雪解け - なんとはなしに

04


「穢れの元を断ち切ろう〜第二次接触大戦In本丸 審神者VS刀剣男士〜」
 急遽発足したプロジェクト。こんのすけと斉藤さんと小規模ながらも策を練り、八月吉日、私は重い腰を上げた。

 *

 はああああああ嫌だよやりたくないよおおおお無理だよ絶対殺されるよおおおおお……なんて、胸の奥で泣き言を喚く。が、今更後に引けない。太陽が燦々と輝く夏の青空とは正反対に、私の心はどんよりげっそり鉛色。
 穢れの大元を浄化するという大目標のもと、まずは安全に本丸御殿に立ち入れるよう、刀剣男士にコンタクトをとる。こんのすけや斉藤さんと色々対策を立て、何度かシミュレーションもしたけれど、やはり不安でしょうがない。あー、うまくいくのかなー。
 池沿いに立つ丸裸の桜の木の下、ごくりと息を呑む。ここはあちらとこちらの境目でもあって、落ち着かない。足元で待機している小さな狐に視線を落とすと、ひとつ厳かに頷かれた。
 うっ、わ、分かった。やりゃあいいんでしょ、やりゃあ。……頑張るよ、頑張るさ。なんか起きたらこんちゃん助けてよね。
 そんな思いを込め、重々しく頷き返す。私とこんのすけは言葉無くとも通じ合える仲だ。たぶん。きっと。
 ……よーし、さあ、やるぞ。気合入れろ私。失敗したらその時だ。お仕事スイッチ、オン!
 顔を上げて、まずはターゲットの捕捉。今日の見張りは黒髪の男の子なんだよなあ、よりによって。あの子が一番血気盛んというかアグレッシブというか……うん、既に挫けそうだよこんのすけ。まあやるしかないんだけどねえ。
 すうっと息を吸い込み、怪訝そうな表情でこちらを睨む黒髪の子へ向かって声を放つ。
「おーい」
 片手を大げさに振ってアピールすれば、縁側に座るあの子はピクリと身を震わせ、唇をきつく噛み締めた。刀の柄にかけられた手は傷だらけで、所々赤黒い肉が見えている。初めのうちはそのビジュアルのグロテスクさに多少の不快感を得ていたが、一ヶ月も経てばわりと慣れてしまっていた。いつ見ても痛そうだから、早いとこ治しちゃいたい。
「ねえ、ちょっと話したいことがあるんだけど。結構大事なことー」
 ぐっ、と。あの子の体が強張る。鋭い眼光に宿るのは、猜疑心か、憎しみか。どちらもありそうで、苦笑いしたくなった。
 やっぱり、話しかけると警戒される、か。だがしかし、これは想定内だ。
「えーと、君んとこのお屋敷さあ、最近毎日穢れてるじゃん? 元を綺麗さっぱり消したいから、ちょーっとそっちに行ってもいーい?」
 怯まずに声を張り、向こうの反応を待つ。黒髪の子はより顔を歪ませ、ギロリと瞳を濁らせた。けれど、以前のように怒声をあげることもなければ、抜刀もしない。こんのすけの言った通り、彼らの私に対する風当たりは微弱ながらもマシにはなっているのかも。……どうだろう、いけるか?
 じりじりと照りつける日差しで、額に汗が滲む。そこかしこで鳴く五月蠅い蝉とは対照的に、私とあの子の間には長い沈黙がどっかりと居座っていた。傍らのこんのすけも私達の様子を静かにじっと見守っていて、物音一つ立てない。
 まさに、一触即発。
 ……。
 ……。
 どれくらい、無言のまま対峙していただろう。暑さで噴き出る汗も、けたたましい蝉の声も、場に漂う緊張感のせいで気にならなかった。
 緩慢に、緩慢に──やがて、変化が訪れる。
 初めは眉間の皺だった。ひどく濃く刻まれていたそれは、消えはせずとも和らいで、次に視線が彷徨いだす。あれほどまでに堅固だった暗紫の双眸が揺らぎ、あの子に迷いが生じているのが分かった。きつく「ヘ」の字になっていた眉が、徐々に「ハ」の字に近づいていっている。
 ははあ、なるほど。これがこんのすけの言う、刀剣男士の「どうすればよいのかさっぱり分からぬ御顔」か。ぱっと見いつもの険しい顔じゃん。全く、判りづらいなあ。うーん、とりあえず心得た。
 これはもしかすると、もしかするかもしれない。ただ、あの子の柄を握る手は緩んでおらず、警戒を解いたわけではなさそうだ。
「だめ?」
 もうひと押し、とばかりに再度声をかけてみる。
 すると男の子はのろりと立ち上がり、青痣で飾られた唇を小さく動かした。何か言ったようだが、距離もあるせいか聞こえない。ついでに蝉がやかましい。
「えっ、何?」
 首を伸ばし、耳を傾けて聞き直す。境界を越えてもっと近くに行けば済む話なのだが、下手に押し迫って今の状況をパアにしたくなかった。「急いては事を仕損じる」、と云うし。やっと光明が差しそうなのだから、チャンスはがっちり掴まないと。
 口をきゅっと真一文字に結び、眉尻を僅かに下げるあの子の容貌を目にして、「躊躇」「戸惑い」……そんな単語が浮かぶ。
「ちょっと、待ってて」
 おもむろに沈黙を破ったのは、どこか覚束ない声音。あの子のこんなしおらしい声、初めて聞いた。
 黒髪のあの子が口を開く時といえば、いつも罵倒というか、憎まれ口というか、そんなものばかりだったもんなあ。いや、ここ二、三ヶ月は話しかけたりしてないから、最近めっきり声聞いてなかったんだけど。
 面食らって応じることができずにいる私をよそに、黒髪の子はこちらへ背を向け、縁側に上がっていった。雑に脱がれた黒い革靴は、ローファーやビジネスシューズを想起させる。……武家屋敷にはそぐわぬ、洋風だ。まああの子、出会った時から軍服みたいな服着てたもんなあ。あと灰色の髪の子も。
 彼らの衣装について一つ述べるとすれば、「えっあんたたち日本刀のくせにそんな格好してんのね」、である。
 着任前、「刀」の付喪神ということで、刀剣男士なる者共の服装は着物とか袴とか、総じて和風なんだろうなあと、思っていたのだが──私の勝手なイメージだったようだ。いやしかし、青い髪の子は袈裟に草履だったしなあ。うーむ。……それぞれの好みだろうか。わっかんない。今度こんのすけに聞いてみよ。
「割りかし、首尾は良いようで」
 足元から飛んできた聞き慣れた声に、ハッとする。
 あれ、今何考えてた?
 ──ああ、どうやら私は、あの子の覇気のない声を耳にして驚きのあまりに思考がぶっ飛び、何やらトンチンカンなことに頭をしぼってしまったようだ。今はあの子らの服装なんぞを気にしている場合じゃないのに。
「あー、……みたい、ね」
 半壊した本丸御殿。縁側に接した障子襖の一つに、細く隙間が開いている。黒髪の子が消えていった襖だ。
「攻撃されなくてよかったー」
 語尾に大きな溜息を付けて、桜の幹にもたれかかる。なんだこの脱力感は。私の精神力はどれだけ削られたというのだ。
「ええ。このまま穏便にゆけばよいのですが」
「んんー……どうかなあ」
 斬り掛かられもせず、峻拒もされなかったけれど、だからといって今後順序良く物事が運ぶかは分からない。
 あの子が「待ってて」と言い、本丸御殿の中に入って行ったのは、おそらく──。
「鯰尾藤四郎は……今頃、他の刀剣男士と談論していることでしょうね」
「うん」
 小さな狐の言葉に同意を示す。
 黒髪のあの子はきっと、相談しに本丸御殿へ戻ったのだ。青い髪の子と、明るい灰色の髪の子と……ひょっとしたら他の子にも、意見を聞くために。
 さて、その結果は否か応か。私にできるのは、ここで待つことだけだ。
 できれば早めにお返事ちょうだいね。こんな暑い中、長時間お日様に照らされてちゃあ、熱中症とか日射病になっちゃうから。
 麦わら帽子をかぶり直し、首に掛けてあるタオルで汗を拭う。容赦なくギラギラ輝く太陽に目を細め、せめて桜に葉が生い茂っていたらなあ、と、無き木陰に想いを馳せるのであった。

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