13*
雨粒に打たれながら庭を駆け、管狐は僅かの間に御殿の縁側へ上がり込んだ。濡れた身体をふるりと震わせば、白と黄色の毛についた雨水が撥ね落ち、木目板に点々と模様を作った。
この地の要たる女が眠りについてまだ寸刻も経たぬというのに、この雷雨である。安定していた空間に乱れが生じているせいだが、先の審神者が居た頃の赤黒い空よりはマシだと狐は思った。
「いやはや、土砂降りにございますなあ」
旧知の友にかけるような柔らかい声。狐は寛いだ様子でぺたりと尻を床につけ、衆多の付喪神を仰ぎ見る。対する神々はどれもひどく警戒しており、険しい表情で狐を見下ろしていた。敷地内に散っていたものたちも何事かと縁側に参集し、そこ一帯の密度がぐっと濃くなる。
この距離になって、神々は狐を纏う結界の存在に気付いた。それは離れや手入れ部屋、畑周囲に張られたものと同じ力でできており、なかなかに強いものだった。しかしその力は、過去自分たちを支配下においていたあの男のものとは違う、彼らの知らない気配を帯びていた。
「おや、皆様、なんと恐ろしい貌をしておいでで。神ではなく鬼と見まごうてしまいそうです」
そんな冗談を放ってみるも、刀剣男士にどれ一つとして笑みはない。ピリピリとした雰囲気も和らぐことなく、小さな狐は「ふむ」と小首を傾げた。
「手厳しいですな、無理からぬことやもしれませんが。……さて、蛍丸、鯰尾藤四郎、どこまでお話になられましたか」
目覚めたばかりの疑心暗鬼な神々との対話は難しそうだとふみ、狐はもともと相識のあるものへと視線を送る。すると物々しい空気を漂わせた一期一振と明石国行がそれぞれを守るように進み出て、二振りを自らの後ろに隠してしまった。
「ううむ、心外です。取って喰うつもりなどないというのに。私も随分嫌われたもので」
ふん、と鼻で息をつき、やれやれといったように首を左右に振る狐。
話をふられた二口は突然のことに驚いて互いに目を合わせたが、やがて蛍丸が明石国行の背後からおずおずと顔を出した。表情こそ曇っているものの、萌黄の瞳に強い敵意はない。
夏の大掃除で、狐は己が「惨めで憐れな獣」だった事を鯰尾藤四郎らに明かした。以降、明かされた三口は「こんのすけ」に対し錯雑な心理を抱くようになった。
狐は新たな審神者を「主」と慕い、人間側についている。自分たちの仲間とはいえないが、刀剣男士にとっての「惨めで憐れな獣」は、あの辛く忌まわしい時期を共に耐えた戦友のようなものなのだ。人は憎く、信頼に値しないものであれど、間に立つこのこんのすけは仇ではない。また、狐に神々へ害を為すような行動は一切なく、それ故敵とも味方ともはっきり決めつけられないでいた。
いっそのこと、敵だと断定してしまえば楽なものを。それができないから、気重なのだ。
「……まだ、半分くらい」
蛍丸がつっけんどんながらにそう答えれば、明石国行の垂れた眼(まなこ)が鋭く光る。
「蛍、下がっとき」
「でも」
「ええから」
小柄な大太刀を諌める明石国行、兄弟分である太刀に物言いたげな蛍丸。そこに、管狐が口を挟んだ。
「お二方、そのままで結構。話だけさせていただければそれで」
ざあざあと地を打ち付ける雨が音を成す。他の付喪神は皆静かに狐の言動に注意を払っていた。
「それで、蛍丸。半分とは?」
狐が明石国行の背後へと問いかければ、返事はすぐにかえってきた。
「あいつがいなくなったことと、新しいのが来たことと、ここは俺たちがずっと住んでる本丸だってことと、……新しいのに治されたってこと」
「大筋は説明済みですか。ちなみに、私めについては?」
「……まだ」
どこか歯切れの悪い返答に、狐はあいわかったと言わんばかりに頷いた。
「ふむ、分かりました。では挨拶が必要ですね」
管狐はぴんと背筋を伸ばし、堂々と胸を張る。そしてぐるりと周囲を見渡し、仰々しく頭を下げた。
「快癒なされた皆々様、私は時の政府より使わされししがない管狐、名をこんのすけと申します。……以前は、『惨めで憐れな獣』、と呼ばれておりました」
先刻傷痍の全治した付喪神が、鯰尾藤四郎らを除いて一斉に瞠目する。
惨めで憐れな獣。その言葉に場の空気は一変し、辺りにどよめきが起こった。
「お久しゅうございます」
カッ、と雷が妖しく光る。
小さな狐がにやりと笑うと、霹靂が轟いた。