雪解け - なんとはなしに

50*


 審神者の帰りを待って真相を追及する。
 小烏丸の鶴の一声で方針が定まり、蝟集していた刀剣男士らは散り散りになっていった。銘々思うところはあれど、新たな諍いは起こらない。御殿の朝に平穏が戻ったのである。
 山姥切長義と南泉一文字の部屋へ押し寄せていた神々は潮が引くようにいなくなっており、室内にはくたびれ切った二振りが座り込んでいた。
「肩肘張っても疲れるだけだぞ。もっと力抜けよ……にゃ」
「猫殺しくんに言われなくても分かっているよ。はあ……」
 南泉一文字の助言に力なく答える山姥切長義。その弁には日頃の切れ味も皮肉もない。猫の呪いにかかりし刀もボロ雑巾よろしくへろへろになっている。山姥切長義は侃々諤々の議論に精根尽き、南泉一文字は喧しさに神経を擦り減らし、どちらもひどくエネルギーを消耗していた。
 管狐は畳で項垂れている二振りを目の端に入れ、湿った鼻頭をひくりと動かし、すん、と息を吸う。一先ず小烏丸によって騒動は沈静化したが、かの刀の薄気味悪さには一抹の不安を抱かずにはいられない。彼は旅帰りの主人を審問するつもりでいるのだ。そういった流れができてしまっているため、他の刀も多かれ少なかれ同じように話を聞こうとするだろう。山姥切長義なんかは息巻いて問い詰めるに違いない。
 ──馬鹿なことを。主様は家族旅行に出掛けただけだというのに。
 楽しい旅から戻った主人が付喪神に囲まれやいのやいの言われる様を想像し、管狐は悲哀感に苛まれた。「気の毒な主様」と心の中で嘆くも、しかし彼女ならば切り抜けてくれようと、前向きに考える。
 神格が高く捉えどころのない刀剣の祖が、己の主人へどのように接するのか。山姥切長義がしつこく主人を詰責しないか。刀剣男士らは主人の言葉に耳を貸すのか。主人は上手く説明できるのか。あらぬ疑いをかけられた主人が神々を嫌ってしまわないか。
 憂慮は尽きない。けれど、小烏丸は見識のある刀。感情任せに屁理屈を捏ねる性格でもなかった。主人の話に嘘がないと分かれば、悪いようにはしないだろう。他の刀剣たちも得心すると思いたい。山姥切長義もそうであれば良いのだが。
 思案をやめ、管狐は畳にぺたんと付けていた尻を上げる。「では、失礼致します」と部屋の主たちに礼をしたのち、彼は進路を障子の間へとった。緊張が弛んだせいか、白い毛で覆われた腹は飢えを感じ始めていた。管狐が最後に食事をしたのは夕飯時。胃はとっくに空っぽだ。おまけに今日はトラブルのせいで通常の朝食時間を過ぎている。
 管狐は白と黄色の尻尾を一振りし、廊下に出た。空腹故に頭の中は朝餉で埋まってゆく。離れには彼専用のお膳(犬用食器台)があり、そこには主人の握ったおにぎりや甘めに味付けられた卵焼き、カリッと焼けた子持ちししゃもが用意されていた。もう冷めていそうだが、味は変わらず美味しいはずだ。
「……こんのすけ」
 呼び止められ、管狐の脳内から今朝のメニューがぱっと消える。廊下を少し歩いた彼の前には、今剣がいた。
 無表情の短刀は一歩二歩と進み、赤い瞳で管狐を見下ろす。彼には聞きたいことがあった。なので、騒ぎが収まってからも近くに待機し、管狐が出てくるのを待っていた。
 昨今、狐の主人へ不器用ながらに甘えだした今剣。所構わずべったりで時に目に余るが、自傷して主人と話そうとするよりは遥かにマシだ。管狐は最近の彼についてそう評している。
「はい、どうしましたか」
 管狐は足を止め、顔を上げる。目線が合った今剣は、笑ってもいなければ怒ってもいない。どんな心を映した顔なのかと、管狐は訝しんだ。
「……っ」
 口をもごもごさせたり、開けたり閉じたりし、短刀はやっと声を出す。「あのひと、いつかえってくるんですか」と。
 終わりまで言った今剣の唇は尖っていた。何やら不満そうな、気に食わなさそうな面である。
 女がいつ戻ってくるのか。山姥切長義と管狐のバトルを観戦しても尚今剣が気にしたのは、それだった。女が政府本部に行ったやら、謀を企てているやらは、あまり気にならない。今剣は「あのひとはそんなことをしない」と、漠然と思っていた。
「二泊三日の外泊になりますので、ご帰還は明後日ですよ」
「それはしってます! あさっての……いつですか」
 むう。と、短刀の額に皺ができる。焦れったそうにしている今剣へ、管狐は「夜、二十二時──亥の刻頃とお伺いしております」と教えてやった。今剣の顔がよりむすっとする。
「おそいです」
 ぷいっとそっぽを向く今剣。彼女がいなくなって、短刀は偏に寂しかったのだ。
「……なにもいわずにいってしまうなんて」
 首を右に曲げ障子の桟に目をやったまま独りごちる彼を見て、管狐はふっと笑った。この短刀は寂しいのだ、事前に知らせず旅立った主人に拗ねているのだ、と、微笑ましい気分になって。
 人に怯え恐怖に支配されているよりも、無垢な狂気で己の体を傷付けるよりも、今の方が良い。ああ、ずっとずっと良い。
「そう拗ねずともよいではないですか。主様がお帰りになったら存分に構ってもらいなさい。ただし、困らせない程度でお願いしますよ」
 管狐は子供を諭すように優しく言う。だが今剣は恥ずかしいのか不服なのか、横向きの状態でつーんと顎先を出している。その仕草すら可愛らしい。また一つ笑い、管狐は声を潜めて話を続けた。他の刀の耳には入らぬよう、今剣にだけ届くような声量で。
「あれから傷は作っていないようですね。良いことです」
 障子と睨めっこしていた今剣の顔が勢いよく元の位置に戻る。絹糸のような髪がうねり、宙に半円を描いた。柘榴色の瞳が見開かれ、一瞬驚いた表情になる短刀だったが、三秒もしないうちに仏頂面になる。その五秒後には気まずげな表情へ変貌。ころころと変わったのは顔だけではなく、心もだ。
 触れられたくないことに触れられ驚いて、どうしてそれを聞くんだと不愉快になって、だけど、管狐が満足そうにしているから怒るに怒れなくなって。
「……あのひとは、ようがないのにちかくにいってもおこらないですし、おはなしもしてくれますから」
「ええ、ええ、そうでしょう。親しみやすいお方です」
 にっこりとうんうん頷く管狐。彼の心は軽くなった。この様子なら今剣は大丈夫であろう。再び己を傷付けるような真似はしない。主人が突き放しさえしなければ。
 今剣はきゅっと踵を回し、管狐に背を向ける。着物の片袖が元気良く翻った。知りたいことを聞けて気が済んだのか、短刀は軽い足取りで駆け出してゆく。
 ぱたぱたという足音に混じって、管狐の耳が声を拾った。「はやくかえってこないかなあ」という、なんとも愛らしい台詞を。
「おやおや、まあ」
 嬉しくなった管狐はつい言葉を漏らす。緩みっぱなしの頬をそのままに、彼は未来へ思いを馳せた。
 今剣が主の──人間の前で笑顔の花を咲かせる日も、そう遠くはないのだろう。

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