雪解け - なんとはなしに

52*


 朝食後、満腹になった管狐は獣らしく毛繕いに励んだ。口周り、胸元、両手を舐めて身だしなみを整えた彼は、膳に乗った皿を咥える。女に片付けなくてよいと伝えられていたが、狐は主人の手をなるべく煩わせたくない。できるところまでは自分でやりたかった。
 皿洗いまではさすがに難しいので、せめて使い終わった食器を流し台に運ぶくらいはと、数回に分けて全ての皿を運搬する。短い手足、巧緻性の低い肉球、小さな体。己も刀剣男士と同等に人の形を得ていたら、皿洗いも掃除も一人で完璧にできただろうに。もっと主人の役に立っただろうに。
 そんな思いが頭を掠めるも、考えたって詮方無い。管狐はひらりと流し台から降り、外に出た。向かう先は畑である。
 朱い太鼓橋も畑に伸びる小道も、普段であれば主人と一緒。隣に彼女が居ないことへの物寂しさを覚えつつ、管狐は畑へ行って見回りをする。土や作物に異常はなかった。冬になっても畑には命が満ちており、先週主人の蒔いたエンドウの種が芽吹いているのを見て、管狐は嬉しくなった。土を押し退け太陽求めて顔を出した二葉は健気だ。早く主人に知らせたい。彼女はきっと目を輝かせて喜ぶ。
 今日はもともと曇っていたが、雲の色が灰色から黒に変わってきた。雨の匂いも混ざっている。直に雨粒が落ちてきそうな空模様になり、管狐は空を仰いで鼻をひくひくさせた。二日は水遣りができないので、天の恵みはありがたい。大降りにならなければだが。
 一雨くる前に朝の見回りを済ませてしまおう。と、管狐は歩調を速める。畑の次は花たちだ。
 庭には煉瓦造りの花壇があちこちに点在しており、これらは皆、狐の主人のお手製である。彼女がガーデニングにのめり込んでいくにつれ、その数も増えていった。初めは三面だった花壇も今では八面になっている。他にも花の苗や種が植えられている箇所があり、そこは主人の気が向いた際に作られた急拵えの花畑。柵も煉瓦の囲いもない。主人の意欲が湧けばどこでも花畑になってしまう。彼女は「花咲かじいさん」ならぬ「花咲か審神者」のようだと、管狐は時たま思っていた。
 泣き出しそうな空。暗い庭はどこか気分を鬱陶しくさせる。冬という季節がそうさせているのか、こんな天気のせいなのか。天候の移り変わりに気を配りながら管狐は花壇を巡っていった。御殿裏手、庭の外れ、ゲートの向こう──じゅんぐりと周る途中、彼は一振りの打刀と出くわした。
「やあこんのすけ。さっきはご苦労様だったね」
「いえ、あれしきの事など屁でもありませんよ」
 山姥切長義との言い争いを労ったのは、花壇の側に立っている桑名江。
「そう? 結構しんどそうだったけど」
「……少しばかり疲れたのは否めません。ですが、今はもう何とも」
「なら良かった」
「ご心配いただきありがとうございます」
 管狐が柔和な表情で尻尾を一振りさせると、打刀は唇に弧を描く。鼻梁まで伸びた前髪によって彼の両眼は隠れているが、柔らかな目元をしていた。
 郷義弘作の打刀、桑名江。もとは農家の神棚に祀られていたと云われている彼は、来歴故か農業に精通しており、土いじりを好む刀剣男士であった。審神者の手入れによって回復してからというもの、桑名江は本丸に生育している草花の観察をし、女の花壇にも多々足を運んでいる。農作にも興味があるため、畑の近くにもよく来ていた。
 農業繋がりで馬が合いそうなのに、気が引けるのか桑名江は狐の主人に話しかけたりはしない。女もまた無闇に話をしようとはせず、庭や花壇で会っても挨拶をするぐらいで留めている。親睦を深めるチャンスが、と、管狐は常々やきもきしていた。
「今日も土や花を見ているのですか?」
「うん。霜に負けてないかなって」
「最近めっきり寒くなりましたからねえ」
 しみじみと言って、管狐は煉瓦の囲いにぴょんと飛び乗る。髭と尻尾でバランスを取って左端まで歩き、落っこちてしまわないよう向きを変えた彼は、花壇の中で列になっているアネモネに視線を落とした。十一月に植え付けた球根は今月になって発芽し、ゆっくりと成長していっている。小人の手のひらのような若葉を、狐の主人は「にんじんの葉っぱみたいで可愛い」と愛でていた。
 管狐は煉瓦の上を左から右へ移動しつつ、土や葉をじっくりと凝視する。虫や雑草の有無、萎れた葉や傷んだ葉などがないかを一本一本丹念に見て、ご満悦に頷いた。
「息災ですな」
「うん、良い畑だ」
「花壇ですよ」
 笑って訂正する管狐。桑名江は少し照れ、人差し指で頬を掻く。
「そうだったね。ここは赤土が多かった。畑の土とは違う」
「さすがは桑名江。仰る通り、こちらの土は赤玉土が六、腐葉土が四の割合で混ぜられています。植える花に合わせ水捌けの良い土になるようにと、主様が配合なされました」
「おお。あの人、よく勉強しているんだね」
「ええ。書物や『いんたあねっと』でお調べになったのです」
「『いんたあねっと』?」
「知識の宝庫です。主様は調べ物をする際、しょっちゅうお使いになられております」
「知識の宝庫……へえ、それはすごい」
 さして突っ込みもせず、桑名江は素直に感心した。「知識の宝庫」、そんなものがあるのかと。
「『ぱそこん』、『すまほ』……あの御方の暮らす時代には、便利な機器がたくさんあるのですよ。それらを用いて主様は情報を集めていらっしゃいます。些か物臭な我が主もなんだかんだ畑仕事は楽しいようで、面倒だと言いながらも日々熱心に学ばれているのです。次に育てる花や作物を選んでいる時など、ざらに半刻は本や『ぱそこん』に齧りついておられて──」
「あはは、そうなんだ」
「うんと時間が経った後、主様はこう仰るのです。『これじゃ本業が農家みたいだね。いっそ転職しちゃおうか』と」
「審神者が農家かあ。それも有り、なのかな?」
「さて、どうでしょう。花も畑もお好きな方ですから、趣味と実益を兼ねたうってつけのご職業になるやも」
「まさに天職だねえ」
「主様の母方の祖父君と祖母君は農業を営まれているそうです。幼少の頃、主様はお二方につれられしばしば畑で遊んでおられたとのこと。土いじりに縁があったのでしょうね」
 アネモネの若葉が整列している花壇の側で、一匹と一振りは談笑している。曇り空を霞ませる和やかさがそこにあった。
「農家の血を引いているのかあ。じゃあ、畑仕事は向いているのかもね。努力もしているようだし、あの人になら何でも育てられそうだ。だめにした野菜や花、ないんじゃない?」
「いえいえ、そうでもないのですよ。失敗もちょくちょくありました。忘れもしません、梅雨明けの候。主様が手塩にかけて世話をしていた小松菜が、虫によって壊滅したのです。あの時の主様の落胆ぶりといったら……」
「ああ、小松菜は虫が付きやすいからね。その時期なら夜盗虫か油虫、黄条蚤金花虫(きすじのみはむし)辺りが悪さをしたのかな」
「どの虫が犯人だったのかは分からずじまいでしたが、二日もしないうちに穴だらけになりました。種から育て、やっと本葉が大きくなったというのに」
 大小の虫食い。茎と葉脈のみが残り、スカスカになった小松菜。「食べられるところがない」と嘆息していた主人を思い出して、管狐は悲痛な顔をする。
「はあ……」
「小松菜は初心者向けの育てやすい野菜なんだけどねえ。秋だったら被害も少なかったと思うよ」
 主人を不憫がっている管狐に桑名江がアドバイスをした。徐に打刀を見上げ、こんのすけははたと閃く。農作において桑名江の知恵と知識は主人の力になるだろう。彼へ援助を頼んではどうだろうか。主人と刀剣男士の良いふれあいとなれば一石二鳥だ。
「桑名江。主様がもう一度小松菜栽培に挑戦される折には、ぜひあなたにご教示頂きたい。あなたの助力があれば、どんな虫も退けられましょう」
「いやいや、そんなことないよ。僕もまだまだだからね」
「何を謙遜して。桑名江がいれば百人力です。来年は──」
 来年は。そこまで口にして、管狐の時が寸秒止まる。彼の思い描こうとした「来年」はあまりにも不確かだった。「来年」の本丸が、主人が、刀剣男士が、少しもイメージできなかった。
 年が明け、冬が去り、来(きた)る春。主人はどこで何をしているのだろうか。主人は今と変わらずここに居るのだろうか。
「来年は、どうかよろしくお願い致しますね」
 芽生えた不安を押しやり、管狐は朗らかに笑うのだった。

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