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「主様。長雨にて地べたが泥濘んでおります故、お履物は長靴の方がよろしいかと」
外の様子を見に行くべく土間で準備をしていた私へ、小さな狐がそう声をかけてきた。ふむ、適切な提案である。
それにしても、三日も雨続きか……畑がすごく心配だ。畝が崩れてたらどうしよう。水を吸い過ぎてダメになった野菜がないといいんだけど。雑草伸び放題になってそうで嫌だなー。
「あ、うん。ありがと」
「いえ」
厚めの上着を羽織りながら礼を言うと、こんのすけは自らの鼻先を使って長靴を押し進め、私の前へと運んできてくれた。別にそこまでしてくれなくてもいいんだけど、しかしまあ、この狐は気が利くよなあ。よくできた補助役、私にはもったいないわ。
そんな事を考え、紺色の長靴にズボリと足を入れる。畑作業用のこの長靴も、ほとんど毎日履いているせいか傷が目立ってきていた。支給品にしては作りがしっかりしていて丈夫そうであったが、やはり使用頻度が多いせいかすぐに使い古してしまいそうだ。穴が空いたら今度は自分で買い換えよう、と、端無く思う。
「よっし」
トントン、と地につま先を打ち付け、長靴と足を馴染ませる。いい具合にフィットしたので、ささやかな満足感がぽっと生じた。
「お行きになれらますか」
「ん……んー、うん」
自然と、外に通じるピシリと閉じた引き違い戸へ目が向いた。
一歩外に出たら、どんな場景が私を待ち受けているのだろう。五十もの付喪神は、どんな態度で私を迎えるのだろう。
……また恨み辛みを孕んだ視線を向けられるのだろうか。口汚く罵られるのだろうか。それとも陰湿な嫌味を言われるのだろうか。私を追い出しにかかり、刀を振るってくるのだろうか。鋭い目で、棘のある声で威嚇されるのだろうか。
もし、何かあったら──何かされたら──。
悪い想像ばかりがみるみる膨らみ、胸が不安にざわついた。
「主様」
足元の小さな狐に呼ばれ、はっとそちらに顔を向ける。
「ご安心を。不肖の身なれども、私めがついております。いかんせん矮小なる管狐ですので、少々頼りないかもしれませんが」
ピンと伸ばされた背筋に、揺らぎのないまっすぐな瞳。凛としたその姿は実に頼もしく、私の憂慮を僅かに軽くした。信頼を寄せるものからの後押しほど心強いものはない。
「私はいついかなる時も、あなた様のお側に」
「……うん」
そうだ、私にはこの子がいる。斉藤さんもいる。政府のサポートだってある。
しっかりしろ。あの子らに嫌われているのなんて、今に始まったことではないじゃないか。ここの付喪神たちは皆人間不信。私自身は何もしてないけど、憎まれたって、疎まれたって仕方がない。
万が一、刀剣男士たちに総攻撃を食らったとしても、逃げればいいだけのこと。時の政府は非常時の受け入れ体制を整えてくれているはずだ。
大丈夫。大丈夫。なんとかなる。
息を深く吸って、ゆっくり吐く。心の内でおまじないのように「大丈夫」と己へ言い聞かせ、憂いや恐れを押し込んだ。
「ありがとう。こんちゃんが居れば百人力だよ。よろしくね」
にっこり笑って小さな狐の頭を撫でる。燻る不安が完全に消え去ったわけではないが、随分心が楽になった。
「ふむ。狐の身で百人力とは、なかなか剛健にございますなあ。実際そうであればもっとお役に立てましょうに」
「えー? いや、怪力の狐とかなんか可愛くなさそうだからいいよそのままで」
一瞬、筋肉ムキムキゴリマッチョなこんのすけを脳裏に思い描いてしまい、ぎょっとしてしまう。や、どんな姿形でも中身がこんちゃんなら問題ないんだけど、どうせならラブリーでキュートな方がいい。ほら、「可愛いは正義」ってよく言うじゃん。
「そうでしょうか」
「うん」
こてん、と小首を傾げた小さな狐に即答すれば、彼は「ふうむ」と悩ましげな声を漏らした。
「力持ちだったら確かにできることは増えるかもしれないけど、私は今のままのこんちゃん好きだよ。十分助けてもらってるし」
もふもふのほっぺを両手で挟み込み、ぐりぐりと揉んでやる。しばらくすっきりしない表情をしていたこんのすけだったが、やがて視線を彷徨わせ、耳をぴくぴく震わせた。
「……あなた様がそう仰られるのであれば、剛健でなくともよいかもしれませんな」
どこかもごもごと話し、はにかんだ小さな狐。なんだ、「好き」なんて言っちゃったもんだから照れているのか? ほんっとに愛くるしいのな。
「あれ、こんちゃん照れてんのー?」
ついニヤニヤしてしまう。こんのすけの顔をじっと見つめると、彼はあっちこっちに目を泳がせた。へえ、久しぶりにソワソワしてるなあ。こんなに動揺してくれるなんて、私の「好き」も捨てたもんじゃないね。
「いえ、そのようなことは」
「ふーん?」
先の白い尻尾が落ち着きなくパタパタと揺れ、いたずら心がくすぐられる。頬に添わせていた手を素早く耳に移動させれば、いつもより熱い体温が指先に触れた。
「わ、耳が熱い。やっぱ照れてんだ。かわいいー」
「お、お止めくださいっ」
もぎゅもぎゅと揉みしだくように撫でまくるも、残念、ひらりと逃げられてしまった。相変わらず身のこなしが俊敏だなあ。もう少し鈍臭くてもかわいいのに。ドジっ子なこんのすけ……ううむ、イイ。
「主様、お戯れもほどほどになさいませ。そ、外に出られるのではなかったのですか」
「あー、うん。そーね。出るよ?」
取り乱しているのか珍しく早口で私を急かす小さな狐を、ついニヤニヤして眺めてしまう。
「……何をお笑いになっておいでで?」
「べっつにー?」
「……」
「……ぶふっ、こんちゃんかわいい」
「な、あっ、主様!」
あーもう和む。おっかしいの。超かわいい。
先程までの不安や後ろ向きな気分が吹っ飛んでしまった。やっぱりこんのすけってすごいわ。癒やしパワー半端ない。