雪解け - なんとはなしに

09


「ふひー……おーわり、っと」
 余すことなく丁寧に浄化を行い、やっとこさ綺麗さっぱり穢れが消えた。
 集中してたせいで終わるまで無言だった。おしゃべりする余裕がなかったというか、「こいつら(穢れ)絶対消し去る」って超真剣になってたからさあ。なんだかどっと疲れたよー。
「ご立派なお働きにございます」
「でしょ! 私頑張ったよねー」
「ええ、ええ。黙々と冷静に浄化されますお姿に、このこんのすけ、万感胸に迫るものがありました。在りし日にはひどく狼狽えて『一から教えろ』と浄化の教えを請うておられましたのに……いやはや、成長されましたなあ」
 あー……就任初日のあれね。うん、そんな事もありました、はい。お恥ずかしい。
「いや、まあ、そうだけど……ちょっと、今その話出すわけ?」
「これは失敬」
「もー」
 黒い霧のすっかり晴れた室内で、小さな狐がころころ笑う。からかわれた事に対してむすっとむくれて見せるが、それも束の間のこと。
「あ、そうそう」
 浄化の途中、一つ気になっていたモノがあったのだ。
「──これ」
 埃まみれの畳の間、その片隅に落ちているとある物を拾い上げ、しげしげと観察する。
 僅かにくすんだ銀色の腕時計。型は大きく、男物。純和室にはいささか不釣り合いな代物である。
 どうしてこの腕時計が気になっていたのかといえば、単純に「場違いなモノがあるなあ」と思ったのと、それが穢れの中心部に位置していた──というか、穢れを生み出していたように見えたから。浄化の済んだ今はもう、そんなことないけれど。
「……前任の審神者が、身に着けていた物です」
「え」
 やにわに響いた硬い声の、言葉の意味にドキリとする。見下ろした小さな狐からは笑みが消えていて、そのつぶらな黒い眼は淀んでいた。
 前任の──こんのすけや刀剣男士たちに深い心傷を与えた審神者の、物。
 これが。そいつの。
 瞬時に生じたのは得も言われぬ不快感であり、同時に私の手から時計が落ちた。放してしまった。わざとそうしたつもりはなく、言うならば条件反射というものに近い。
「此処は、前任の審神者の御座所にございました」
 静かに出された声は微かに震えていて、色々な感情が含まれているように感じた。多くを語らないこんのすけだからこそ、余計に思う。
 そうだったのか。ここは、この場所は──前の審神者の。
「皮肉なものです。空間を安定させる役割をも担う審神者の遺物が、まさか穢れを生成していたとは」
 首筋を汗が伝う。
 ああ、こんなにも蒸し暑いのに。
 ──なぜだか、背筋が冷やっとした。
「……そう、なんだ」
 長い沈黙ののちに返した言葉の、なんと鈍くさいことか。気の利いた台詞の一つでも言って、この小さな狐を心を満たしてあげれば良かったものを。私にはそんな言辞など、丸っきり思いつかなかったのだ。
 こんのすけはどんな思いでここに来たのだろう。どんな気分でここに居るのだろう。
 以前、どんな仕打ちを受け、どれほどの時を耐え忍んでいたのだろう。
「ごめん」
 やるせなくて、どう声をかけたらいいのか分からなくて、悔しくて、すごくすごく申し訳なくなって、そんなチンケな詫びしか口から出せない。
 いいや、何も慰めの言葉や心配する言葉、励ます言葉を知らないというわけではない。言おうと思えば言えるさ。だが、上っ面でそれらを伝えてどうする? 大切で大好きなこの狐に、心のこもらぬ言葉を贈るなんて嫌だ。ましてやこの状況で。
「なぜお謝りになられるのです。そのような御顔をなされて」
「や、ごめ」
「笑って下さい、主様。私めは今や、惨めで憐れな獣ではございませぬ。現世で最も良き主に巡り会えた、果報者の式神です」
 ふんわりと笑って足元に擦り寄る小さな狐に、愛おしさが込み上げる。
 情動のまま、汚れることも厭わずに膝をつき、小振りな体をきつく抱きしめれば、「大変幸せにございます」と頬に頭を押し付けられた。本当にこの狐ときたら、もう──。
「ううー……こんちゃーん」
 泣きたい気持ちを抑えて、小さな頭に頬ずりをする。
「こんちゃん好き。大好き」
 前の審神者と共に在った過去は変えられない。こんのすけの記憶を消すことも、心の傷跡を無くすこともできやしない。
 ならば、これから先はずっと。
「一生幸せでいさせてあげるから、毎日笑って暮らせるようにしてあげるから」
「あげる」だなんて、とんでもなく態度がでかくはあるが、切実にそう思って。
 おこがましいながらも、何が何でもそうしてやる、と、強く強く発起した故に出た言葉だった。
「恐悦至極に存じます。……まこと、私めは大それた幸せ者にございますな」
「ううん、もっと幸せになんなきゃだめ」
「これまた難題を。私は十分幸福です。これ以上どうせよと仰せですか」
「こんちゃんは何もしなくていい。私がする。幸せにする」
「とは申されましても」
「うっさい。幸せにする」
 むぎゅう。より一層力を込めて抱擁すると、腕の中から「むぐう」とひしゃげた声があがる。
「主様、『幸せ』に押し潰されてしまいそうにございます……!」
「秘技、幸せプレス!」
「ぐええ」
「ぶっは、変な声」
「うぐう」
 薄汚れた部屋でどたばたじゃれ合えば、ふわりと塵が舞い上がる。汚い。
「どこのカップルだよイチャイチャしやがって」と飛び蹴りされそうなやり取りをしていたが、そうだ、私にはまだやるべき事があるではないか。
 小さな狐を抱く腕を緩め、辺りを見渡す。柱や障子、家具等には底気味悪いほど損傷がみられないが、どこもかしこも埃で化粧されていて、非常に不清潔だ。また穢れが湧かぬよう、この汚れを清めなければならない。めんどいので気は進まないけれど。
 ……はあ。やるか、お掃除。

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