44
「うわー、薪足りないね」
「土間に──おや、ありませんな。薪棚からお持ちしましょうか。それとも葛籠を……」
今夜は豪勢にすき焼き。材料は切って、割り下も作った。あとは鍋で煮込めば完成……なんだけど、竈の火が弱い。とろ火どころじゃなく、今にも消えちゃいそうだった。火力が不十分だと時間が掛かるし、調理中に消えでもすればまた火起こしから始めないといけなくなる。そんなのは手間だ。
「ううん、薪棚でいいよ。私が行く。重いでしょ?」
「いえ、そのようなお気遣いなど」
「いいの! こんちゃんは火い見ててー」
「うう、……分かりました。主様、お気をつけて」
「はーい」
こんのすけに火の番を任せて外へ出る。普段、薪は土間に何本かストックしてあるのだが、今日は昼間に補充するのを忘れてしまっていた。こうなると、離れ右の薪棚まで取りに行くか、四次元葛籠をふりふりするしかない。簡便さでいえば葛籠でポンがベスト。けれど今、薪棚にはたくさんの木が積まれてある。せっかく備蓄してあるのだから、まずはそっちを消費しておこう、と思い至ったのであった。
日が沈んで紫色になった空。夜と夕方のあいなかの、移り気で美しい彩り。きっとマジックアワーの真っ只中だ。
暖かかった日中とは一転して、外気は冷たい。庭を歩く付喪神は居なかった。私の視角に入ってないだけかもしれないけど。どうせ、縁側のどこかに監視役が座っているはず──あ、いたいた。どの神様だろうな? 三交代お疲れさん。
御殿を尻目に足を動かす。そう大きくはない薪棚はすぐそこだ。離れの外壁を右に沿って伝い、曲がったところ。竹垣の前の軒下に据え置いてある。縦も横も私の背丈の半分ほどのサイズで、簡易的な屋根付き。一人と一匹暮らしにはちょうどいい。
「よっ、と」
今使う分……二、三本でいいよね。土間には明日運ぼう。
爽やかな木の香りを吸い込みながら、ひんやりとしたそれを一本二本と取り、腕に抱える。薪と薪が当たると乾いた音がした。からからに乾燥しているからだろう。何の木なのか私には分からなかったが、こんのすけが樹皮を見て「楢の木」だと言っていた。
──パキッ。
薪の擦れる音に混じって別の物音がした。弾かれたように首をぐりんと回し、そちらを向く。風で掻き消されてしまいそうな、小さな音だった。辺りが静謐としていたからこそ聞こえたあれは……私が、この木が出した音ではない。
結界の側? 池の前? なんだろう。
三本の薪を腕に来た道を戻る。音の出処に目星をつけ、逢魔が時の庭を見渡せば、境界線に人の形があった。開けっ放しの引き戸が漏らす明かりは、その「誰か」を朧朧と浮き上がらせている。
小学生くらいの背。右耳の後ろにお団子。独特な帽子を頭のてっぺんに載せた、和装のシルエット。
「あ」
「誰か」が誰だか分かった瞬間、喉が声を押し出してきた。時を同じくして、脳に録音されているあの子の言葉が耳の奥に響く。
馬鹿みたいです。あなたが最初の審神者だったら、僕たちは。
子供の影が後ろへ跳ね退く。高くて速い跳躍だった。戸口の光が届かない所へ後退した彼を、紫の空が淡く照らす。ざり、と、一本下駄が土を踏み締めた。また逃げるのだろうかと予測したが、彼は、「いまのつるぎ」は、昨日のように姿をくらましたりはしなかった。離れの玄関から真っ直ぐ進んだ先に佇んでいる。
あの子が来た。私と目が合って間合いをとったのに、逃亡はしない。そこに居る。私を見ている。
「こんばんは。どうしたの?」
私は驚き立ち竦み、何度か息を吸って吐いて、彼に話しかけた。「いまのつるぎ」が逃げずにいるから。
「ねえ、おーい。大丈夫? 何かあった? 用事?」
足を一歩だけ前にやる。あの子は動かない。返事もしない。棒のように突っ立っている。この声量なら聞こえているはずだろうに、ピクリともしなかった。
「主様ー? 如何なさいましたか」
後方でこんのすけの声。薪を取りに行っただけにしては遅いと思ったのか、先程の呼びかけが土間に達していたのか。後ろを向くと、相棒は戸口の敷居まで出てきていた。
私は「いまのつるぎ」とこんのすけとを見て、早足で離れに引き返す。腕の薪が邪魔だった。竈の火も気にかかる。一旦帰宅だ。
「あの子が来てる。源義経の短刀」
「……今剣が」
「うん。今日は逃げなくて、黙ってあそこに立ってて──」
何があったかを話しつつ、薪を置いて竈に目線を落とせば、超超超弱火。大概が炭と化している。でもまだ保ちそう。ああ、こんのすけが「楢の木は火持ちが良い」と春に教えてくれたっけなあ。
「ふむ。何用でしょうかね」
「わかんない。どうしたの、って言っても反応ないし。けどずーっと居るんだよね。こっち見てんの」
衰えた火は緩やかに消えゆくだろう。空腹なのでご飯は早く食べたい。二度目の火起こしもめんどい。じゃあとっとと薪をくべて調理に着手すべきである。だけど、あの子をほったらかしにしていいものか……。薪を追加して鍋もセットして、煮ながら「いまのつるぎ」の用向きを尋ねる? や、だめだよね。こんのすけに火の番続投を頼むとしても、火事のリスクが──うーん。
いいか。夕ご飯は後回しで。どんな理由かは知らないけど、わざわざ来てくれたんだもん。とんずらせずにいるのも意味深だし、あの子を優先しよう。
「ちょっと話してくる」
バタバタと足を急がせ、夜の始まる庭に飛び出す。「いまのつるぎ」はまだそこに立っていた。
「ねー、どうしたの?」
「聞こえてるよね?」
「おーい」
などなど、何回か呼んでみるが、梨の礫。困り果てる私の後ろでは、こんのすけが戸口に顔を出したり、土間に戻ったり、てんてこ舞いをしている。私とあの子をマークしつつ、火の番もしてくれてるからだよね。ごめん、こんちゃん。
物言わぬ刀はひっそりと咲く野花のようにただただ在った。しかし、植物とは違って私をじろりと見据えている。用がないにしてはおかしい。何か……何かはあるはず。
思い切って彼の近くへ行ってみることにした。逃げられたならそれまで。一つでも聞き出せたら万々歳。できるかどうかはさておき、臨機応変にいこう。うん。
井戸を越え、池を越え、境界線を抜ける。広々とした庭にはあの子以外の神はいない。縁側の見張りも山の如く座ったままだ。
いよいよ距離が狭まって、一足一足を進めるのにどきどきした。逃げられるか逃げられないか、まるで駆け引きみたいな──人馴れしてない野良猫を相手にしているようだった。
「こんばんは」
彼は跳びも後ずさりもしない。私の挨拶で何かしらの影響があったのか、顎を少し引き、俯きがちになる。子供の両手は袴を握り締めていた。