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「どうぞ」
「ありがとうございます」
カチャ、と小さな音を立てて差し出されたカップを受け取ると、立ちのぼる湯気が鼻先に触れた。温かな良い香りにほっと息をつき、紅茶の温度で熱くなっている縁へ口をつける。火傷しないようゆっくり啜れば、舌先から口内へ深みのある味が広がっていった。
ほんのり甘いのに、後味はスッキリ。……うん、おいしい。
「お口に合えばいいのですが」
お茶の良し悪しは分からないが、淹れてもらったこの紅茶は好きな味だ。
「あ、はい、おいしいです」
顔の前で手を組み、こちらをじっと見つめていた斉藤さんは、私の返事を聞いて「それはよかった」とにっこり笑う。続けて、どこ産のほにゃららな茶葉ですよ、と、教えてくれたのだけれど、いまいちピンと来なかった。もともと紅茶とか飲まないからなあ。せいぜいレモンティーくらいだ。審神者になって離れに住み始めてからは、緑茶とか麦茶とかほうじ茶とか……日本茶ばっかりだし。
「……さて、本題に入りましょうか」
一口、二口と紅茶を味わう私へ、斉藤さんはにこやかな表情のまま口火を切る。胡散臭いような、そうでないような──あの笑みはどんな意味合いを持っているのだろう。解せぬ。
「なかなか、大変な目に遭ったようですね。あそこの刀剣男士とはこれからやっていけそうですか?」
ん、え、おう……わーお。いきなりどストレートか。心臓に悪い。
斉藤さん、私が付喪神にどんな塩対応されたか知ってそうだよね。こんのすけ、ぜーんぶ話しちゃってるのかなあ。
「え……あー……」
咄嗟に上手い回答が思いつかず、言い淀んでしまう。
やっていけそうかだって? あいつらと?
冷たい目、無言の圧力、陰険な雰囲気、見えない絶壁──ああ、思い出しちゃった。嫌だなー。
「難しそうですね」
「あ、いや、まあ、なんとか頑張りますよ。ははっ」
反射的に乾いた笑いが出た。難しいかと言われれば、たぶん、恐らくそうなんだけど、ネガティブな返事を出しにくいのが社会人の辛いところ。前働いてた職場はわりと厳しかったもんねえ。ビシバシしごかれた。懐かしい。
「いえ、頑張らなくていいのです。刀剣男士たちはしばらく放っておいてはどうですか」
「え?」
慰められるか励まされるか、と予想していたが、斉藤さんはどちらでもない言葉を飛ばしてきた。
頑張らなくていい? 放っておけ? いやいやでも、政府としては早くあいつらと和解して時間遡行軍の討伐に参加できた方がいいんじゃないの?
驚いてカップを置いた私へ、斉藤さんはニコリと微笑む。
「辛い思いをされたのでしょう? 無理はしないでください。幸い、形勢はまだこちらに傾いていますから、刀剣男士との関係を急いで改善する必要はありませんよ」
感情の読めない瞳がすっと細められた。それは笑っているように見えて、何かを計算しているような──やっぱりこの男、底知れない。
「必要ない」なんて、そんなキッパリと言ってしまっていいのだろうか。
……いや待てよ。夏、手入れの相談した時に「その後はどうとでもなる」とか含みがありそうな事言ってたし、昨日起きて電話した時だって「代替措置がどうたら」とか言ってた。斉藤さんには──政府には、何か策があるのかもしれない。どんなものかは知らないし、聞いたって教えてくれないだろうけど。
「え、あの、でも」
戸惑いを隠せない私がもごもごしていると、斉藤さんはうんうんと一人頷き始める。
「いいのです。あなたが疲れ切ってしまっては元も子もない。……どうかご自分を大切に。審神者は政府の宝ですから」
審神者は政府の宝。ああ、そういえば「審神者」って誰でもなれるもんじゃなくて、今は数が少ないんだっけ。政府としては、審神者(わたし)に何かあったり、辞められたりしたら困るのかも。
……そうだ、私は時の政府に雇われてて、審神者として働く代わりにお給金を貰ってるんだ。あいつらは嫌いだけど、その私情で仕事に影響を出しちゃあいけない。雇用関係が成り立っている以上、私はそこの人的資源である。
「でも──やれるところまでは、やってみます」
私を憎み、毛嫌いしているあいつらとは、正直もう関わり合いになりたくない。またあんな風に大勢で睨まれるのはごめんだ。それでもやっぱり「仕事」だから。嫌いなので一緒に働きたくありません! とは口に出せないし、出したくない。私もいい歳した大人。いち社会人としてのプライドがある。
ただ、自分がどうでもいいってわけじゃないので、さすがに大怪我したり、精神病を患うようなコトになるまで頑張る気はないけど。それに、私だけが精を出したって刀剣男士があのままじゃお手上げだもんね。努力でどうにもならないことだってあるしなあ。あいつらのトラウマとか、感情とか、考え方とか。
「……そうですか」
「はい。こんのすけもいますし、……しんどくなったら、斉藤さんにもちゃんと相談します」
裏の見えない政府の役人の目をしっかりと見据えて言えば、彼は「分かりました」と小さく首を縦に振った。
「ただ、本当に無理だけはしないでください。事は焦らず、当分は様子を見るだけに。彼らにも時間が要るのです。手入れを受け、目覚めたばかりで状況を飲み込めていないものもいるでしょうから」
担当官である斉藤さんにそう言ってもらえて、心のどこかでホッとする自分がいる。一向に審神者としての役割を果たせていない後ろめたさが、微かに軽くなった。理由は何にしろ、私の方からあいつらへ接触しなくてもいい、というのは都合がよい。
やらなきゃならないけどやりたくない。協働しないといけないけど関わりたくない。
これから先ずっと、私はこの懊悩を抱えてあの地で過ごすようになるのだろう。
「あー、それは確かに。神様、人間不信ですもんね。私の方からはなんにもしないことにします」
「ええ。下手に動いてあなたに危害が及んではいけません」
「はは、……そうですね」
危害、ねえ。今のところ体は大丈夫だけど、心は既にズタズタにされました。……はあ。空笑いしか出ない。
引きつりそうな口元を誤魔化すように、紅茶を啜る。少し冷めてしまっていたが、味は劣らずおいしかった。
「あまり思い詰めず、もっと気楽に考えてください。あなたはどちらかというと脳がお天気な方でしょう?」
脳がお天気だと? いや間違ってはないんだけどあれっなんか励まされてるような貶されてるような……どっちだよ斉藤!
「何もあそこで功績を収めないといけない、というわけではありません。ダメなときはダメでいいんです。別の本丸へ異動する、という道もありますので」
「えっ」
異動。その言葉に思わず目を丸くしてしまう。カップから離した口が、間抜けに半開きとなった。
「もちろん、こんのすけも一緒に」
ほんとに?
こんのすけと一緒に、異動。あいつらの居るあの場所からおさらばできるとか、めちゃくちゃ嬉しい。あいつらだって喜ぶだろう。
──けど。
「いえ。……それはまだ、大丈夫です」
二つ返事で「はい」と伝えたい気持ちを抑え、断りを入れる。
異動してあいつらとバイバイすれば、私はとても楽になれるだろう。だけど、あそこの刀剣男士を気にかけているこんのすけは悲しむかもしれない。それに、雇われている身としてはもうちょっと気概を見せたいというか頑張りたいというか耐えたいというか……とにかく、今すぐには放り出したくない。お給料を頂戴している分、やれるところまではやらないと。
しかし、今後、やっぱり全然どうにもならなければ、その時はしょうがない。政府の策(本当にあるかどうかは知んないけど)に頼るか、斉藤さんの言うように異動も考えよう。こんのすけとも話し合って。
「結界が壊れちゃうくらい攻撃されたり、精神的にやばくて毎日泣き暮らすようなことになったら──その時はお願いするかもしれません」
「それがあなたのボーダーラインですか」
「うーん、……そう、ですね」
「たぶん」と付け加えて苦笑を零すと、斉藤さんはくすりと笑った。こんのすけに私の悲惨な有様を聞いたこの人は、新人審神者の担当官としてこうやって話を聞いたり、フォローを入れてくれたりしているのだろう。それが仕事の一環だとしても、ありがたいものだ。頭が下がります。
仕事の話はあれで終わったようで、残りの紅茶を飲む間、友人と何をしていたのかやら、カラオケで何を歌ったのかやら、とりとめのないことを質問された。途中、何度か微妙に分かり辛い皮肉を言われたような気もするけど、うん、まあそこはスルーするしかない。
二十分に満たない短いお茶会がお開きとなり、異次元にある我が職場へ向かうべくいつもの地下室へレッツゴー。未来の技術で作られたメタリックな台座に乗って斉藤さんに別れの挨拶をした私へ、重大発言が放たれた。
「ああ、そうだ。今回の手入れでそちらの本丸に所有されている刀剣全てが回復しましたね。上層部があなたのその功績を認め、冬の賞与に加えて特別報酬を出されるそうですよ」
「えっ、え!?」
な、なんだってええええええ!? それ先に教えといてよ! ちょちょ、いくらくらいの金額なの? 旅費の不足分がどれだけ補えるか計算したいんだけどうわっ。
もっと詳しく話をしてくれと頼む間もなく、私の体は白い光に包まれる。斉藤さんが転送開始のスイッチを押しやがったのだ。これね、絶対確信犯。私のこと面白がってる。ひっどい。
「さ、斉藤さあーん!」
この情けない叫びは届いていていたのかいないのか。一瞬だけ宙に浮いた足が再び地に着き、今の出来事でフラストレーションを溜めた私は、「斉藤さんのあほー!」と薄暗い空へ向かって鬱憤をぶつけるのであった。