刀だっただろうか。刀種の欄になんて書いてあったかな。体つきが子供だから短刀で間違いないと思うけど……や、明るい灰色の髪の子みたいに、小さくても「大太刀」な子もいるし。うーむ。
「今剣」
挨拶を勧めてか、薙刀が「いまのつるぎ」の華奢な肩をとんとんする。背に隠れた我が子をあやす親を想起させた。
「……」
引き結ばれた唇は不動だ。ビー玉のような眼はしげしげと私を眺めていて、眉と眉の間に皺の谷ができている。警戒しているのか、怖がっているのか、どちらにせよ友好的ではない。
「こんにちはー」
気まずさに耐えられなくなり、私から挨拶をしてみた。努めてフレンドリーっぽいのを。
が、何も返ってこないどころか、眉間の谷がレベルアップした。あー、懐かしい。これこれ、昔はこういうのばっかりだったもんなあ。「帰れ!」「審神者は要らない!」がプラスされたら完璧。刀で脅したりとかもね。
「がっはっは! 黙りこくってしまったなあ」
耳にガツンとがっはっは。薙刀は私の愛想笑いや「いまのつるぎ」に漂う隠微な不穏を物ともしない。その豪胆さが羨ましい。
「おお、そうだ。今剣も肘を擦り剥いていただろう。どうだ、俺の様に治してもらうか? 審神者殿に」
えっ、私? って、その子も怪我してるのか。うんうん、治すよ。治すけど……私がやってもいいのかなあ。
提案した神様と、提案された神様。二振りは目と目で話しているかのように、長く見つめ合っていた。私とこんのすけは蚊帳の外だ。
薙刀を見る「いまのつるぎ」は心許なさそうで、もう苦虫を噛み潰したような形相はしていない。仲間である刀剣男士には懐を開いているのだろう。言葉がなくとも、どことなく分かる。
抱っこしているこんのすけをもふりながら待てば、「いまのつるぎ」が白い片袖を捲り、ずいっと肘を出してきた。薙刀の後ろ、眉間にまた谷を刻んで。この子は私に煙たそうな顔をする。
右の肘頭にはできたばかりであろう傷があった。十円玉ほどの大きさだ。止血しているが表皮は破れ、ピンク色の肉が見える。ふんふん、擦り傷だね。
肘を私へ向けたまま、険のある眼でぶすっとしている「いまのつるぎ」。傷を見せているだけなのか、治療してくれてもいいぞということなのか。黙っているため、彼が何を考えて生傷を披露しているのかさっぱりである。「いわとおし」のパスもあったし、場の雰囲気的には治しても良いような……だって嫌ならまず見せたりしないよねえ。
「治そうか?」
……無言。
「止めとこうか?」
……無言。
「うーん」
悩ましくて小首を傾げてしまった。薙刀は「いまのつるぎ」を見守るに留まっており、口を挟んではこない。さてどうする。何の返事もないけれど、この子は肘を戻さず、それが答えのような気もする。私の見当が外れていなければ。
「肘出してるなら治しちゃうよー?」
「いまのつるぎ」の意思を吟味すべく聞くと、彼は紅赤の目を僅かに逸らして、だけどすぐ、私を見た。今も右肘は露だ。
「いいの? 嫌なら肘隠さないと、本当にやっちゃうよ?」
最終確認。薙刀の後ろの神様は身動きせずに黙っている。これだけ言っても肘を晒しているのだから、「了承した」と捉えてもいいだろう。眼下のこんのすけは「構いません」と、力の使用を是認してくれた。
「じゃあ、やるね」
刀が毛を逆立てた猫になってはいけないので、近くに行くのはよしておく。治して良いらしいが、あれは「治してくれるの? 嬉しい」という面ではない。せいぜい「治すなら治せよ」ぐらいじゃないか? ……ま、いいや。さっとやっちゃお。
相棒を片腕抱きにし、右手を空けて「いまのつるぎ」へ。手掌から力を放出するイメージで治れ治れと念じる。「いわとおし」や「あきた」、「いちにい」の時と同じように。
何かを──私の力を感じたのか、小さな付喪神の肩や上肢がふるりと震えた。肘頭の傷はパッと治り、ピンクの肉は肌色の皮膚になる。
「はい、終わり。痛くない?」
柘榴みたいな色の瞳が私と肘とを見比べ、下を向く。眉間の厳しい谷が若干薄れていた。あの谷がマリアナ海溝にならなくてよかった。
「主様、ご気分は」
「だーいじょうぶだって」
こんのすけを一もふ、二もふ。
「うむ、治ったな。そら、礼を言わぬか今剣」
薙刀が「いまのつるぎ」の背中をぽすりと押せば、「いまのつるぎ」は紫の袈裟をぎゅうと握る。幹と木の枝ではなくなった。子供が大人に抱きついている構図だ。
「お礼なんかいいよ。治ったならそれで」
笑って二振りへ首を振る。と、あの子の顔がひび割れたように歪んだ。
「ばかみたいです」
初めて聞いた声はくぐもっていて、彼はここにきて一番の顰めっ面になっていた。色白の小顔に渦巻く激情。眦はキッと吊り上がり、二つの赤い眼が私を睥睨している。怒っているのだと思った。
「あなたがさいしょのさにわだったら、ぼくたちは」
言い切らずに身を翻した「いまのつるぎ」。すごい剣幕で、噛み付かんばかりの怒りがありながらも、私が最後に見た顔は──苦しげで辛そうでもあった。
「今剣!」
井戸屋形に立て掛けられていた鞘付きの薙刀が荒々しく掴み取られる。一本下駄で高く跳ねみるみる遠ざかっていく彼の後を「いわとおし」が追い、私とこんのすけが声を発する間もなく、二振りの姿は消え去った。