雪解け - なんとはなしに

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「まずは資材のご用意を。皆重傷でありますから、分量としては玉鋼が──……」
 こんのすけに言われるがまま、黒ずんだ葛籠からそれぞれ資材を取り出してゆく。これがもう半端ない量で、積み上げられた鉱石や炭やらで手入れ部屋前の廊下が埋め尽くされてしまった。どんだけー!
「次に、手順の確認です。手入れ部屋に入りましたら、始めに式札へ力を注いでください。式神が顕在化しますので、『治せ』と命を下すのです。式神の手入れを受けている刀剣男士、もしくは刀剣本体に手伝い札をお当てになれば、傷は寸秒もせず塞がりましょう」
 手入れの順序については昨日嫌と言うほどマニュアルを読み、ぶつぶつ呟きながら学習したので大体は頭に入っている。たぶん大丈夫だとは思うが、初のお手入れへ挑む初心者審神者な私のために、こんのすけはおさらいをしてくれたのだろう。ナイスサポート。
「うん。お札に力流して式神呼んで治してもらう、お手入れ中の神様に手伝い札をくっつける。これでいいんでしょ?」
「よろしゅうございます」
 手入れの手順を噛み砕いて繰り返せば、小さな狐は満足そうに大きく頷いた。
 手伝い札のぎっしり詰まった竹ざるを両手で抱え、ゆるく握った拳で式札を持ち、すうーっと肺いっぱいに空気を吸い込む。別の部屋のものであろう真新しいイ草の匂いや、梁や柱の爽やかな木の香り、そして微かな生臭さが鼻腔を通った。
「そんじゃ、行こうか」
 眼前の障子襖はどこもかしこも破れ千切れて脆そうだ。けれど、ぴしゃりと硬く閉ざされているせいか、不思議と堅牢に見える。
「ええ」
 足元に居るこんのすけの落ち着き払った凛々しい姿は、非常に頼もしい。緊張するし、不安もあるけど、この子がいるなら大丈夫、何かあっても助けてくれる。
 さあ、やろう。私はこれからすべての刀剣男士を治す──仕事をするのだ。
 気を引き締めて神の魔窟に踏み入ろうと、障子襖の引き手に手を……あ。
「あ、両手塞がってた」
 せや、私竹ざると式札とで手えいっぱいだったんだわ。せっかく気合いれたとこなのに、あー気が抜けるう。
「んぐうー」
 障子襖を開けるべく逡巡し、唸りながらざるの持ち方を両手から片手に変える。横腹にざるを押し付けて支え、しっかり縁を掴んで……ちょっと無理があるかもしれないけど、まあできないことはない。バランス感覚を研ぎ澄ませ、私。
「難儀そうですね。ああ、私が人の形をしていればお力添えができたでしょうに……」
 嘆かわしいとでもいうように眉間に皺を寄せ、悲しげな声をあげるこんのすけ。
「ん、頑張ればいけそう。大丈夫」
 よっと、とからだ全体をばねの様に跳ねさせて竹ざるを持ち直し、体勢を整える。いい感じに安定したので、再度ボロボロの障子襖と対面した。
「開けてもいい?」
 首を捻じり、顔だけを三人へ向ける。黒髪の子、青い髪の子、灰色の髪の子──皆、張り詰めた表情で小さく頷き、刀の柄に手を添えた。……私の動向が怪しければ、即刻切りかかるつもりなのだろう。まあ、怪しいことなんぞするつもりもなければ、切り捨てられるつもりもないが。
 はあ、どうか穏便に終わりますように。
 相変わらずの警戒態勢にやれやれと密かな溜息をつき、式札を握っている手を障子襖の引き手へ当てる。拳を解くと指間に挟んだ式札が落ちてしまうので、引き手の金具に小指をひっかけ、強引に隙間を作った。そこへ足を滑り込ませ、ぐいーっと襖を押し開ける。
 我ながら行儀悪い足だ。「器用ですな」と感嘆する小さな狐へ「足癖悪いでしょ」とニヤリと笑えば、彼は面白がって「足で箸も持てそうでございますね」と言った。
 むわり。どぎつい臭気が鼻を攻め、不快指数がぐんと上がる。
 ひらかれた開かずの間の、むせ返るような血と肉の異臭。吐き気で喉の奥が気持ち悪くなり、思わず息を止めてしまう。臭い、と声に出すことはなかったが、盛大に顔を顰めてしまった。
 悪心と闘う私をよそに、こんのすけは平気なようで、涼しい面持ちで私の横を歩いている。人より嗅覚の優れている獣の身をしているというのに、平気なのだろうか。
 あー、あの子たちには悪いけど、鼻にタオル巻いてくればよかったな。くさいどころの話じゃないわこれ。
 できるだけ匂いを嗅がないよう息を殺し、殺人現場のようなその部屋に一歩踏み出す。ほつれた畳が靴下越しに足底をくすぐり、いやに歩きにくい。何より、折り重なるようにして倒れている男(おそらく刀剣男士)や、部屋中を覆い尽くしている刀身剥き出しの刀のせいで、足の置き場がなかなか見つからないのだ。資材で埋め尽くされている廊下同様、こちらもかなりごちゃごちゃしていた。
 どれが誰で、どんな刀で、どの付喪神か、なんて分からない。大小様々形貌様々、目を開けているもの閉眼しているもの、ぼうっとしているもの睨みをきかせるもの……色々いた。さっと見回して唯一分かるのは、皆、ひどい──本当にひどい深手を負っているのだな、ということのみ。
 裂けた腹、傷口から覗く内臓、皮膚に走るいくつもの切創──それらはとてつもなくグロテスクで、生々しくて、視覚と嗅覚が馬鹿になりそうだった。胃の腑がむかむかし、気を緩めると胃液がせりあがってきそうで、息苦しい。よく吐かなかったと自分を褒めてやりたい。
 この場から離れ、少し逃げ出したくなった。でも、しないしできない。私はここで成すべきことを成さねばならないのだ。これほどまでの大怪我を放っておくのは純粋に可哀想だと思うし、彼らを治すことは仕事でもある。
 さあ、どれからやろうか。
 もう一度、室内の端から端までをじろりと視線でなぞる。目に留まったのは、部屋の隅に固まって倒伏している子ども達。
「ちっちゃい子が……」
「付喪神、粟田口の短刀です」
 アワタグチが何なのか知らないが、幼い姿をしているあの子らも短刀の刀剣男士──付喪神には違いないようだ。年頃は青い髪の子や灰色の髪の子と同じくらいであろうか。ぽつぽつと、少し大きめの子もいる。どの子も血に塗れてぐったりと横になっており、体中に痣や傷がついていた。
 痛ましい。あんな小さな体躯を血に染めて……きっと、前の審神者によほどな無理をさせられたのだろう。他の付喪神の怪我も気になるが、治すならあの子たちからか。
 そう思い、小柄な身体の集まるそこへ向けて移動を始める。
「主様、くれぐれもお気をつけて」
「ん」
 きつい臭いのせいでうまく呼吸ができず、短い返事しかできない。
 手伝い札を落としてしまわないようバランスをとりながら、空いたスペースを見つけて一歩一歩足を出す。途中、意識のあるものから「出て行け」と怒りの滲む虫の鳴くような声でいなされたり、鋭い眼光を射られたりとしたが、私を殺しにかかるような動きはなかったので通り過ぎた。重い傷のせいで体が言うことをきかないのだろう。
 ……これは、斬られるな。こいつらが元気になったら。……ま、予想はしていたが。
 手入れを終えたらすぐに去ろうと心に決め、ようやく子どものなりをした付喪神らの元へたどり着く。
 ──と。
「主様!」
 ひゅっ。
 こんのすけの緊迫した声と同時に、風が鳴る。それらに反応する間もなくふくらはぎあたりに衝撃をくらい、姿勢を崩した私は横転してしまった。全てがスローモーションのようで、けれど、あっという間だった。

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