25*
「うむ……それもいいかもしれんなあ」
縁側に隣接する座敷より、間延びした声がゆったりとあがる。天下五剣が一振り、三日月宗近だった。
「時の政府にとって僕らが利にならないんだから、次がなくても仕方ないよねえ」
温和な顔でのほほんと続けたのは、源氏の宝重髭切。その隣に居る彼の弟膝丸が、「兄者……何を悠長なことを」と、気難しい表情で溜息を吐いた。
「利にならない、か。正に無用の長物だな」
担ぐように携えている己の槍に目をやり、日本号は皮肉めいたことを呟く。上がった口角によって作られたのは、どこかニヒルな薄ら笑いだった。
「おいおい、こんな時に冗談かよ」
部屋の隅に佇んでいた御手杵は呆れたように肩を竦めたが、少し考えて「でもまあ、確かにそうだな」と短く溢した。
一部の付喪神らのなんとも生ぬるいやり取りに、政府の管狐は毒気を抜かれる。彼がはああ、と長い長い嘆息をすると、逆立っていた怒り毛が脱力するかのように元に戻った。
「時の政府が如何なる判断を下しても、受け入れると?」
狐が少々疲れたような面持ちでそう尋ねれば、刀剣男士は皆閉口した。
それもよいと考えるもの、それは嫌だと考えるもの、狐の言う「如何なる判断」がよく分からないもの……神々は銘々に思い、静かに狐を見つめる。雨上がりの冷たい風が縁側を抜け、狐の白と黄色の毛や刀剣男士の髪を揺らした。
(……まさか)
静黙と時が過ぎるうちに、管狐の胸の内にじわりじわりと案じ事が生じていった。ひょっとするとこの神々は、消滅すらも受諾してしまうのではないかと。大真面目に消えてもよいと思っているのではないかと。
……そんなの、狐は嫌だった。
不安になった管狐は、何も言わない付喪神を仰ぎ見、大きく息を吸い込んだ。彼の小さな肺をイ草の香りがいっぱいに満たす。
「私は、御方々が悲しい末路を辿るのは嫌です」
吸い込んだ空気のわりには、細くか弱い声だった。黒いどんぐり眼を沈痛に歪めて俯く狐に、刀剣男士は虚を突かれる。まさか狐がそのようなことを口にするとは、思ってもいなかったのだ。
雷雨の急襲したあの日。人の子たる女を「主」と定めたと表明した管狐は、陶酔したように主人への好意を示していた。付喪神らはそんな狐を見て、かつて苦難の刻を共にした政府の式神は自分たちと対立し、人間側についたものだと感得していた。
けれど、そうではなかった。
管狐に刀剣男士と敵対したつもりなぞなければ、彼らを忌み嫌うつもりもない。むしろその逆で、狐は付喪神たちを常に気にかけていたし、押し付けがましくも彼らに自分と同じ幸せを掴んで欲しいと願っていた。そうして、いつか女と神とが手を取り合い、皆で笑って暮らせるようになりたいと、切に切に望んでいる。
確かに狐は憤慨していた。今だって心の奥底に怒りの炎が燻っている。しかしそれは神々が女へ向けた仕打ちに対してであって、刀剣男士自体を本心から厭悪しているわけではなかった。
狐の描く未来には、彼の主人である女はもちろん、ここに存在している刀剣男士もいなければならないのだ。
「御方々。……このこんのすけのことは、いくらでも毛嫌いして構いません。されどどうか、ご自身を軽んじることなく、大切になさってください。あなた方はこの地に在らねばならない尊きものなのです」
言って、狐は思い起こす。
この台詞は、そう。小さな狐が梅雨の始めに怪我をして、それを隠して叱られた折に女に言われたものに一部似ていた。
決して意図的に出したのではなく、自然と綴られた言葉。管狐は微かに驚いて、そしてうっすらと微笑んだ。
(……主様はあの時、このようなお気持ちでいらしたのやもしれませんね)
淋しさ、悲しさ、労り──相手を心から想い、尊重するからこそ生まれた言の葉は、他者からすれば芝居臭く聞こえるのかもしれない。
それでも。
「私は主様が好きです。そしてまた、御方々も好きなのです」
顔を上げ、小さな狐は集まっている付喪神たちをぐるりと、じっくりと眺め回した。熱く清らかな黒い瞳は、慈しみに溢れている。沈黙を続ける神々の中には「嘘をつけ」「ふざけたことを」とカッとなるものもいたが、情愛のこもる双眸への戸惑いが勝ち、狐を罵るには至らなかった。
告げられた「好き」の二文字は、鉛のように重く、甘ったるいもので。それは刀剣男士の頑なな心にどんと突き当り、分厚い壁へ僅少ながらもひびを入れた。
「私の好きな主様と私の好きなあなた方が歩み寄り、皆で仲睦まじく過ごすことができようなら──それは私にとって、至上の幸福と成り得ましょう」
狐はうっとりと微笑み、幸せそうにほうと息を漏らす。束の間、夢想に浸っていた管狐だったが、やがて背筋を伸ばして口を開いた。
「いえ、強要しているわけではないのです。我が主は好い方ですが、御方々の人嫌いは並大抵のものではありません。人を疎むその心、私はよく存じています」
そこまで言って、狐は傷つき涙する己の主を思い出す。目を腫らし、声を押し殺して泣く女。きっと身を裂かれるほどに辛かっただろう。大事な主人を苦しめるような刀剣男士の態度は、「人嫌い」だからと許してしまってよいものではない。
(ああ、お可哀想な主様。あのように泣き、本当にお辛そうな顔をされて。……それもこれも、この方々が寄ってたかって凍てた視線で貫いたが為)
人嫌いなり人間不信なりとて、節度は持たせるべきである。
急に再燃した怒りが管狐を僅かに苛立たせる。そうだ、自分は付喪神らに文句を言うために御殿へやって来たのだ。これはもう少し苦言を呈しておかなければ、と小さな獣は不意に発心した。
怒って、感傷的になって、また怒って。なんとも忙しい狐である。最初に激怒し過ぎて、通常とは異なる心理になっていたからかもしれない。
「……さて、話を戻しますが」
今しがたの切なく優しい声はどこへやら。狐は突然厳しい口調になり、みるみる眦を吊り上げた。
刀剣男士はその様変わりに目を白黒させる。なんだ、この狐は。と、心の内で狼狽える神も多かった。