12*
この地の審神者が深い眠りについた。その身に宿っている力はもうほとんど残っていない。力と生気は互いに結びついており、女の意識が失われたのは、これ以上力が漏出しないよう、命を守る為の防衛反応の一種でもあった。
主軸たる彼女の衰弱は、空間の乱れに繋がる。現に、女が気を失ってすぐ本丸上空は暗雲に覆われ、見る間にさあさあと雨が降り始めた。どこからともなく雷鳴が響き、宙を走る稲光は電気信号のように光っては消え、そしてまた光る。
離れの上がり框で行き倒れた女の傍には、補助役の管狐がいた。大切な主人の異変にしばし動転していた彼だったが、ひとまず靴を脱がしたり、姿勢を整えたり、布団を掛けてやったりと、小さな体をめいいっぱいに使って女の身を気遣った。
狐は心配そうに女を見つめたのち、やがて己のすべきことを考え、速やかに政府への連絡や指示の確認を行う。数多に存在する「こんのすけ」という式神の中でも、彼は優秀な部類であった。
政府は女が自然に覚醒するまでその場で待つよう狐に告げ、有事の際は緊急ゲートを開き女を保護する旨を伝える。「有事の際」という言葉に神経を尖らせる狐。傷の癒えた刀剣男士が女に仇なすようならば、己の主に更なる危機が迫ろうものならば──身を挺し、全力で守ろうと。そう意気込んだ。
しかし小さな管狐は一介の式神であり、付喪神たる刀剣男士には逆立ちしたって神力でも武力でも敵わない。ただ、狐には狐なりのやり方がある。また、彼は女の忠実なる侍従であるが、かといって付喪神と反目しているわけでもないし、彼らを嫌ってなぞいなかった。
神々が事を荒立てるようであれば立ち向かうが、できれば波風立てずに済ませたい。……先に動き、牽制をしておくべきか。
人間不信の刀剣男士への第一手を思案しつつ、開きっぱなしの戸口からそろりと外を覗けば、体の自由を取り戻した付喪神たちがそこら中を流れ歩いていた。雨に濡れるのも気にせず庭を見て回るもの、縁側をぐるりと巡り辺りを観察しているもの、天鼓に驚き身を竦ませるもの、様々だ。どの顔にも見覚えがある。
──懐かしい。そんな所感が狐に芽生えた。
先の審神者が就任初日に現世へ降ろした刀、初めての鍛刀で顕現した短刀……出陣に出陣を重ね、刀剣がどんどん増え、大所帯となった本丸。
かつて、この地を先の審神者が支配していたあの頃。ここは幾多の神々でごった返していた。傷つき、疲弊し──幸せとは云えなかったが。
ひしめいている神々を眺め、狐はほっと安堵する。去り際に追うなと制したせいか、彼らが離れを襲撃するような気配はない。少なくとも、今のところは。
だが、この先はどうだろう。鯰尾藤四郎や蛍丸、小夜左文字から経緯を聞いた他の刀剣男士が、このまま大人しくしている保証はない。審神者を──人間を排除せんと動き出すものが現れる可能性は十分にあった。
ではその可能性をできるだけ低くするため、己には何ができよう。
狐は逡巡し、心を決めた。相手の出方を見つつ、これまでの出来事についての補足説明をし、神々が女に危害を加えないよう忠告を行おうと。また、女が前任の審神者とは違う生き物であることも知ってもらうべく、和合をめざし、仲介役として先手を打とうと決心した。
小さな狐が小さな四足で敷居を越え、雨の降る庭へと軽やかに飛び出せば、瞬時にあらゆる視線が集う。その反応の早いこと。狐が政府の──人間の手先であると捉え、皆神経を尖らせた。中には刀を抜き、鋭く輝く美しい刃を狐の方へ向けるものもいた。
一瞬臆した狐だったが、彼の軽快な足取りは止まらない。何の根拠もなかったが、実際に斬られはしないだろう、と、政府の式神は漠とした思いを抱いていた。彼の内にある密やかな仲間意識が、そんな見込みをさせたのだろう。
もし斬りかかられても、狐には女の施した結界がある。守りは堅強で、いくらかの斬撃には耐えられるものだった。
「短刀たちは向こうへ。前田、平野、行きなさい」
縁側に出ていた一期一振は、狐がやって来るのを遠目で確認するがいなや、弟を含む短刀勢を隠すように奥座敷へ追いやった。
「は、はい」
緊迫感を含んだ声振りに、縁側や屋内に散っていた小柄なものたちが弾かれたように身を翻す。前田藤四郎、平野藤四郎を始めとする短刀たちは、小走りに御殿の奥へと次々に消えていった。ぱたぱたという軽い足音が重なり、彼らの通る間、畳の上が賑やかになる。
「骨喰、みんなを」
「分かった」
促された骨喰藤四郎は、今しがた去った短刀の後を追う。間髪を入れずに同じ脇差である物吉貞宗も機敏に動いた。
「ボクも行きます」
「ありがたい」
一期一振と物吉貞宗は互いにしかと頷き合い、そして速やかに別れた。
短刀たちにも剣術の心得はあるため、決して彼らは無力ではない。隠密や偵察に優れ、その特性を活かし室内戦や夜戦では大活躍をするほどだ。現に、彼らはいくつもの死線をくぐり抜け、おびただしい数の時間遡行軍を葬っている。
しかし、此度の相手は管狐。狐自体に大きな力があるわけではないが、この式神の背後には時の政府がいる。もし争いに発展すればどのような策を講じてくるか、神々にとって未知数だった。太刀や打刀等と比べ刃の小さな短刀だけでは、何かあった際に心もとないと思ったのだろう。
もともと一期一振という付喪神は、弟たちや他の短刀に対して少々過保護な性質を持っていた。先の審神者にぞんざいに扱われていた往昔もあってか、この本丸に居る「一期一振」は特に庇護欲が強い。
「俺っちはここにいるぜ」
「オレも」
「薬研、厚……!」
あらかたの短刀がいなくなったが、残ったものが二口だけいる。薬研藤四郎と厚藤四郎だ。
「いち兄。何が起こるか、自分の目で見ておきたい。よしんば戦闘になったとしても、邪魔にはならんつもりだ」
平然とエモノに手を掛け、己の兄をじっと見据える薬研藤四郎。
「小回りが利く短刀がいた方がいいかもしんねえしな」
冷静に状況を分析し、交戦となった場合にどう動くかを推し量る厚藤四郎。
「……分かった。無理だけはしないように」
彼らの兄たる太刀は重々しく首を縦に振る。万が一を思うと心配ではあったが、見下ろした二口は引きそうにない。弟たちの固い意志を汲み取ったのだ。また、厚藤四郎の言う通り、確かに敏捷性の高い短刀がいれば有利になる場合もあるかもしれない、とも考えて。
一期一振は過保護な付喪神ではあるが、だからといって短刀を「か弱きもの」と括っているわけでも、弟たちを信頼していないというわけでもなかった。