雪解け - なんとはなしに

56*


「春の縁側、夏の井戸、秋の焚き火に冬の炬燵。人は、いえ、生き物は皆そうなのかもしれませんが、主様は季節に合った過ごしやすい場所を好まれます。なれど、四季を問わずお好きなのが布団の中です。一度潜るとなかなか出てこられませんよ。寒くなってからはより一層布団と仲睦まじくなされて。ああ、布団といえば干したてですね。主様は陽の光をよーく吸った布団がお好きです。温かくて、良い匂いがして、ふかふかで……裏庭から縁側へ取り込んだ後、その場で寝ようとするほどですよ。私も好きです」
 立て板に水。「お覚悟を」という台詞通り、狐の喋りは淀みもなければ休みもない。管狐の口は壊れた蛇口のように声を垂れ流している。そのスピードと数の多さたるや、覚え切れぬと思った巴形薙刀が中断を願い出て、自室へ筆と帳面、墨池を取りに戻ったくらいだ。
「敷布団と掛布団に包まれた主様は、それはそれは幸せそうにしておられます。ぴったり体に沿う感覚と適度な重みが良いのだそうです。大の字になったり、くの字になったり、兎にも角にも布団で過ごす時間を楽しまれておいでです」
「ほー」
「へー」
 滑らかに話す管狐、傾聴する太刀と槍。彼らの後ろでは薙刀が筆を持つ手を忙しなく動かしており、その隣の剣は顔色一つ変えず膨大なデータを脳にインプットさせている。
「どのような布団を使っている? 素材や生地に好き嫌いはないのか」
「今は冬用の羽毛布団ですね。敷布団の詰め物は木綿で、こちらはずっと同じ物を使用されています。寝心地さえ良ければ特に好悪はないようですよ。されど枕にはお好みがあり、主様は中身の詰まったやや低めの枕をお気に召しておられます。夏にごろ寝をする際は、蕎麦殻枕を愛用されていましたなあ。あの固さと香り、そしてひやりとした冷たさが清涼感を齎すのだとか」
「なるほど……では毛布はどうだ」
「おや、良い質問を。冷気の凍みる夜が続きましたので、ついこの前毛布を新しくしたのですよ。毛足の短い綿毛布です。肌に優しく柔らか、吸湿性もあり、主様はすぐ気に入られました」
「ふむ」
 勉強熱心な巴形薙刀へ、狐はあれこれと授業してやる。雨は上がらない。縁側での講習会も終わりそうになかった。湿り気を帯びた空気の中、管狐の声が朗々と響く。それは薄い障子紙をすり抜け、近くの廊下を歩いていた打刀の鼓膜を擽った。
「……ん?」
 巴形薙刀に獅子王、御手杵──と、こんのすけか?
 打刀は耳をそばだてる。幻聴ではない。刀剣男士のみならず管狐の話し声もしており、気になった彼は当初の目的地を変更して漏れ聞こえる声を辿っていった。
「お前たち、何をしているんだ」
 廊下から顔を出したのは、へし切長谷部だった。自然光が仄かに差し込む、家具や装飾品のない殺風景な空き部屋。彼は室内や縁側に探るような眼差しを向けた。
 開き切った障子の外、縁側に槍と太刀と管狐が並んでおり、敷居付近では剣と薙刀が正座をしていて。へし切長谷部は一同をじろりと、調査でもするかの如く注視する。
「よお、長谷部! 雨宿りついでに、こんのすけがあいつの話をしてくれててさ。これが長いのなんの……」
 だらしなく首を倒し、呆れたように笑う獅子王。
「……あのお方のことか」
「あいつ」とは誰を指すのか、打刀は瞬時にピンときた。該当する人物の顔が彼の脳裏を去来する。
「ああ」
 御手杵が肯定すれば、へし切長谷部は「あのお方の話」と小声で復唱した。吟味しているかのように。
「あの審神者の好きなものの話だな。とんでもなく多いんだぞー」
 打刀の独語を耳聡く聞きつけ、槍が付け加える。
「好きなもの?」
「そうだ。審神者の好きな場所や景色、物等──こんのすけが教えてくれている」
 聞き直したへし切長谷部に返答したのは、巴形薙刀だ。
 外は小雨。天気は悪いが嵐ではない。しかしこの時、へし切長谷部の脳天にはピシャーンと雷が落ちていた。
 あのお方の好きな場所や景色の話? 巴形薙刀たちはそれを聴いていたというのか? そんな、貴重な情報を……!
「数があり過ぎて俺には覚えられないぜ。巴形みたいに書き残せばいいんだろうけどよ」
 肩を竦めた太刀は薙刀へ顔を向け、「まめだよなあ」と感嘆する。彼は石のように動かなくなった打刀の異変に微塵も気付いていない。
 巴形は筆録までしている、だと!?
 ドンガラガッシャーン。第二の落雷に見舞われ、いかめしい表情で目を点にしているへし切長谷部。愕然とする彼の胸底に不快感がぬっと這い出てきた。左手で帳面を押さえ、右手に筆を構えている薙刀に出し抜かれたような気になってしまったのである。俺を差し置いて、と。
 言うまでもなく、巴形薙刀にそのようなつもりは毛頭なかったのであるが。
「だから言ったでしょう。お覚悟なさいと。主様のお好きなものはまだまだありますよ」
「まだまだ」を強調した管狐はふふんと鼻を鳴らす。
「まだまだ!?」
「ええ。半分にもなりません」
「あれで半分までいってないのかよ……」
「問題ない。帳面の空きは十二分にある」
「わたくしも差し支えありません」
 銀の瞳を丸くする獅子王、あんぐりと口を開ける御手杵。疲れの出てきた二振りとは対照的に、巴形薙刀はやる気を振り撒いている。白山吉光も事も無げな顔をしていた。彼ら四振りの反応を見た管狐がころころと笑う。
 和気あいあいたる狐と刀らを見下ろすへし切長谷部は無言のままだ。だが、その胸中では思考や感情が暴風雨となって吹き荒れている。
 嫉妬、羨望、焦り──そういった生々しい心を制御し、打刀は平静を装うべくクールな澄まし顔を決めた。
 あの方の好物、好きなもの。……知りたい。いや、知っておくべきだ。
 彼女はただの人間ではない。自分たちの「主」になるであろう、唯一無二の存在である。主の好みを把握しておくというのは、有能な家臣にとって当然のこと。ゆくゆく信頼を得るためにも、また近侍の座を勝ち取るためにも有益な情報となろう。是が非でも入手しておきたい。
 へし切長谷部は足音を忍ばせそろりと入室する。薙刀や剣のように「交ぜてくれ」と言い出せない彼は、奥には進み過ぎず、畳を二枚跨いだ辺りで壁に背をつけ体重を乗せた。
 気配を抑え、しれーっと紛れ込んだ打刀。御手杵と獅子王は「長谷部も来たのか」と思うくらいで特に声は掛けない。白山吉光と管狐も何も触れなかった。だが薙刀は。
「使うか」
 壁に凭れているへし切長谷部に向かって筆と帳面が差し出される。巴形薙刀が予備にと持ってきていた物だった。
 部屋に入ってきた打刀は聞く態勢をとった。己同様、審神者の力になろうとしている彼のことだ。審神者の好きなものの話がなされていると知り、聞いておきたいと考えたのだろう。そう推測し、薙刀は協力の姿勢を見せた。管狐の口を衝いて出る情報は大量で、自分だって空覚えできず苦戦している。筆記道具があれば役に立とう、と。
「なっ」
 打刀の取り澄ました表情が崩れた。聞きたいなどと一言も告げていないというのに自分の行動を見透かされ、へし切長谷部は動揺する。恥ずかしいやら居た堪れないやら、立ち所に眉間に皺が出来上がった。
「要らん。俺は話を聞く気など──」
 ついつい意地を張る打刀。この期に及び、あくまでも少し立ち寄っただけだというスタンスで押したいらしい。まあ、バレバレであるが。
「おいおい長谷部、そんな遠くじゃなくてこっちに座ればいいだろ」
「長丁場だからな。立ちっぱなしはしんどいぜ」
 ムキになったへし切長谷部を見兼ね、槍と太刀が着座を勧める。
「長居するつもりもない」
 へし切長谷部は憮然とした顔で臍を曲げており、管狐は鼻から細い息を出す。
 やれやれ。手の掛かる刀ですなあ。
 内心で言って、狐は打刀の名を呼んだ。
「へし切長谷部」
 怒号でも大きな声でもない。けれど、やけに迫力がある。へし切長谷部も他の付喪神も口を噤んで管狐に注目した。
 プライドの高そうな青紫の眼をひたと正視し、一つ二つと間を空け、彼はねっとりと笑う。縁日で売られている狐面のような笑みだった。
「天の邪鬼はおやめなさい。後で悔やむことになりますよ。素直にそこへ座り、筆を借りればよいではないですか。私も獅子王たちも気になどしませんから」
「……っ」
「主様のお好きなものは無限にあります。巴形薙刀が暗記できぬほどです。立ち聞きでは頭に入り切らないと思いますがねえ。あなたがそれで良いのならば、もう何も言いませんが。去りますか?」
 管狐が大袈裟に首を傾げてみせると、打刀はぐっと唇を噛んだ。魂胆を看破されて癪に障る。薙刀に筆を借り受けるのも気が進まなかった。しかし、未来の「主」の好物を知るためには去るわけにいかない。盛りだくさんの情報を掌握するにも、メモを取った方がいいだろう。
 苦り切った表情で悩んだ末、へし切長谷部は部屋の真ん中へどかっと座る。手を伸ばし、ひったくるようにして筆と帳面を受け取った彼は、巴形薙刀へ理不尽な睨みを効かせた。
「……礼は言わん」
「構わない。共に学ぼうぞ」
 厚意を踏みにじられたというのに薙刀は気を悪くすることなく、青磁の墨池を自分と打刀の中間に置いた。実に素晴らしき心配りである。

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