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「あれ? かめきち?」
秋の夕暮れ、畑仕事の帰りに鯉に餌をやっていると、小さな亀が太鼓橋の下まで静かに泳いできた。この子がここまで来たのは初めてだ。お腹がすいて餌に釣られたのかなと考えたが、かめきちは錦鯉のご飯に見向きもしなかったのでそれは違っていたみたい。
「……!」
「亀吉が……」
「おいおいありゃ……なのかよ……で……大丈夫か?」
小さな亀の訪れを機に、池を挟んだ真向かいが騒がしくなる。離れているので話し声の細部までは聞き取れないが、ちらほらと耳に入るのはどれもかめきちの身を案じるようなもので。ちらりと視線をやれば、池の周りに数名の付喪神が集まっていた。ああもう、かめきち見守り隊のお出ましだ。
「亀吉いー! そっち行っちゃだめだってー! 戻って来てよー」
ざわつくお向かいさん。橙色の髪をした付喪神が一際大きな声を放ち、かめきちを呼び戻そうとしている。おそらくかめきちの友達であろうあの神様は、私よりも幼そうな顔立ちをしていた。人間に例えると、中学生か高校生くらいだろうか。
「亀吉ー! かーめーきーちー!」
何度も何度も耳をつく叫びについつい辟易してしまう。
私ってそんっな危険人物に見えるわけ? あんなに必死でかめきちを呼んじゃって……別に何にもしないっつーの。いじめたり、襲ったりするとでも思ってるのかねー。それとも喰われるってか? スッポンは食べたことあるけど、そこら辺の亀に手を出すほど飢えてないし、食料に困ってないし。
心の中で刺々しい悪態をついて、こっそりと細い溜息をつく。ああ、いかんいかん、あいつらのことは気にしないに限るのに。はい目から神様シャットアウト。切り替えよ。
思いっ切り俯いて、視界に池しか映らないようにする。餌を頬張る錦鯉たちやぷかぷか浮いてる亀吉を無言で眺め始めた矢先に、私は不思議なものを見つけた。
──水中に揺れる、……筆?
「……ん? 何あ、わ、尻尾。尻尾が!」
一瞬筆のようだな、と思ったものは、かめきちの甲羅から伸びている。この子を初めて間近で見て、彼の尻尾が私の知る亀のものと異なっている事に気付いた。──毛、毛だ。毛がある。な、なんだあれは。あの尻尾は……!
「主様、以前申しましたでしょう? 『亀吉』はそんじょそこらの亀とは違うのです」
驚いたままかめきちの尻尾を凝視している私へ、擬宝珠に乗ったこんのすけがどこか自慢気にそう述べた。
「へえー、すごいねえ。毛の尻尾な亀は初めて見たわ。さすが神様の友達だねえ」
小さな亀の持つ毛の尾に私はただただ感心するばかり。刀剣男士なんぞより興味がわく。やばい興奮してきた。ギャラリーのうるささが気にならないくらい、好奇心が疼く。
「亀ちゃん、尻尾すごいねえ。毛が生えてるんだねえ。こんなとこまで来ちゃってどうしたの。神様が心配してるよ」
朱い欄干から身を乗り出して、かめきちへ矢継ぎ早に話しかける。小さな亀は池の水面にのっそりと顔を出し、つぶらな瞳で私をじっと見上げた。
一匹の亀と、一人の人間。私達はしばらく黙って見つめ合い、やがて自ずと声が出た。
「……泳ぐの気持ちいい?」
問うても返事こそかえってこないが、かめきちはゆっくりと瞼を開閉させた。たったそれだけの仕草だったけれど、なんだか瞼で頷いてもらえたような気がして嬉しかった。
──この亀となら、仲良くなれそうだなあ。
秋の半ば、十月の終わり。人間(神様)関係で前途多難な私にも、この本丸でこんのすけ以外に心を許せる存在ができたのだった。