雪解け - なんとはなしに

02


 肉球抉れ事件(またの名をこんのすけ怪我隠し騒動)を機に、ここ一ヶ月で私と小さな狐の関係はガラッと変わった。
 ええと、うん、ほんと大化けした。
 簡潔に言うと、新婚? ズッ友? いやマジでそうなんだって! めちゃくちゃ仲良くなったんだって!
 どこでも付いてくるし、促さなくても畳に上がってくれるし、ご飯もお風呂も布団も一緒だし、冗談言って笑い合えるし、くすぐりあいことかするし、膝枕で寛いでくれるし、「こんちゃん」て呼ばせてくれるし、時々ピッタリくっついてくるし、ブラッシングさせてくれるし、抱っこしたら遠慮がちだけど頬ずりしてくれるし、上目遣いで「主様」とか甘えた声出すし、私が一時帰宅する時は寂しそうにするし、一時帰宅から戻った時は尻尾振って出迎えてくれるし──……分かる? 実家で飼ってた犬並みに懐いてくれてるんだよ。超かわいい。
 初夏には池を舞う蛍や満天の星空を観賞して、夜の散歩なんぞを楽しんだ。少し気温が高い日には共に縁側で涼み、日が暮れゆけば夕陽に向かって飛ぶ鴉を眺めて色々なことを話す。雨の降る日は一人と一匹で紫陽花を愛でた。
 私達は梅雨が明ける頃にはすっかり打ち解け、お互いに気の許せる相手となっていた。これには斉藤さんも驚き、そして喜んでくれた。一部の政府関係者の中で、前の審神者さんによって負わされたこんのすけの心の傷を何とかしたいという話があったそうだ。良い奴じゃないか、政府の人。
 信頼できる存在が近くに居るというのは、とても心強く、幸せなことである。
 私の審神者業はまだまだ問題だらけで、乗り越えないといけない山がたくさんあるけれど。
 上手くいかない状況に、悩むことも苦く思うこともあるけれど。
 それでも、あの小さな狐がいるのなら。傍に寄り添い、隣で助けてくれるのなら。
 どんなに辛くとも、どんなに先が見えなくとも、七転び八起きで挫折せずに進んでいける。不思議なことにそう思ってしまうのだ。困り果てた末でも、「なんとかなるさ」と笑ってしまえる。
 こんのすけと親しくなってからというもの、モノクロの世界が色づいたように、私の本丸暮らしは随分楽しいものとなった。

 *

「こんちゃーん、畑行くよー」
「はい、心得ております」
 軒先から屋内に向かって声をかければ、ほっかむりを被ったこんのすけが駆け寄ってくる。熱中症対策として私が施しました。なかなか可愛いでしょ? ちなみに金魚柄で私とお揃い。
「失礼致します」
 すぐ側までやってきた小さな狐は勢いをつけて地面を蹴り、私の肩に飛び乗った。これなんてナウシカ?
「よし、じゃ行こっか」
 人魂のような朱い紋様のある額に軽く頬を寄せ、二人で微笑む。どちらともなく頬を寄せれば、たまらない充足感がぽっと溢れた。……これなんてナウシカ?
 快晴の空の下、農具を携えて畑へ向かう。七月のそこは、瑞々しい夏野菜の実る宝の山だ。よく育ったオクラや茄子、トマトなどが朝露に濡れて輝いていて、のどかな風景を作り出している。農家万歳。
「うっわー、いい天気。今日も暑くなりそう」
「梅雨が明ければ夏ですから」
 まだ午前中だというのに、燦々と降り注ぐ陽光は目を刺すほどに眩しい。すっかり夏の日差しである。もう少しすれば本格的に暑くなるので、畑仕事の時間帯を調整しなければならないだろう。早朝と、夕暮れ時あたりに。真っ昼間は無理だ。
「バテないように気をつけないとね」
「ええ。水分補給はこまめにされた方がよろしいかと」
「分かってる分かってる。井戸で水筒に水汲んでくよ」
「よろしゅうございます」
「いっぱい汲むから、こんちゃんも喉乾いたら言って。分けてあげる」
「お気遣いありがとうございます」
 ほのぼのとした会話をしているうちに、離れの脇にある井戸に着く。水を汲むべく、一旦農具を置いて井戸の底に桶を落とした。ポチャンという音と、辺りに漂う水気に涼を感じる。
「よーいしょ」
 掛け声とともに釣瓶を引けば、肩の上でバランスをとっているこんのすけに「主様」と声をかけられた。
「釣瓶に引き込まれぬよう、お気をつけて」
「えーっ、私そこまでひ弱じゃないし。こんちゃんこそ落ちないように気をつけなよね」
「このこんのすけ、決してそのようなしくじりは致しませぬ」
 弾んだ調子で話すこんのすけは、楽しそうに目を細めている。小さな狐の笑い方は実にお上品なもので、大口を開けずに「ほほほ」と、鳥が囀るように笑うのだ。ううむ、ちょっと見習おうかな。女としてなんか負けた気がする。
「こんちゃん、栓持ってて」
「承知しました」
 汲んだばかりの澄んだ井戸水を、大ぶりな竹の水筒に流し入れる。ステンレスでも魔法瓶でもないこれは、政府の意向に沿った「景観にそぐう」支給品。風情はあるし、そこまで不便でもないので気に入ってるけどね。
「ん」
 水筒が清い水で満ち満ち、小さな狐に向かって手を差し出す。と同時に、こんのすけは銜えていた木栓を私の指先に押し当ててくれた。阿吽の呼吸。仲良いでしょ? 息も合ってるでしょ?
「ありがと」
「お気になさらず」
 竹筒に空いた穴に木栓を押しこみ、きゅ、きゅ、と蓋をする。美味しい井戸水たっぷりの水筒、完成。この大きさ、この重さ……五百ミリリットルのペットボトルくらいにはなるんじゃなかろうか。いや、もう少しあるかも。
「さて、準備万端」
「ええ、いざ畑へ」
 至近距離で視線を絡め、にっこりと笑い合う。ああー、心がコンコンする。犬派から狐派になりそう。
 斉藤さん、本丸は今日も平和です。一部を除いて。
「今日の見張りは灰色の子かあ」
 青々とした畑に踏み入り、何気なく見た本丸御殿の縁側には、明るい灰色の髪をした男の子が座っていた。太腿に大きな切り傷を負い、片足を引きずるようにして歩いている子だ。
「蛍丸です」
 こんのすけが名を教えてくれるけど、やっぱりその場限りで記憶に残ってくれやしない。や、名前覚えるのホント苦手なんだよねー。今のところあの子達の名前を呼ぶ機会もないから、覚える必要もなさそうだし。……まあ、覚える気がないっていうのも否めないけど。
「足が不自由なのに、大変だねえ。この暑い中」
 最近めっきり監視にも慣れ、彼らの前でも悠々かつ堂々と畑仕事や浄化などができるようになった。心に余裕ができたのか、はたまた強い味方ができたからか──。良くも悪くも、私はあの子たちをあまり気にしていない。早いとこ治してあげないとなあ、という気持ちは忘れていないが。仕事だし、痛そうだし。
「もう四ヶ月経つっていうのに、まだあの子らは私の事悪いもんだと思ってるのかな?」
 体に似つかわぬ大きな刀を抱きかかえ、こちらに睨みを効かせている男の子にひらひらと手を振ってみれば、思いっ切り顔を顰められた。おうおう、そんなに嫌だったかい。
「はー、参ったなあ。いつまでたっても仕事ができない。むしろ、そのうち私殺されちゃうんじゃないの? 動ける三人に奇襲かけられたりさあ。未だに超嫌われてるもん」
 やるせない溜息が漏れる。人間不信な刀剣男士どもはとんだ困り者で、てんで対処の仕様がない。どうしようもなくお手上げだった。
「いえ、以前よりは良くなっているように思います。鮮少にはございますが」
「無理してフォローしてくんなくていいよ。虚しい」
 疎ましさに苦顔を呈する私の肩から、重みが消える。草地に向かってこんのすけがひらりと降り立つ姿が視界に入った。
「いいえ、主様」
 じっと私を見上げる黒い双眸は、黒曜石のように美しい。いささかありきたりな表現ではあるが。
 初夏の風が私達の間を通りぬけ、一呼吸おいたのち、小さな狐は語りだす。
 やけに真剣な面持ちで。やけに神妙な声音で。
「こんのすけは時として、刀剣男士のお方々より強い当惑を感じるのです。あの方たちは主様を見張る折節、どうすればよいのかさっぱり分からぬ、そのような御顔をしてらっしゃることがあります故。……あれはかつての私めを彷彿とさせます。前に進みたくともその勇気がない。怖いのです。過去に囚われるあまりに、信心を、希望を、押さえつけてしまう。そこはかとない葛藤に苛み、心は蝕まれてゆくばかり」
 つらつらと口賢く並べられる言葉の終わりは、どこか寂しそうな声遣いをしていた。
 ここの刀剣男士たちとこんのすけは、前任の審神者時代から付き合いがあるようだ。あまり関わり合うことはなかったそうだが、それでも同じ時間を──苦しい時期を共有した存在。
 本人(本狐か)は明言こそしないものの、どうも刀剣男士たちに同情心を抱いているというか、現状を憂いているフシがある。これは最近分かった──というか、察したことなのだけれど。
「ほら、今も。……途方に暮れた迷子の如く、苦渋のかんばせをしています」
 狐の視線が私から外れ、背後の本丸御殿、遠くへ移る。つられてそちらを見やれば、険しい表情を浮かべている男の子と目が合った。
 ……私には、先ほどと同じ顔にしか見えない。厭忌しているモノに向ける、突き放すような形相。あの子は私を憎み、嫌っている。こんのすけの言うように、葛藤に苦しんでいるようには──心境の変化があるようには、到底思えなくて。
 きっとそれは、私自身があの子たちにあまり良い感情を抱いていないから、というのもあるのだろう。悪い意味での色眼鏡が付いてしまっているのかもしれない。
 だって、しょうがないでしょう。初対面で「殺す」だの「出て行け」だのと怒鳴られ、連日連夜監視をされ、おまけに斬り掛かられた経験も複数回ある。これで良い感情が抱けるわけがない。どちらかと言えば、その逆だ。
「……うっそだあ、さっきと同じ顔にしか見えないけど」
「いいえ。確かに異なっております」
「うーん、そうかな? 私には分っかんないなあ」
 肩をすくめ、あらぬ方向に視線を逸らす。
 こんのすけの話をガッチガチに否定するつもりはないが、「はいそうですか」と肯定もすんなりできそうにない。
 要は信じられないのである。
「主様ー、刀剣男士がどうしたらいいか悩んでるみたいですよー」「えっそうなの? じゃあ歩み寄っちゃお」なんて、論外。無理。いや、あの子、絶対私のこと嫌ってるって! 葛藤してないって! また斬られる自信あるよマジで。
「もっとイイ顔見せてくれたら話しかけてみようかな。ま、そのうちなんとかなるって」
 危ないのも面倒くさいのも嫌いな私。補助役の小さな狐には悪いけれど、今回は聞き流させていただこう。
「さーて、ねばねばオクラはどこかな?」
 収穫籠の持ち手を掴み、畝の間に入り込む。
「柳に風、でございますか」
 かろうじて聞き取れた台詞は、私に受け流されたことを喩えたのだろうか。
「んー? なーに、なんか言った?」
 聞こえているくせに聞こえなかったフリをする私は、臆病?
「いえ、何も。……さあ主様、こんのすけもお供致します。作物の熟れ具合を目利きしましょう」
 こんのすけが私を咎めないと踏んでそうした私は、狡い?
「わ、助かる! 美味しい野菜の見分け方、教えてねー」
「しかと承知致しました」
 人間味のあるこの狐は優しく、加えて、空気が読める。あれ以上あの話を続ける気がないと、続けたくないという私の心情を嗅ぎとってくれた。
 ──今はまだ。
 今はまだ、このままでいい。ひどい人間不信のあの子たちに、融和するべく働きかけるなぞ、今はまだ……。
 まだ、「その時」でないと、私はそう思うのだ。

前へ  次へ

21