雪解け - なんとはなしに

05


 落日によってオレンジに染まった障子紙、眩しい夕陽に照らされ色褪せたように見える畳。襖の隙間から覗く空は茜色で、鰯雲が天高くに浮かぶ様はいかにも秋らしい。遠くに聞こえる鴉の鳴き声が、いつもより侘びしく感じる。
 雅趣に富むそんな夕刻に、私は辛気臭い顔をしてノートパソコンのキーボードをカタカタと打ち、「うーん」だとか「あー」だとか、苦悩に満ちた呻き声を漏らしていた。
 いや、ね。さっきのアレですよ。業績が低いから減給やらボーナスカットやらされちゃう、って話。そんでもって、十二月の家族旅行の旅費が危ういってやつ。
 電卓機能を使い何度計算してみても、やっぱりうん十万ほど足りない。……足りないのだ。これは非常事態である。
「やはり、不足しておりますか」
「あー……うん。やっばいなあ、どうしよ」
 大きな溜息を吐いて、机の隅に片肘をつく。辺りは素敵な橙色なのに、私の心はさめざめとしたブルーだ。
 許容できる最低ラインまで貯金を切り崩してもギリで足りない。いや、今まで貯めた諭吉ちゃんを丸々使えば全額支払い可能なんだけど、貯金を全て失うのは避けたかった。もし、自分や身内に何かあった時の──非常時の蓄えは必要だと思う。
 分割払いできたっけなーと携帯を操作するも、残念無念。予約を取った時点で送られてきた旅行会社のメールには、「分割払い不可」と書いてあった。ぐやじい。なんで分割払いできないのさ。金持ち向けの旅行代理店だからかコンチクショー!
「はあ」
 借金か。借金するしかないのか。生まれてこの方、消費者金融やら銀行やらでお金を借りたことなんてなかったのに。なんだか自分が急激に落ちぶれたように思えて辛い。きちんと返済できれば問題ないのだろうけど、「借金」……なんだこの重い響きは。
「……主様。憚りながら申し上げますが、旅費の調達が困難であれば、此度の船旅、取りやめにしては」
「それはだめ。無理」
 あの旅行を中止するなんて、絶対にできない。したくない。
 予約だって取って、みんなに約束もして、すごく期待させてる。今更、……今更「ごめんお金足りなくて行けなくなった」なんて言えないし、言いたくない。
 中止でなく、先延ばしとすればいいのかもしれないけれど、そうもできない訳がある。
 私の大好きなおばあちゃん、持病が悪化して去年二ヶ月ほど入院していたけど、今はわりと元気なのだ。旅行するならおばあちゃんの体調の良い時に、という想いがあって、だから、できれば早いうちに──今年中にそうしたかった。
 おばあちゃんだけではない。両親もおじいちゃんたちも、いつまでも元気でいられるわけじゃあなくて。あまり考えたくはないが、老いも病も私の大切な人たちをゆっくりと最期に誘(いざな)っていく。
 行ける時に行っておかなければ。できるときに恩返ししておかなければ。自己満足でしかないのかもしれないけれど、楽しい時間や思い出を……共有しておきたい。
 そんな思考が、私を動かしていた。……脳天気な性に似合わず、なんとも暗くて現実的な事を考えてしまったもんだ。私も歳をとったなー。
 妙な所で自身の老化を感じつつ、貝になって熟考する。こんのすけも何も口にせず、ただただ私の傍らでじっとしていた。この狐は本当に空気を読む。KYな弟に見習って欲しいものだ。
 考えて、考えて、ぼんやりと一点に定められた私の目線は、どこを見るでもなく宙に浮いている。
 どうしても旅行はやめたくない。旅費が必要だ。でも借金はしたくなくて。
『少しでも審神者としての本来の役目を行えるのなら、減給も賞与減額のある程度抑えられますが』
『金の工面に苦心するようであれば、本来の職務にもう少し積極的になられてみては?』
 ──頭のど真ん中で、斉藤さんに言われた事が、斉藤さんの言葉が、呪文のようにリフレインする。それはじわりじわりと私の思索に染み込んでゆき、ある一つの答えへと道を作っていった。
「……ねえ、こんちゃん」
 ぽつり。森閑とした屋内に、私の声が落ちる。それはすぐに橙色の世界に融けた。
 どこかへ飛び去ったのか、鴉はもう鳴いていない。いや、鳴き声がここまで届いていないだけなのかもしれない。
「はい」
 鼻先をこちらへ向け、私をじいと見据えるこんのすけ。彼の落ち着き払った居住まいに、「ああそうか」と悟りを得る。
 きっとこの狐は、私が次に何を言うか、私が何を考えているか、察しているのだろう。
 だって、ちっとも不思議そうにしていないんだもの。
「できると思う?」
 静穏な黒い瞳を正視し、問う。
「──確証はありませんが、或いは。……少なくとも、以前よりは見込みがありましょう」
 ほら、やっぱり。こんちゃん全然動揺してないし、主語がなくてもちゃーんと分かってる。
「そっか」
 短い会話だったけれど、私の中のある考えはくっきりと形付いた。
 ──やってみよう。無理だ何だと諦めかけていたことを。あの子たちの修繕を。その先にある審神者(わたし)の仕事を。
 できないかもしれないが、やらずに後悔したくないし、今の私に考えつく案はそれしかなかった。もう、やってみるしかないのだ。
 やることやって、減給とボーナスカットをなんとしてでも抑え、旅費を確保しなければ。
 ……失敗したら、どうしてもできなかったら、その時はアイフルでも銀行でも駆け込もう。めっちゃ嫌だけどね!
 いささか(かなり)動機は不純であるが、それでも私にとっては立派な起因。平和な秋にひとつまみのスパイスを入れてみようではないか。
 こんな理由で手入れされようとしている彼らにはすまなく思うけれど、……あー、たぶん、もっと嫌われるだろうなあ。「お金のため」っていうのは伏せておこう。
「作戦会議、付き合ってくれる?」
 前のめりに机にもたれ掛かっていた体を起こし、ニッ、と笑ってみせれば、小さな狐はゆっくりと頷く。
「ええ、勿論にございます」
 そう言って返された笑顔は、なんとも頼もしいものだった。

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