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白い歯を見せて笑い、颯爽と話題を変えた獅子王。管狐と御手杵は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になるも、太刀の喋りを止めたり、暗い話を掘り返したりはしなかった。獅子王は見事、しんみりとしたムードを断ち切ったのである。
「主様は……そうですねえ。晴れがお好きな時もあれば、雨がお好きな時もあり、また、晴れを厭うことも雨を厭うこともあり。私と似たようなものかもしれません」
太刀の切り替えの早さに驚きつつ狐が答えてやると、質問者は少しばかり顔を顰めた。
「なんだよそれー。お前と同じで中途半端だな」
「時と場合によるのですよ」
そう言って瞳を閉じた管狐の耳に、主人の声が甦る。
『青い空って気持ちが良いよね』『うわー、晴れまくり。絶対暑いじゃん……やだな』『今日は雨かー。水遣りしなくていいからラッキー』『また雨!? もー、洗濯したいのに』
その日その時、天気に一喜一憂する主人を瞼の裏に浮かべ、管狐は目尻を下げる。思えば、寒さの残る早春に彼女と出会ってからというもの、幾つもの朝と夜を越えた。晴れの日も曇りの日も雨の日も、嵐の日もあった。春が夏になり、夏が秋になり──はや師走。季節が一巡しようとしている。毎日毎日新しい思い出ができ、それらを追想するのも楽しい。主人と暮らす日々も、創り出される光の結晶のような記憶も、とても愛しく尊くて。狐は一匹、ささやかな幸福感に浸る。
「主様が喜ばれるのは、かんかん照りの後の雨や梅雨の晴れ間、寒い冬の晴天、暑い夏の曇天、洗濯物のない徒然なる日の雨天……」
女の好きな天候をずらずらと並べ立てる管狐。敬愛してやまない主人について語る際、彼は話の良し悪しに関係なく饒舌になる。
「麗らかな春の日差しはお好きでしたが、真夏の容赦ない陽光は苦手でいらっしゃいます。太陽とは、時に過酷な環境を作り出しますからねえ。炎天下の草むしりは苦行でしたよ。私もあの暑さには堪えました」
ぎらぎら輝き熱を放つお天道様の下、汗を滝のように滴らせながら、蒸し暑さで体力を奪われた雑草取り。夏の緑の勢いは、それはそれは凄かった。いっそおぞましいくらいだ。午前の涼しい時間帯を使っての草抜きだけでは追いつかず、昼でも夕でも地面と対峙していた日もあった。「管狐が安全に走り回れるよう除草剤は使いたくない」「野菜や花に変な薬が掛かるのは嫌」という審神者のこだわりにより、農薬の類は一切使用されていない。
「おー、そんな暑かったんだな。本丸(ここ)の夏」
「はい。茹だってしまうかと思うほどに。……ああ、あなた方はいらっしゃいませんでしたね。まだ手入れ前でしたから」
「まあな」
今夏、血と穢れのこびり付いた手入れ部屋に仕舞われていた獅子王と御手杵は、見るも無残な状態で意識を失っていた。彼らが先の審神者によって顕現された頃にはもう、既に四季は訪れなくなっていたため、二振りは本丸の夏を体験したことがない。
男の力は強大且つ禍々しかった。彼が力を振るう度、その毒は空へ大地へ染み込んだ。神々の血と恨みも重なり、二ヶ月と経たぬうちに穢れが蔓延り始め、三ヶ月を過ぎると草木が枯れる。半年後には池が干上がり、空を赤黒い雲が不気味に覆った。
驚異的な速さで荒れ果てていった本丸。神々が揃う前に美しい自然は消えた。故に、この地本来の風光明媚な景勝を知らぬ刀剣男士はそこそこおり、女の手入れを受け覚醒した日に初めて庭や野山の美観を目にした刀も少なくはない。獅子王と御手杵もそのうちの二振りだ。
「あいつ、夏は嫌いなのか?」
「いいえ。夏というよりは『酷暑』が、でしょうか。多少暑い程度であれば問題ありません。冷え込む日には夏の熱気が恋しくなることもあるようですしね」
「ふうん……そうか。なんかややこしいけど、夏、嫌いじゃないんだな」
「はい。暑い暑いとうんざりしている日もありましたが、夏には主様のお好きなものがわんさとあります。深緑の夏木立、果てしない碧空、真白で大きな入道雲、遠くで聞く蝉の声、縁側に揺れる風鈴、暑気を和らげる夜風、夜の天幕に流るる壮大な天の川──」
主人の好きなもの一つ一つを噛み締めるかのように言葉にしていく管狐は、満ち足りた表情をしていた。常盤色の山並みに見惚れる主人、雲の形に名を付ける主人、風鈴の音にまどろむ主人、星空を仰ぐ主人。胸が彼女で一杯になり、狐はまた幸せな気分になる。
「へえ」
上機嫌の管狐。彼の華やいだ雰囲気に二振りも顔を綻ばせた。
「冷涼なる井戸の側、きんと冷えた清い地下水、日光の届かぬ木陰。夏はよく、松の大樹の根本で主様と休憩しておりましたなあ」
耳朶を打つ狐の話に、槍と太刀は想像を膨らませる。本丸の夏を、管狐と審神者が過ごした夏の日を。
「幹に背を預け、他愛のない話をしながら、茂った松葉の間に見える青い空を眺めるのです。風向き任せに彷徨う雲を目で追いかけては、『あれは兎の形』『これは薩摩芋の形』と言って」
「楽しそうだな。雲の形かー」
「ええ、とても楽しゅうございますよ。冬に入り寒くなった今でも、暖かな日は縁側で天を仰ぎ見る時があります。主様は空や雲、山などの景色を観賞されるのがお好きです。春の若草から覗く可憐な野花、色濃くした夏の青葉、秋、燃えるような赤い山々、鮮やかな落ち葉」
管狐は主人の好む景趣をすらすらと挙げてゆく。獣らしく裂けた口はひっきりなしに動いており、獅子王と御手杵は時に楽しく、時に驚いてそれらを聞いていた。話の種はすっかり審神者の好きなこと、好きなものに変わってしまっている。
盛り上がった縁側。そこに面している部屋のうちの一つ、御手杵の背後で襖障子がすっと横へ引かれた。それは湿気が入るからと、獅子王が雨の降り始めに閉めた襖障子だった。
「おっ、巴形と白山じゃねえか」
三尺ほど開いた隙間に見えるのは、巴形薙刀と白山吉光である。明かりの灯っていない室内は天候も相まって薄暗く、二振りの白い肌に影を差していた。
太刀が「よう!」と、右手を上げて気の置けない挨拶をすると、薙刀は目礼を、剣は黙礼を返す。
「こんのすけの声が聞こえたので来てみたのだが……」
どうしてここに、ここで何を。そう言いたげな顔をしている巴形薙刀へ、御手杵は「ちょっと前に雨が降ってきてな。こんのすけが外に居たから雨宿りに呼んだんだ」と教えてやった。
「はい。花壇の見回りを終えた矢先のことでした。獅子王と御手杵の誘いに甘え、お邪魔しております」
薙刀と剣に畏まって一礼する管狐。
「雨を凌ぐだけのつもりが、話に花が咲いてしまいまして」
面を上げた彼は、子供っぽく無邪気に笑う。
「そうだったか」
相分かったと頷いて、巴形薙刀は再び薄水色の引かれた唇を開いた。
「して、何を話していたのだ?」
赤みがかった紫の瞳が管狐と槍、太刀へ順番に向けられる。獅子王と御手杵は目を見合わせてぱちぱちと瞬いた。
「何の話かと言われると──」
「んー……雨と晴れの話が別の話になって」
ぱっと答えが出てこず、二振りは寸刻悩む。始めは雨が好きか晴れが好きかを話し、次に御手杵の話になり、源氏兄弟や江派の刀の話、審神者を疑っているかいないかの話を経て──。
「今はあの審神者の好きなものの話、になるのか?」
「ああ、そうみたいだなあ」
それぞれが会話の概要を回想し、同じところへ行き当たる。気が付けば話の中心には管狐がおり、話題も審神者の好きなことやものになっていた。槍と太刀は今頃になってそれを認識したようだ。
「ほう。あの審神者の好きなもの……」
巴形薙刀の眉がぴくりと動く。彼の目の色は変わっていた。「審神者の好きなもの」に興味をそそられたらしい。
薙刀は管狐の近くへ進み、敷居の手前で跪いた。紅桔梗の双眸は管狐を穴が空くほど見つめている。
「こんのすけ。よければ俺にも聞かせてくれないだろうか」
自分たちの「主」になり得る人間の好むもの。知っていても損はない。むしろ、彼女と長く付き合ううえで非常に重要な情報となろう。審神者を支えるため、審神者の助けとなるために。
「わたくしも知りたいです」
管狐に請う薙刀の隣に並び、白山吉光も願い出る。彼は巴形薙刀とは違って、単純に情報収集がお目当てであった。今後、審神者と刀剣男士の結び付きがどうなるか定かではない。だからこそ、情報は多い方が良いと考えて。
「ええ、ええ、よろしいですよ」
話を聞きたいという二振りに、管狐は浮かれ気分のままに二つ返事で快諾する。けれど即刻、己にブレーキをかけた。「よい」と言ったものの、軽率に応じて良かったのだろうか、と。獅子王と御手杵にはもう幾つか教えてしまってはいるが、主人の好みを易々と開示するのは──。
「……ふうむ」
鼻をひくつかせ、渋い顔をする管狐。何やら考え込み始めた彼を、四振りは怪訝そうに見下ろしている。
刀剣男士は日を追うごとに人へ心を開きつつあった。だが狐の主人はそうでない。口で意向を仄めかさずとも、彼から見た女は神々との距離を一定に保とうとしている。あの日、茄子の葉陰に隠れて涙したことも今以て口止めされていた。主人は自身について付喪神らに話されるのを良く思わないかもしれない。
「どうしたんだ?」
黙っている管狐に太刀が問う。狐はまた「ふうむ」と鼻息を漏らし、雨の庭のどこかしらへ目線を飛ばした。
口外せぬよう言い付けられている事柄はあれど、主人の好物はその中に入っていない。弱点を曝したり、秘密を吹聴したりさえしなければ、好物を教えるぐらい許されるのではないだろうか。狐はそう結論付ける。
「いけないのか」
心なしかしゅんとして巴形薙刀がおずおず尋ねると、管狐は額の皺を消してにこりと笑い、振り向いた。
「いえ、構いません。申し訳ない、考え事をしておりました」
考え事とは何だ。獅子王が聞くよりも先に、管狐は居住まいを正して二の句を継ぐ。
「では何から話しましょう」
主人の好きなものは数多にある。愛嬌を含んだ狐の黒眼がきらりと光った。
「我が主の好物は星の数ほどありますよ。どうぞお覚悟なさってくださいね」