雪解け - なんとはなしに

49*


 自分の生きる世界に戻った審神者が、政府の公用車で移動を始めた頃。
 午前六時を回り、空が白み始めた本丸では、押し問答が勃発していた。
「だから、根拠と証拠を出せと言っている!」
 頭に血が上っているのか声を荒げる山姥切長義。
「根拠は今しがた述べたでしょう。時系列での事象も何から何までお話しました」
 こんのすけは冷ややかな目で淡々と返事をする。
「して、監査官殿。証拠とはどのようなものをお望みですか? 紙? 映像? 音声?」
 ゆらりとくねる白と黄色の尻尾は退屈そうな、しかしどこか煽っているようにも見えて、山姥切長義は苛々を募らせた。
「それは──裏付けが取れるなら別になんでもいい。あいつが『二泊三日の船旅』とやらに行っていることを証明してみせろ!」
「ふん。なんでもいい、などと言ったって、あなたは何を出そうと納得しないのでは? 現に頭ごなしの否認ばかりではないですか。ああ、情けない。疑心暗鬼に陥っていますねえ」
「煩いぞ、いちいち憎まれ口を叩くな!」
 吠えた刀は畳の香る和室の中央で仁王立ちしており、刺すが如く管狐を睨みつけている。
 彼とこんのすけが居るのは、山姥切長義と南泉一文字が私室として使っている部屋だ。もう一振りの部屋の主である南泉一文字はというと、その片隅に蹲り、両手で耳を塞いでいる。猫のように背を丸めて畳に沈む彼は、「ううう、うるせえ……」と、心の底から迷惑そうな表情をしていた。疲れているのか声もぐったりである。
「まあまあ、落ち着きなよお二人さん」
 次郎太刀が仲裁に入ろうとするも、双方の面持ちは険しい。肩を竦め、次郎太刀は兄に「やれやれ」とアイコンタクトを送った。
 突如開戦した言い争い。早朝に管狐が単身で乗り込んでくるのは珍しく、かと思えば、ある部屋から激しい口論が聞こえてくる。これはただ事ではないと、付喪神らはすぐさま参集した。故に、ギャラリーはわんさか居る。室内に収まりきらない刀が廊下に溢れていた。
「……話がまとまらないね」
「いつまで続くことやら」
 一匹と一振りの舌戦を見物しておおよその事情を知った刀剣男士たち。鶯丸や燭台切光忠の補足もあり、争いの種を完全に理解した彼らは皆、山姥切長義とこんのすけの応酬を思い思いに眺めている。同田貫正国なんかは「くだらねえ」と吐き捨て、早々に去ったが。質実剛健を謳う彼は現在、庭でトレーニングの真っ最中だ。山伏国広と共に腕立て伏せやうさぎ跳びに精を出している。
「もう一度言いますよ。よくお聞きなさい。此度の旅行は主様が今年の五月から計画されていたものです。日程もその時期には決まっておりました。私も『旅行代理店』なる会社の『ほおむぺえじ』にて予定を確認しています。主様が喜々としてお見せくださいました。また、ご家族と相談されているお姿も、旅費を工面されているお姿も、私は幾度となく目にしております。とてもとても楽しみなご様子で、私にはあれが演技だとは思えませぬ」
 よく回る舌でなされる説明は、これで五度目。それはもう流暢な語りであった。
「何より、我が主は私に対して誠実です。大それた嘘をついたり、騙したりなど──あり得ない」
 息を継ぎ、管狐は胸を張った。黒い眼には主人を信じる光が明々と灯っている。
「同じ話ばかりを……全部欺瞞だったらどうするんだ」
 平行線のまま堂々巡りになる論争。どちらも引かない。山姥切長義は女が良からぬ事を企みに政府本部へ赴いていると言い張り、管狐は一から十までを反復して否定する。更に四半刻が過ぎるが、決着はつきそうもなかった。
 付近の神々はというと、各人各様で。静観している刀、口出しする刀、収拾をつけようとする刀──色々だった。
 鶯丸や三日月宗近、にっかり青江等は関与せずに見ているだけだ。髭切も一時はそうしていたのだが、飽きて朝の散歩に出掛けてしまった。
 静観に徹する刀剣らは決して首を突っ込みはしない。けれど、話を聞き落とすことなくきっちり記憶に刻み込んでいる。この争いがどう収束するかを見届けたいらしい。物静かな白山吉光は情報整理を黙々と行っている。
「あの人が悪巧みなんて……僕には考えられません」
「わしもじゃ。長義の考え過ぎがやないがか?」
「そうかな。僕はもっと、きちんと調べた方がいいと思うけど」
「こんのすけ、幾つか訊いても構わないかね」
 口出しする刀にもグループがあり、女に好感を持っている刀は擁護する声を上げ、未だ女を警戒している刀は管狐に探りを入れ、雑多であった。前者は陸奥守吉行や粟田口の短刀たち、燭台切光忠。日向正宗や謙信景光なんかは後者だ。中立の立場にいる刀、南海太郎朝尊と数珠丸恒次は時折論理的な質疑をし、思考ロジックを組み立てている。
「ちょっと、いい加減にしなよ?」
「長義さんもこんのすけも冷静に──」
 次郎太刀に獅子王、石切丸が折を見て何度か仲を取り持とうとするも、徒労にしかならなかった。睨み合いは継続中なのである。
「私は主様を信じています。今日の昼餉の油揚げを賭けてもよいですよ。賭け事は好きではありませんがね」
「奇遇だな。俺も賭博は好きではない。戯言を抜かす暇があったらさっさと吐け。他にはないのか!」
「ですから、申し上げている通りです。これ以上何も出ません。どうしてもと言うのならば、ふむ、唾でも吐いてみせましょうか。あなたの顔に」
「なんだと!? このっ──」
 管狐が不敵に笑う。その小憎たらしさにギリ、と奥歯を噛む山姥切長義。
「なあ、もう止めとけって。審神者が帰ってきてから聞けばいいだろ」
 宥めるように言って、獅子王は山姥切長義の肩に手を置いた。「こんのすけもあんまり煽んなよな」と、管狐への注意も忘れない。
 一振りと一匹はバチバチと火花を散らしており、言語がなくとも目と目による戦いは続いている。
「見つめ合っちゃって、お熱いねえ。俺も参戦するかな?」
 大般若長光がおどけてみせるが、彼の狙い通りにはならず、悲しいことに場は和まなかった。
「はあ……主様の旅程を一枚『こぴい』して頂いていれば良かった。此奴が証拠と認めずとも、判断材料の足しにはなったでしょうに。いっそ旅費の支払いをされた証が残る『預金通帳』なるものを──いえ、ですがあれは貴重品。それに……ああ、いけませんね。私が持ち出してよいものではない。やめておきましょう」
 話しながらとある事に気付き、管狐は小刻みに首を横へ振る。主人の預金通帳には重要なデータが入っているのだ。
「まあ、何を示したとて、この猜疑心の塊──頓珍漢は信じないでしょうしね」
 じろり。責めるような目線を山姥切長義へ注いで、これ見よがしに盛大な溜め息を出した管狐。その眉間には疲労の色が滲み始めている。
「おっ、やっぱり頓珍漢じゃないか」
「鶴丸国永、黙っていろ」
 空気を和らげようと鶴丸国永が茶化せば、本歌の睨みがそちらに向いた。「おっかない、おっかない」と鶴丸国永は首を傾げ、鶯丸に目配せをする。
 ざわついている刀剣男士をよそに、管狐は瞼を閉じて二回深呼吸をした。己を鎮めるためだった。
「山姥切長義。かつてあなたが受けた屈辱や不当な扱いは存じております。あの男と同じ『人間』『審神者』である主様へ疑いを抱くのも無理はありません。ですが、恐れや憎しみで目を曇らせてはなりませんよ。あなたは備前長船の刀工、長義の打ちし本作長義。美しく、誇り高き刀なのです」
 真心を込めて語りかけた管狐の目は真剣だった。これは嫌味ではない。今の山姥切長義は過去の苦難によって気質が捻れてしまっている。管狐は彼に自分自身を取り戻して欲しかった。
「……っ」
 こんのすけの真摯な言葉が少しは胸に沁みたのか、山姥切長義は声を詰まらせた。「うつけ」と言われた彼であったが、本当はそうではない。管狐の話も頭では分かってはいたのだ。けれど彼は、信じることが怖かった。
 サファイアのような瞳が迷いを帯びる。それは水面に映った宝玉みたいに、不安定に揺れていた。
 懐疑的な見方ばかりをしていてはいけない。分別を失ってはいけない。すべきことは口喧嘩ではなく、話し合いである。管狐の説明に耳を傾け、真偽の程を検証すれば良い。もしかすると、管狐の主張が正しいかもしれない。しかし、人間など──。
 苦悩する山姥切長義は強く拳を握った。彼が疑り深くなってしまった原因を知っている仲間たちは、辛そうな顔をしている本歌を悲しげな瞳で見やる。
 どこか湿っぽくなった室内に、パン、と乾いた音が一つ鳴った。小烏丸が手を叩いたのであった。
「もう終いにしてはどうだ。今ここで騒いだとて、どうにもならぬよ」
 部屋の入り口に凛と立っている太刀。おっとりとした口調でありながら威厳を含むその声で、彼は管狐に「嘘偽りはないだろうな」と投げかける。「ええ、勿論です」と、管狐は頷きながら即答した。
 次に小烏丸は山姥切長義を見据え、紅の引かれた薄い唇を開く。
「あれの帰参を待ち、直接聞けば良いさ」
「だが、あいつは嘘をつくかもしれ──」
 不信に染め上げられた心はそう簡単に改まらず、打刀は食い下がった。すると小烏丸はくつくつと喉を震わせ、黒曜石に似た二つの目を細める。
「嘘?」
 さも愉快だと言わんばかりに緩む口元。眼の奥は笑っていない。笑顔のようでいてそうではない、畏怖すら感じる面貌だった。管狐や一部の刀の背筋に、ゾッと冷たいものが走った。
「小娘の嘘など、我が見抜けぬわけがなかろう」
 審神者を小馬鹿にしているのか、それとも自信が有り余っているのか、小烏丸は余裕たっぷりに言ってのける。並々ならぬ説得力があり、誰も異議は唱えなかった。
「いやいや、お父上は怖いなあ」と三日月宗近が笑い声をあげるまで、そこはしんと静まり返っていた。

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