雪解け - なんとはなしに

27*


「先日手入れを終えてからというもの、我が主は今日になって初めて御方々の前にお出になられましたね」
 澄ました顔で白々しく口火を切った管狐。誰に問われたわけでもなかったが、彼は半ば当然のように己の主の動向について語り出した。あわよくば、神々の意識に少しでも良い変化が生じるようにと算段して。そうならなくとも、付喪神らへ女の行いや動機を伝えることができればそれでよい。
 人間嫌いの刀剣男士へ理解を求めるにあたって、まずは女の人となりを知ってもらう事が重要なのだ。
「実は、主様はここ三日、ずっとお眠りになっていたのです。──いえ、眠っていたと云うよりは、意識を失っていた、と云う方が正しいでしょうか」
 二つのどんぐり眼は瞬きもせず付喪神らへ向けられている。微かな反応一つとして見逃すまいと、こんのすけは目を光らせていた。
「えっ」
 小さな大太刀はつい驚きの声を漏らし、そうして慌てて太郎太刀の陰に隠れる。彼は幾らか動揺していた。
 手入れの後、今日の今日まで姿を現さなかったあの女は、三日の間意識を失っていたという。気にしていた事柄を知ってすっきりするはずなのに、蛍丸の胸を覆うもやもやは濃くなるばかりだった。
「……力の使い過ぎ、ですか」
 太郎太刀はどこか様子のおかしい蛍丸を落ち着けるかのように細い肩へ手をやり、切れ長の金の瞳で管狐を見据える。
「ご名答」
 言い当てられた狐は心なしか満足そうに首を縦に振った。
「そりゃあ驚いた。式神も使わずどうやって手入れをしたのか気になっていたもんだが、そうか」
 鶴丸国永は一瞬目を見張り、ふむふむと何度も頷いている。白き太刀を始めとする刀剣男士たちは、「手入れに式神は使われず、どのような方法で行われたか分からない」と、鯰尾藤四郎や蛍丸、小夜左文字から聞いていた。
「なーんじゃ。時の政府の新しい発明品でも使うたんかと思っちょったが」
 面白くなさそうに口を尖らせたのは、新しい物好きな陸奥守吉行。
 此度の手入れは女の力を軸として成されたという事を、管狐は口にしていない。しかし、鶴丸国永や陸奥守吉行等、察しの良いものは太郎太刀と狐のやり取りのみで悟った。 
「式札と手伝い札、そして資材。準備は抜かり無く、万全でした。されど、手順通りにはいかなかったのです。……一期一振は、ああ、そちらに居ましたか」
 管狐は途中で話を止め、一期一振の姿を探す。汚れ破れても尚高貴な洋装に身を包む付喪神は、縁側に面した部屋の奥、居間へと続く襖の前に門番のように佇んでいた。両脇には鯰尾藤四郎、骨喰藤四郎が控えており、襖の向こうの居間には短刀たちが集められている。
 時の政府の管狐が御殿に再来したとあって、一期一振は万が一に備えんと弟たちやその他の短刀を一箇所に退避させていたのであった。薬研藤四郎や後藤藤四郎は、「そんな必要ないのでは」と、若干反発していたが。
「一期一振。錆びていたあなたの刃が我が主の膝下に振るわれたあの時の事を、覚えていますか」
 一期一振の正面へ、管狐は音を立てずしなやかに移動した。弟思いの太刀へ発せられた問いは、決して彼を咎めるようなものではない。
「……あまり」
 接近してきた狐を警戒しながら、一期一振は険しい表情で答える。言葉通り、彼は狐の言う「あの時」の記憶をほとんど持ち合わせていなかった。女の下肢を横薙ぎにしたその折、倒れ伏していた他の神々と同様に一期一振の意識は朦朧としていたのだ。あの時の彼は、弟たちに近寄る人間を排除しようと、弟たちを守らねばならないと、本能めいた思念で動いていた。
「ほほ、でしょうね。では、あなたの知らぬ話をしましょう。皆々様も興味のある方はぜひお聞き下さい。……鯰尾藤四郎は、特に」
 狐は軽く笑ったのちに、柔らかだった声音を凛と引き締める。真剣味を帯びた音吐に名を呼ばれ、黒髪の脇差は少しだけ身を強張らせた。
「まず、……そうですねえ。あなたは主様を先の審神者と同様に危険なものと見做し、弟たちが害されないかととりわけ警戒しているようですが、あの御方は手入れを行う際、一番に短刀たちの元へと向かわれましたよ。『ちっちゃい子が』とおっしゃられていましたので、姿の幼い短刀たちを童子のように思い優先されたのでしょうね」
「それは」
「嘘ではございませんよ。そうでしょう、鯰尾藤四郎」
 反発する素振りを見せた一期一振の話を遮り、管狐は黒髪の脇差へ顔を向ける。
「……っ」
 鯰尾藤四郎は一瞬視線を彷徨わせ、息を詰まらせた。不安定に揺らぐ暗紫の瞳が行き場を失くしたかのように下方へ落ちる。
 彼は何も答えない。答えられなかった。「はい」と言って人間を庇うようなことを口にしたくはない。かといって、嘘をつく気にもなれない。己に集まった兄やその他の刀剣男士の目線が、自分を非難しているようなものなのではないかと気が気でなかった。
「蛍丸」
 狐は無言でそっぽを向いている鯰尾藤四郎から目を離し、小さな大太刀へと話を振ってみる。が、蛍丸も脇差と同じだった。管狐は「ふむ」と呟いて、黄色い耳先をぴくぴくと震わせる。
「まあ、よいでしょう。信じるもよし、疑うもよし。私の言う事は全て真実ですが、受け取り方は自由です。各々好きになさってください」
 気を取り直すかのように居住まいを正し、管狐は話を続けた。
「一期一振。手入れをせんと短刀たちへ近付いた我が主は、あなたの一太刀を受け、体勢を崩し畳へ転ばれました。その拍子に、どこかに落としてしまったのでしょうね。あの御方は手入れに使う為の式札を失くしてしまった」
 舌の回りが良いもので、狐は澱みなくとうとうと語る。
「すっかり狼狽えていた主様へ、私は進言致しました。『一旦引きましょう』と。あの状況で式札を探すことは悪手でしたし、式札がなければ手入れの実行は難しゅうございました。故に、一度離れに戻り、再度準備を整えなければならなかったのです。取り乱すあの御方の心を押し鎮める時間もまた、必要でした」
 縁側に、室内にとひしめいている刀剣男士。狐の饒舌な語りへ皆静かに耳を傾けてはいたが、興味深そうなもの、興味のなさそうなもの、それぞれだった。同田貫正国や和泉守兼定なんかは、さもつまらないといった風に視線を宙に彷徨わせている。
「『分かった』と、主様はおっしゃいました。しかし、その場を離れはしませんでした。あろうことか、あの御方はあなた方を治すべく、ご自身のお力を溜め込み始められたのです。審神者の力に頼った手入れは控えるよう、以前時の政府より忠告されていたにもかかわらず」
 狐は一呼吸おき、鯰尾藤四郎をじっと見つめる。
「何故だと思いますか」
 真っ直ぐな黒い双眸に射抜かれ、脇差は戸惑うばかりだった。狐はまるで自分が関与しているとでも言いたげにこちらを正視しているが、鯰尾藤四郎には思い当たる節がなかった。それどころか、あの時脇差は血を吹き出す一期一振を止めようと必死で、周りで何が怒っていたかさほども覚えていなかった。女とは二、三言会話したような気はするが、その詳細は頭から抜け落ちている。
「……鯰尾藤四郎。あなたに『お願い』をされたから、だそうですよ」
 驚きで見開かれる、深く暗い紫色の瞳。
「覚えがありませんか? ……一期一振が満身創痍で我が主を討たんとしていたあの時、あなたは離れに戻ろうとしていた主様へ、『早く治して』と乞いました。主様は、あなたが初めて自分にしたお願いだから、なんとかしてあげないといけないと思ったそうです。このようなことを言って恩を着せるつもりはありませんが、あの御方はあなたの願いに応えたかったのでしょうね」
 しみじみと述べ、管狐はふうと一息ついた。小さな狐の目に映る脇差はひどく驚いた顔をして立ちすくんでおり、兄弟刀である骨喰藤四郎が気遣わしげな眼差しを送っている。
 鯰尾藤四郎は思い出していた。あの時、己が女と交わした言葉を。
 彼は重傷の体を無理に動かそうとしている兄をなんとかしたくて、早く治せと、お願いだと焦りを隠さず女へ言った。喉を絞り震える声で、責めるように、追い立てるように希求をぶつけていた。
 言っていた癖に、まさか自分の言葉が女を突き動かしていたなんて、そんなの思ってもみなかった。気付きもしなかった。考えもしなかった。
 嘘だろう。まさか、人間が。──自分のために?
 一期一振の隣で固まっている脇差は、頭が真っ白になっていた。少し考えれば結びつくような事だったのに、今の今まで分からなかった。知らなかった。
 これは手応えがありそうだ、と心の内で感じた狐はここぞとばかりに畳み掛けた。
「鯰尾藤四郎。あなたの思いを聴いた主様は、ご自身のお力のみで手入れを成そうと試みました。いえ、何も全ての刀剣を治そうとは……無茶をなさるおつもりはなかったそうです。あなたが庇っていた一期一振だけでも、とのことでした」
 ピクリと身じろいだ一期一振の面持ちは疑わしげに歪んでおり、狐の言う事をすんなりと受け入れる様子はない。対して、鯰尾藤四郎は愕然としていた。彼の中で、天地がひっくり返ったようだった。
「御方々の怪我は治癒し、手入れ自体は成功したと言えましょう。されど、力を扱う者としては失敗です。あの御方は力を暴走させてしまった。……集められた気に反応した手伝い札によって制御を奪われ、主様は持ちうる力を解放されてしまいました。そして意識を失われた。三日続いた雷雨も、あの御方のお命が危うかったが故」
「──空間が、乱れていたんだろうね」
 雨上がりの青空を遠く見やって呟いたのは、石切丸。澄んだ蒼天は清々しく、かつての禍々しい赤黒い空の名残は一切ない。
「然り」
 管狐は神刀へ振り返り、ゆるゆると頷いた。
「僕たちに貸しを作って、何か企んでるんじゃないかな」
 不敵な笑みを浮かべるにっかり青江に、狐は決然と返す。
「いいえ。あの時、主様は半ば恐慌状態でした。謀を巡らせる余地などありませぬ。我が主は御心のままに動かれました」
「……ハッ、どうだろうな」
 和泉守兼定は微かに鼻を鳴らしてつっけんどんに口を閉ざした。不機嫌そうな太刀へ狐はあえて言い返さず、さらりと聞き流したのちにしゃんと背筋を伸ばす。
「さて、私の話はこれにて了。狂言ととるも事実ととるもご随意に」
 白と黄色の尻尾をくねらせ、小さな狐は一期一振へ背を向けた。帰るのだ。主の居る離れに。
「御方々は、今日という日をいつか後悔なさるでしょう。零れ落ちた水は、二度と盆には戻りませぬ」
 戒めるかのように言い捨て、管狐はその身を翻して御殿を去った。
「……まるで、呪いのようだな」
 池の向こう、離れに去り行く管狐の後姿を眺めながら漏らされた鶴丸国永の言葉に、場に残された付喪神は、不吉な予感めいた気味悪さに胸をざわつかせた。
 離れに戻った狐は、土間の足拭きで四肢を清め布団で眠る女の側へと駆け寄る。起こしてしまわぬよう、そっとつま先立てて。
「……お可哀想に」
 泣き疲れて眠ってしまった女。狐はその小さな肉球で、赤く腫れた瞼そっと撫ぜた。

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