18
なんとも引っかかりの残る通話を終え、未来の技術で作られた充電器──いや充電箱に携帯を放り込む。ふと壁掛け時計に目を留めれば、時刻は二時過ぎ。障子の向こうがぼんやりと明るいので、おそらく午前ではなく午後の二時だろう。斉藤さんも普通に起きていたことだし。
ヘマして眠りこけていたせいで、三日間も家事や畑仕事が何一つできていない。家は荒れていないだろうか、畑の作物や庭の花は枯れてないだろうか、鯉たちは元気にしているだろうか、付喪神たちはどうしているだろうか……次々に気がかりな事が浮かび、それらがどうなっているのか確かめるべく点検を開始することにした。
まずは私とこんのすけの住まう離れ。ここはそう大きな変化はなさげだった。米櫃の白米や残り物の味噌汁が腐っていたくらい。もったいないけど、虫が沸いてなくてよかった。夏場でなかったのが幸いだ。蛆や蝿には……うん、できれば会いたくないね。
上がり框で行き倒れた私に掛けられていた布団を元の位置に戻し、改めて小さな狐に「ありがとう」と告げる。こんのすけは伏し目がちに「それしきのこと、礼を述べられるまでもありませぬ。私が人の形をしていれば、褥(しとね)までお連れできたでしょうに」と、いじらしいことを言った。もう、ほんと、この子はかわいい。
「つかぬことをお伺い致しますが、なぜご自分のお力で手入れをなさろうとしたのです?」
畳んだ布団を何気なくぽんぽんと叩いていると、控えめな問いかけが背中にかかる。
「ん? あー……」
そうだ。私は正規の手順を踏まずに手入れをした。こんのすけに止められたにもかかわらず。
この小さな狐にそんなつもりはないかもしれないけれど、なんだか咎められているような気がして若干きまりが悪い。怒られやしないかとちょっとドキドキして、返事をするのに躊躇してしまった。
「……黒い髪の子が──『お願い』って言ったから。あの子に『お願い』なんてされるの初めてだったじゃん? だからね、あの子にとっては別に大した事じゃなかったかもしんないけど、これはなんとかしてあげないとって思って。でも無茶するつもりはなかったんだよ。とりあえず、あの子が大事そうにしてた人だけでも治せたらーって思っただけで、ほんと、全力出す気はこれっぽっちもなかった」
「でも」の辺りからやや早口になったのは、気まずさのせいだ。言い訳がましくとられないか(実際弁解みたいなもんだけど)ひやひやしている私を、小さな狐はどんぐり眼でじいっと見つめている。
「う……怒ってる?」
その目線に耐えかねて尋ねれば、柔らかな笑顔が返ってきた。
「いいえ、ちっとも。気は揉みましたが」
「ほんとに?」
「はい」
畳についた膝に頭を擦り寄せられ、服越しにこんのすけの温度を感じる。毛皮でふさふさな平べったいオデコに手を乗せると、彼は「主様の手はあたたかいですね」と言ってゆるりと目尻を下げた。
良かった。迷惑かけてやきもきさせちゃったけど、本当に怒ってはないようだ。
心の中でほっと安堵し、ひとしきりこんのすけを撫でる。十分わしゃわしゃしたので、私は再び見回り作業に戻ることにした。
「そのように動いてお辛うはございませんか」
「平気平気。だるさもだいぶ抜けてきたし。寝過ぎだったんだよ」
行く先々にちょこちょこと付いて来る小さな狐は、度々心配そうな眼差しを向けてきた。元気アピールをするも、信じ難いのか無言でじっと凝視してくる。なんやねんその視線! 気にかけてくれるのは嬉しいけど、こんちゃんちょっと過保護過ぎんよ。
縁側に出て秋の裏庭を見回すと、何も掛かっていない物干し竿がぽつりぽつりと透明な雫を垂らしている。あそこには昨日干した──いや違うか。三日前の朝に干した洗濯物があったはずなのに。
……ああ、そういえば、部屋の隅に服とかタオルがまとめられてたな。
「あれ、こんちゃん洗濯物入れてくれたの? へー、すごいジャンプ力。ありがとう」
思い当たる人物(式神だけど)に感謝を告げれば、小さな狐は静々と一礼した。
「いえ。竿から下ろす際口を使いました故、お召し物が汚れているやも……申し訳ございません」
「ううん、ヨダレくらいいいって。あー、雨降ってたんだね」
いつもより色濃い地面、湿気た空気、露に濡れた草花、冷やりとした気温、軒先の雨だれ、灰色の雲に覆われた空──雨上がりの景色は陰気であるが、ああ、雲間から光が差し込み始めた。まっすぐ、放射状に降り注ぐ光の筋はとても美しく輝いていて、思わず足を止めて見入ってしまう。
「こんちゃん、見て太陽。綺麗だねえ」
僅かな眩しさに目を細め、分厚い雲からどんどん姿を現すおひさまを見つめ続ける。
「ええ、とても美しゅうございます。……三日ぶりの御天道様ですなあ」
「え、そうなの?」
「はい。あなた様がお倒れになられてからというもの、この地は長雨に見舞われておりました」
おや、それは初耳。まさか私が力を使い込んで眠っちゃってたから? いやまさかただの人間に天気を左右するほどの影響力なんて──。
「審神者とは、『眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる、技を持つ者』。されどそれだけではなく、審神者は時の政府の創りし空間の要でもあります。主様がここを長期間離れる事ができぬのも、神たる刀剣男士と等しく重視されておられるのも、この本丸の主柱であらせられるが為」
「ん? うん」
何らや小難しげな話であり一瞬理解できなかったが、晦渋な言い回しを自分の中で噛み砕き、意味を脳に分からせていく。
つまり、審神者は付喪神を刀剣男士として目覚めさせるだけじゃなくて、この創られた空間を維持もしくは調和させる役割もある、ということだろうか。だから長い日数留守にできなかったり、政府に重用されたりする、と。
ああ、そういえば夏に──前任の審神者の部屋を掃除していた時に、穢れの大元となっていた腕時計を見たこんのすけが「空間を安定させる役割をも担う審神者が……」とか言ってた気がするな。
「じゃあ、三日間ずっと雨だったのはもしかして私のせい?」
「如何にも。この地の要である主様が力を消耗し、深き眠りにつかれたが故、天候が崩れました。責めているわけではありませんよ。……お目覚めになられて良かった」
うっすら笑い、黒い瞳に柔らかさを含ませるこんのすけ。
「御覧下さい。雨雲が徐々に流れております。きっと、見る間に晴れゆくでしょう」
空を仰げば、白く輝くまあるい太陽が目に入った。完全に雲の影から出てきたようで、雨後の大地を穏やかに照らしている。
「……なんか、晴れ女になったみたい」
「ほほ、言い得て妙。ですが、主様は『晴れ女』ではなく、『太陽』そのものなのではないかと、私は今思いました」
「はあ!? げっ何それ! 恥っずかしい。そういうのやめてよ」
「なんと。私の心よりの所懐にございますが」
「はーずーかーしーいー。それに大げさ」
むず痒さを誤魔化すように顔を顰めてみるが、小さな狐は心外だと言わんばかりに首を傾げた。
後引く照れ臭さに「んもう」と独り言ち、踵を返して部屋に戻る。「おや、照れておられるのですか」と足元に纏わりつくこんのすけへ「うっさいわ」とつっけんどんな返事をすると、彼は可笑しそうにくすくす笑った。
「もー。ほら、外行くよ外」
どうにも気恥ずかしかったので、ガラリと話題を変える。と同時に、一抹の不安がよぎった。
外。……外か。
──傷の癒えたあの子らは、……どうしているのだろう。