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色々あり過ぎてほとほと参った日の翌日。友人とランチをすべく昼前にはここを出るので、綺麗に晴れた空の下、早い時間に畑仕事や鯉の餌やり、家の掃除に取り掛かった。濡れタオルで冷やしたおかげか瞼の腫れは随分引いていて、友人にみっともない顔を見せなくてすみそうだ、と一人安堵したのはここだけの話。
三日も手を入れていなかっただけに畑は少々荒れていたが、小さな狐の手伝いもあって草むしりは手早く済んだ。残念ながら根腐れしてしまった株は引っこ抜き、水浸しになったせいで崩れかけていた畝も整復する。四日ぶりに握った鍬が妙に重くて、自身の体が鈍っていることを痛感した。
これは、くる。アレが──筋肉痛が。……明日が恐ろしい。あの重だるさと痛みは洒落にならん。しばらくぶりに湿布と塗り薬に頼ることになりそう。ひええ。
「おや、灌水は」
「かんすい……ああ、水? まだ土が湿ってるから、帰ってからするよ」
灌水とは、作物の成長に必要な水を畑や用土に補給してあげること──まあ、水遣りを小難しく言い換えたようなものである。
なんでこんな園芸用語を知っているのかっていうと、こんのすけと一緒に農耕に関する本を読み漁っているからだ。や、別に専門家になろうってわけでもないんだけど、目についた単語をなんとなく覚えちゃって。
野菜作りド素人の私にとって、本やネットは素晴らしい知識を与えてくれる。それらを活かして試行錯誤しながら畑に向き合うのだが、失敗があれば成功もあり。……いや、今は失敗の方が多いか。でも、自分が植えたものがすくすくと育つ様子は見ていて楽しいし、おいしい野菜が実るとすごく嬉しくて、次は何を植えよう、次も頑張ろうって思える。
……もし今の職場クビになったら農業に手を出してみようかな。それかバイトしながらおばあちゃんの畑手伝って、好きなことして静かに暮らすのもいいかも。
田舎にある祖母の家や畑へ思いを馳せつつ、首に掛けた手ぬぐいで額を拭う。日が昇り、気温が上がってきたせいもあって肌には汗がうっすらと滲んでいた。
「あんまり水をあげ過ぎてもよくないんだよね」
「ふむ」
長雨の影響で乾ききっていない土壌。過剰な水は作物をだめにしてしまう。野菜って、奥が深いんだよねえ。何をするにも毎回色んな発見があるし、すっごくやりがいがあるわ。
小さな狐と野菜作りについて話に花を咲かせつつ農作業を終わらせ、鯉へ餌をやろうと朱色の太鼓橋の袂(たもと)へ向かう。私の気配を感じて集まってきた可愛い魚たちを見ようと池を覗けば、「尾黒」と呼んでいる子が何度も跳ねて私に水を散らしてきた。「尾黒も寂しかったようですな」と、こんのすけが笑い、私は怒り半分、愛しさ半分で尾びれの黒い錦鯉へ苦笑いを贈った。
お腹が空いていたのか、はたまた三日も放っておいたから怒っているのか。どちらであっても、かわいらしいものだ。
「尾黒! もー、あんたって子はー……うわめっちゃ濡れた!」
「おや、もうひと跳ねきますぞ」
バシャッ。
「うぎゃあ!」
水飛沫をひらりと躱すこんのすけとは反対に、池の水をもろに被った私。なんなんだこの差は。私の反射神経が劣っていたとでもいうのだろうか? いや運動能力でも敵わないんだけどさあ。
「おーぐーろー……」
苦々しく鯉の名を呟き、作務衣の袖で顔を拭く。まだ化粧してなかったからいいものを、これがお出かけ直前だったら三枚におろして食ってたぞ。んもう。……いや、鯉は食べても不味いか。
傍らで可笑しそうに笑っている小さな狐へ、「ひどいこんちゃん、私だけ」と恨み言を告げれば、「ほほ、これは失礼。ですが、忠告は申し上げていたはず」とニンマリされた。……くっ、やっぱり私がのろまだったからか。いやいや、尾黒の攻撃速度が尋常じゃなかったせいだ。そうに違いない。
枯れ葉の敷き詰められた池の畔で、尾黒の水飛沫アタックに騒ぐ私とこんのすけ。その様子を、じっと眺めているものが居る。
修験者みたいな格好の男と、薄汚れた白い大きな布を纏った男。本丸御殿の日当たりの良い縁側に並んで腰を掛けている彼らが、本日日中の監視当番のようだ。
動くことのできる付喪神が三人(三口か)だけだった以前とは違い、今は五十もの人数(神数?)が何不自由なく行動できる。現在神様たちは二人一組で私の見張りにあたっているらしい。詳細は分からないが、こんのすけ曰く、朝から夕、夕から夜、夜から朝──どうも三交代制で私の監視をしているんだとか。夜勤手当も出ないのに、ごくろうなこって。ああ、そもそも給料出てないから関係ないか。……神様って、お金に頓着するのかねえ。
こちらを眺めるものどもを、冷めたような、白けたような心地で見返し、人知れず溜息をつく。なんというか、ほんと、良い意味での興味がさっぱり持てない。
彼らに対する私のスタンスは昨日のアレでずいぶん冷え切ってしまったんだなあ。前のように、手を振ろうだとか挨拶をしようだとか、少しずつ仲良くなりたいだとか……全然思わない。
気持ちは随分楽になったけれど、本当にこれで良いのだろうか。
漠然とした虚無感と、ほんの一握りの寂しさ。若干感傷的になってしまうのは、きっと秋の仕業。そういうコトにしておこう。
真顔でこちらに視線を縫い付けている付喪神を、私はできるだけ見ないように、視界に入れないようにしていた。