08
池の側、丸裸の桜の木の下でのなんとも言えないやり取りの後、一時間もしないうちにあの子らが現れた。逃げ帰ったとばかり思っていた灰色の髪の子は、どうやら他の子と相談をしに御殿へ戻っていたようだ。諦めモードで鯉にのんびり餌をやり始めた矢先だったから、びっくりしたよ。
太鼓橋の欄干にダランと凭れ、茶色の粒を取り合う色とりどりの錦鯉たちを眺めながら、次の手をどうするか、はたまた潔く引き下がるかを考えていたのだが、その必要はなくなった。
驚く無かれ。──なんと、こんのすけの予見が当たったのである。
あの夏の日のようにこちらとあちらの境界線を跨いで三口の付喪神と対峙し、切り出されたのはまさかの「イエス」。望み薄だと思っていたので、どえらく驚いてしまった。
まあ、ただ……やはりというか、「条件付き」なんだけどね。
「手入れだけだから。……終わったらすぐそっちに戻って」
明るい灰色の髪の子はどこかバツが悪そうにそっぽ向いて言い。
「手入れの後も俺たちの事は放っておいて欲しい」
黒髪の子は小難しく眉を顰めて唇を引き結ぶ。
「……」
青い髪の子は何も言わず、険しい顔でじいと私を凝視していた。
初心者殺しなこの職場に赴任して苦節七ヶ月──ようやく刀剣の修繕が行えるのは喜ばしいが、それ以後の彼らの協力は得られそうにない。残念だが、出陣や遠征(?)等、そういったものはひとまず断念しよう。
給料、ボーナス確保のために、「治す代わりに敵倒してこい」と膝詰め談判したい気持ちがないわけではないが、前の審神者に扱き使われていたというあの子らにそんなことするのは酷である。なので、やめておいた。電話で「後はどうとでもなる」って言ってた斉藤さんがなーんか策謀してそうだし。おお、きな臭い。
ま、急ぐことないよね。お手入れさえすれば旅費もなんとか……うん、なんとか……なるかなあ?
「分かった。お手入れだけして離れに帰るよ。その後も今までどおり、君たちに干渉したりしない。あ、用がある時は話しかけるかもしんないけど」
彼らの話をまとめ、復唱する。最後にちょっとおどけてみせたが、反応はイマイチ。スベったお笑い芸人の気持ちがよーく分かりました。はい。
白けた雰囲気に気まずさを覚えながら、話題チェンジを試みる。
「えーと、まあ、みんな元気になったらさ、ゆっくり休みなよ。のんびりだらだら自由に好きなことして。あ、物騒なのは勘弁ね」
休む間もなく虐使されてた付喪神たち。手入れによって回復したら、まずは羽根を伸ばして思い思いに過ごして欲しい。痛くて苦しい記憶が消えるわけではないけれど、休息することで少しでも和らげばいいな。
……神様たちがぐーたら休んでくれると私の身も安全だしね。七十近い神様から襲撃されるのはごめんだ。そうなったらこの本丸を即刻脱出しよう。時の政府さん保護よろしく。
ん?
……あれ? 目の前の三口がきょろきょろもぞもぞ──なんかそわそわしてるんだけど。ふむ、動揺してるのか? はあ、なんで?
彼らの態度の僅かな変化を解せずにいると、足元から声が飛ぶ。
「休んで好きなことをしろ、と言われ、戸惑うておりますか」
「え、そうなの?」
ああ、今まで馬車馬のように働かされてたから、休めとか言われて「エッ……」ってなったのか。うっわーブラック企業の社畜みたいだなー。かわいそう。大丈夫、私はホワイトでいくから安心して。私と前の審神者の違いを身に沁みて理解するがよい。
横並びになっている三人を見回すと、あからさまに視線を逸らされる。ああ……んー、居た堪れない。やっぱ出陣云々の協力要請はやめとこ。ひとまず休め。体がぐでんぐでんになるまで休め。おう。
「あー……うん、働かなくていいから、ほんっと養生してください」
彼らの痛ましさに声のトーンが下がってしまう。同情し過ぎるのはよくないが、なんかねえ。……やっぱ不憫だわー。
得も言われぬ空気が流れるも、見計らったかのようにこんのすけが口を開いた。
「諸兄、ご安心ください。この御方は決して約束を違えはしません。また、あなた方を害しもしません」
背筋をピンと伸ばし、濁りのない瞳を真っ直ぐにあの子らへ向ける狐は、そりゃあもう凛としていて。
「既にお気付きかとは思いますが、この御方に『呪(しゅ)』や『言霊』を扱う力はございません。何より……手酷い仕打ちをされるような、非道な方ではありませぬ」
「しゅ?」
聞き慣れない単語を疑問のままにリピートしてしまう。ああ、話に水を差してしまった。せっかくこんのすけが援護射撃(?)をしてくれてたのに。
「ええ、『呪』です。──呪い、呪詛とも謂いますか」
「げっ、何それ」
呪い。呪詛。うへえ物々しい。
コーン、コーンと恐ろしい形相をした女が木に藁人形を打ち付ける──丑の刻参りが脳裏に浮かび、心ともなく顔を歪めてしまった。
「言葉通りにございますよ」
うわあ、前の審神者さんって何者? 陰陽師とか呪術師とか、そっち系の副業でもしてたの? 黒魔術師なの?
「えー、前の審神者(ひと)呪いなんか使えたの? うっわ、すごいね」
この「すごいね」は断じて褒め言葉ではない。ドン引きやら驚嘆やらを含めた「すごいね」だ。
「前任は、古き血の流るるお人であらせられましたから」
すうと目を細めたこんのすけは、やけに静かに、溢すように言い、微かな溜息を吐いた。前の審神者の事を思い出しているのだろうか。
「……そっか。私はよく分かんないけど、凄い人だったんだね」
「はい。良い意味でも悪い意味でも」
どこか遠くを見据えている小さな狐。その胸中には難解な想いが渦巻いているのかもしれない。
なんと声をかけようか迷っていると、「さて」と、徐ろにこんのすけが沈黙を破った。
「手入れはいつお受けになりますか。我が主は少々物臭な性分をお持ちであります故、今のうちに詳細な取り決めをされた方がようございますよ」
へっ? なんだって?
「ちょ、こんちゃん!」
唐突な発言に泡を食い、まごついてしまう。こんのすけに問いかけられた付喪神たちも、一様にぽかんとしていた。おいおい、さっきまでシリアスだったかと思えばこうなんだから。んもう。
「これは失敬」
小さな狐は悪戯っぽく黒い瞳を光らせ、品良く笑う。この子なりの気遣いなのか、はたまた続けたくない話題だったのか……どちらにせよ、呪いあれこれの話は終わりだ。
「もー、人を物臭扱いして」
「違いましたか?」
「ううん、違わないけど」
なんだか締まらないが、まあ、こういうのもアリか。
水色に澄む秋空の下、少しばかり緩んだ空気の中で、私は三人と話を進めていった。