雪解け - なんとはなしに

20


 玄関の引き戸を開けんと手を伸ばした私へ、こんのすけが外の情報をぽつぽつ教えてくれた。
 全快した付喪神たちは数名に分かれて本丸内を見て回ったり、もともと動けていた三人から事の経緯を聞いたり、気難しげに談義をしたり、縁側に座ってぼんやりと空を見上げていたりと、思い思いに過ごしていたそうだ。
 意外だったのは、私のテリトリーに張り巡らせている結界が一度も攻撃されていなかったこと。また、私を殺そうと熱り立つ好戦的なものがいなかったということ。
 補助役の小さな狐の言うところによると、あちらとこちらの境目に近づく刀剣男士が一部いたが、彼らは決して刃を向けたり結界を破ろうとしたりはしなかったんだとか。もし結界が破られるような事態になっていたら、政府がすぐに緊急の時空ゲートを開いて、私の体を安全な場所へ転送してくれる手筈になっていたんだって。
 力を消耗した審神者を本丸から離せば、空間の調和が更に乱れてしまう。だから政府は昏睡した私をそのままにしていたみたい。ちょっとギョッとしたが、まあ、有事の際の対策がちゃんとあったのでヨシとしよう。
 しっかし、過去の出来事のせいで人を憎み、トコトン毛嫌いしている付喪神たちが予想よりもおとなしげにしていた事には驚いた。絶対結界を越えて突撃してくるヤツが何人かはいるだろうと考えてたし、総攻撃を受ける確率もそう低くはないとみていたから。
「彼らもまた、様子見をしているのでしょう」
 そう述べたこんのすけは、どこか遠い目をしていた。……あまり多くを語らないけれど、私が眠っている間にこんのすけは彼らと少しだけ話をしたらしい。
 世間話、昔話、人間(わたし)のこと──……あまり良い反応は得られなかったそうだが、狐は最後に「いつか皆で笑って暮らせる日がきっと訪れるでしょう」と、静かに言った。気休めなのか本気なのかは分からない。
「皆で笑って暮らせる」……そんなの、あり得るのだろうか?
 もうあまり記憶に残っていないけど、あの夢のようにみんなで仲良く笑える時が、本当に来るのだろうか。
 ──どんな夢かほとんど忘れてしまったのに、すごく幸せだったことは覚えてる。ああ、本当にすごくすごく幸せで、心が満たされる夢だった。
 良い夢だったなー。
 私と彼らもあんな風になれるだろうか。……なりたいなあ。
 道のりは遠そうでも、こんのすけの言うようにいつかみんなで仲良く和気あいあいしたい。仲間としてだけでなく、友達とか良き理解者とかになってくれる子もいたらいいな。あーでも、神様と友人だなんておこがましいかも。
 ……どうかなー打ち解けられるのかなー。やっぱ不安。でも襲われなかったってことは、襲ってくるような付喪神がいなかったってことは、もしかして私に対する敵意とか嫌悪感とかがちょっとはマシになってるんじゃない? 少なくとも今の私は彼らにとって「武力行使してまで直ちに排除しなくてもいいモノ」ってことだよね? 様子見してもいいくらいには危険視されてないってことだよね?
 だよねだよね、本気の本気で嫌いで憎くてどうしようもなかったら、さっさと殺そうとするよね。うちの結界、総攻撃には耐えられないらしいし。これは、少しくらいなら期待していいんだよね? いいんだよね? 交友への第一歩? 第一歩なの? いやこの際半歩でもいいわ。
 ひょっとすると、「あの審神者は前の審神者と違って優しそうだ。安全な人間だ」「力を使い果たしてまで手入れをしてくれた」「新しい審神者は良い人間のようだぞ」とか、思ってくれてる神様もいるかもしれない? うわ、いたらどうしよう仲良くなれるかな。
「傷を治してくれてありがとう」とか笑顔でお礼言われたら? 「どういたしまして、これからよろしくね」とか返事して、握手なんかしちゃったりして、のんびりおしゃべりしたり、これからの事を話し合ったりできちゃったり……うわあめっちゃ明るい未来! 輝いてる!
 じゃ、じゃあさじゃあさ黒髪の子もさ、「○○(水色の髪の人)を治してくれてありがとう」って素直で可愛くなったりして、灰色の髪の子も「ずっと前に太腿治してくれてありがとう」とか言ってくれちゃったりして、青い髪の子は……無言で頬染めてくれたりとか、……。
 あとほら、私のふくらはぎにアタックかましてきた水色の髪の神様も、「ごめん誤解だった。手入れありがとう」って感じになったりしないかな? そしたら私は、「いいよいいよ気にしないで無傷だったから!」って笑顔で返事をするんだ。うわあ、和解街道まっしぐら。
 ……にひひ。
「主様?」
 突如聞こえた怪訝そうな声が私を現実に引き戻す。
「! あっ、んなっ、何?」
 やばい。戸の引き手を掴んだままガッツリ妄想してたわ。私に妄想癖なんぞないはずなのに。いかんいかん。
「いえ、先程からずっと立ったまま、小揺るぎもされていないようですので……ご気分が優れませぬか? それとも、外へ行くのは億劫にございますか」
「や、大丈夫大丈夫。ちょっと考え事してた」
 焦りつつもへらりと笑い、若干興奮したせいでやや上気した己の頬をぺちぺちと叩く。ふう、平常心平常心。ポジティブシンキング通り越して頭ン中お花畑になっちゃってたな。
「考え事、ですか」
「んー、うん。どうでもいいことだよ」
 甘い絵空事に脳内を占領されていたことが恥ずかしくて、こんのすけに悟られぬよう話を逸らす。
「そういえば、眠ってる時夢を見てたんだ」
「ふむ。夢ですか。……差し支えなければ、お伺いしても?」
 私の声を拾おうと、小さな狐の先の黄色い耳がピコンと動いた。
「うん。もうあんまり思い出せないんだけどね、大勢の刀剣男士と楽しくわちゃわちゃしてた夢。なんでか分かんないけどすっごく幸せで、良い夢だったなー」
 なぜ笑っていたのか、何をしていて楽しかったのか忘れてしまったけど、ぽかぽかとした多幸感はまだ心にどんと居座っている。おかしなことだが、あの夢を想うだけで胸の奥がじんわり温かくなり、なんとなく気分が弾んだ。
「ほう……それはよい夢見でしたね」
 夢の内容に驚いたのか、こんのすけの黒い瞳が見開かれる。しかしそれは束の間のことで、彼はやおら表情を緩めた。微笑ましげに細められた双眸は柔らかく、赤く縁取られた口角が優しく弧を描いている。
「そうだねえ。ほんと、良い夢だった」
 吐息混じりにしみじみと溢せば、足元から上品な笑い声がした。
「それはようございました。……正夢になるといいですな」
 澄んだ眼が穏やかな光を湛え、私を見つめている。
「……うん」
 一呼吸置いて静かに頷き、引き戸へと向き直った。様々な感情が交錯しているせいか、きっと今の私は、笑っているようでそうでないような微妙な顔をしているだろう。
 外はひっそりとしていて、聞こえてくる音らしい音といえば風で草葉が擦れるくらいのものだった。……さあ、刀に宿った神々は、いかがお過ごしでしょうか。あの夢のようにとは言わないが──せめて、一人だけでも。私が前任とは違う人間であることを解ってくれたらいいな。
 なんとも言えない思いと淡い期待を胸に抱いて、指先に力を込める。掴んだ引き手をゆっくりと横へ滑らせると、戸口の隙間から覗く太陽と目が合った。
 ああ、おひさまよ。願わくば、僅かでも好ましい状況にならんことを。

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