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「はあ? 包丁の手入れ? それで手入れ部屋を使わせろって?」
忽然と現れた管狐の話を聞くなり、加州清光はうわずった声をあげた。
錆びた刃物の手入れ。それも、カボチャを切るために。──なんと気が抜けることか。
人間側に付いたこの管狐は己等を戦に使う交渉にでも来たんだろう、などと思っていたものだから、赤き瞳の付喪神は余計に仰天したのであった。政府の狐の申し入れは、出陣でも、遠征でも、内番でもなかったのである。
「ただの料理包丁の手入れのために式神を呼ぶか。……驚きだな」
半ば呆れている加州清光の隣、鶴丸国永は苦笑ともとれぬ笑みをうっすら浮かべ、微かに肩をすくめた。
「我が主は南瓜を使った夕飯を強く所望されているのです。今宵はどうしても南瓜料理を食したいそうで……『今日はカボチャの気分。カボチャしか食べる気しなーい!』、と、気炎を揚げておられます」
声音や口調を変えて放たれた台詞はわざとらしくて、女が聞いていたらむくれてしまうだろう。「こんちゃん、私そんなんじゃないし!」と。
管狐は離れの主人を想って口元を優しく緩めた。朗らかで気安い、陽だまりのような人間。楽天的で面倒くさがりのくせに根は真面目で、からかうと面白い。彼は己の主人が好きで好きで仕方ないのだ。
「おいおいこんのすけ、なんだ今のは。あの人間の真似か?」
誇張された口真似を聞いた鶴丸国永は、驚きと疑いが入り混じった表情を見せた。加州清光もどう反応すればよいのか分からないのか、微妙な顔で「えー……?」と、か細く漏らしている。
「はい。自分で言うのもどうかと思いますが、よく似ておりますよ。主様には決してお聞かせできませんがね」
ふさふさの白い毛に覆われた胸を張り、背後にひっそり目線を配る管狐。そこには、離れの戸口から心配そうに顔を覗かせている狐の主が居た。彼女は離れを飛び出した管狐の身を案じて表に出てきていたのだが、見張りの一期一振にひと睨みされ早々と後退していた。ただ、やはりかけがえのない相棒が気になるのか、すごすごと離れに引っ込みつつも、木戸の隙間や玄関先からちらちらと管狐たちの様子を窺っている。
「あの審神者って、そういう感じの人間なわけ? 想像つかないんだけどー」
加州清光は小難しげに口にし、頬を掻く。その長い指先に塗られた爪紅は所々剥げ落ちていて、赤と肌色のまだら模様になっていた。
十月の手入れで彼の傷は癒えたものの、爪を鮮やかに彩っていた塗料は元に戻らなかった。新しく爪を飾るにも、本丸御殿には小筆もなければ爪紅もない。おまけに、特にそうする必要もなかった。「可愛くしていれば愛してもらえる」と強く考えていた加州清光だったが、今の彼には愛して欲しい者も、可愛がって欲しい主もいないのだから。
「加州清光の『そういう感じ』がどのようなものかは分かりませんが、あの御方は少々頑固で、時折童子のようにムキになられることもあります。南瓜、南瓜、南瓜……今は大層南瓜にご執心なのです。昨日も『明日はカボチャを食べようね』と何度も仰られていました。私はその願いを叶えたい」
視線を付喪神へ戻し、管狐は笑いながらも想いを込めた声でそう言った。
「ふうん、カボチャ、なあ……」
鳴狐や一期一振、加州清光が解せんとばかりに顰めっ面をしている中、鶴の名を冠する太刀はやれやれというように瞼を下ろす。一見ひょうきんで気楽そうな仕草だったが、一呼吸置いてゆっくりと開けられた金の双眸は非常に研ぎ澄まされており、草地に座る管狐は鋭利な眼差しで容赦なく貫かれた。
「だが、それだけじゃないんだろう?」
疑う、というよりは、見透かしているような口振りに、管狐は微笑みを消す。さすが、永きを生き、数多の人を視てきた刀。
今の状況を楽しみつつも冷静に在る鶴丸国永は、管狐の裏の思考をそれとなく掴んでいた。
「はて、どういうことでしょう? 他に何かあるとでも?」
含みのある問いを受けた管狐は小首を傾げて芝居をうつが、鶴丸国永に「とぼけるな」と一蹴されてしまう。誤魔化し切れないと感取し、管狐は小さな溜息を吐いた。
「やれやれ。冴えた付喪神を相手にすると、隠し事も難しゅうございますねえ」
零して、もう一度溜息。鶴丸国永は追求の姿勢を崩さず、静かに目を光らせている。
狐の主は南瓜を調理できず確かに嘆いていた。けれど、「式神に錆びた包丁を直してもらいたい」とも「手入れ部屋を借りたい」とも言っていないし、思ってもいない。管狐が女の乗り気のなさなぞお構いなく錆の浮いた包丁の手入れを押し切ったのは、主人と刀剣男士が関わりを持てるように、と目論んでのことだった。
神々が手入れをされてもう数週間が経つ。怪我の完治した付喪神らは何をするにも事欠かないはずなのに、来る日も来る日も縁側から女を見張るだけ。誰一人として女と会話を試みようとしたり、関わろうしたりするものはいなかった。
前任の審神者の所業によってひどい人嫌いだといえど、これはいかがなものか。おまけに、彼らは未だに前任と狐の主人を混同させており、管狐はそれが気に入らない。
「御方々は我が主について何一つとして理解しておりません。以前忠告したにもかかわらず、まだ先の審神者とあの御方を同一視しているようで」
語勢を強めた管狐は場の四振りをぐるりと見回した。眉間の皺をより濃くした一期一振の瞳が、それがなんだ、と反発している。
「仕方ないさ、こんのすけ。俺達はあの男にそりゃあもう可愛がられたんだ。人間はほいほい信用できない。どうせ今居る審神者もアレと同じようなのだろう」
吐息混じりに投げやりな言葉を放った鶴丸国永を、政府の狐は厳しい目つきで咎めた。
「その『同じようなの』、の根拠はどこから出てきているのですか。どのような事象があってあの御方を『同じようなの』と称すのですか」
痛烈な指摘は止まらない。
「知ろうとも分かろうともしない癖に、己は全て悟っていると言わんばかりのその態度。まったく、愚者の極みでしょう? いくら辛い過去があったとはいえ、正直不愉快なのですよ」
付喪神が女の人となりを知ったうえで彼女を嫌うのならば、それはどうしようもない。刀剣男士にはそれぞれ違った気質、個性があり、狐の主との相性にも良し悪しがあるだろう。異なる自我を持つが故に、どうしても合う合わないは出てくるものだ。
──しかし。女の事を何も知らないというのに、ただ先の審神者と同種族というだけで毛嫌いしている神々の捉え方はこの上なく腹立たしい。
管狐は淡々と、けれど怒りを秘めた声で続ける。
「縁側からただ遠巻きに眺めているだけで、我が主を知ったつもりにならないでください。……手入れ部屋で──もっと近くであの御方を視て、あの御方の言を聴いて、あの御方の纏う雰囲気を感じていただきたいのです。その歪みに歪んだ眼の曇を払い、見定めてみなさい、我が主を。……内面を正しく知って尚厭うのであれば、もう何も言いますまい」
手入れ部屋での包丁の修繕は、刀剣男士らにより近くで女を判じてもらう良い機会になる。管狐はそう考えていた。
己と会話をする主人を見せつけ、女の呑気で気さくな性質を曝せば、少しは彼らの警戒心が緩むのではないかと。あわよくば、女が刀剣男士と言葉を交わし、歩み寄りのきっかけが生じないものかと。そんな心算が管狐にはあった。また、例の一件で付喪神を避け始めてしまった主人を慣らす目的もある。
「……言うなあ」
「どうすんの?」
「私は反対です」
「な、鳴狐は……」
「……」
四振りの付喪神と、一匹のお供の狐。彼らはめいめいの反応を見せたのち、黙り込んだ。
「御方々にとっても悪いばかりの話ではないと思いますよ。己の敵を間近で精察できるのです。あの御方に『悪』を見い出せでもすれば、この本丸から追い出しやすいでしょう? 『外道審神者を排除する』、という大義名分ができるのですから」
刀剣男士は各自胸中に様々な思いを抱き、物悲しい秋の夕日に包まれている。しばらく皆閉口していたが、やがて鶴丸国永が不敵な笑みを漏らした。
「面白い。俺はその話に乗ってもいいぜ。ただまあ、他の奴にも相談してみないとな」
「鶴丸……!」
「一期、言いたいことは分かるが、ここで即決するべきじゃあない。座敷に行こう」
目角を立てた一期一振をやんわりと宥め、白き太刀は「加州も。行くぞ」と傍らの加州清光を呼んだ。
「はいはい。あー、あんまりこじれないといいんだけどなー」
女に手入れ部屋を使わせるかどうか。どちらでもよい加州清光は、まるで人事のように独りごちた。
「……くっ」
粟田口の長兄は自身の本体を堅く握ったまま俯き、唇を噛み締め踵を返す。玄関へと向かう革靴の音が庭に静かに響いた。
「鳴狐とお供はこのまま見張りを続けてくれ。すぐ戻る、とは言えないが、そう遅くはならんさ」
縁側から去る一期一振の後ろ姿を見送って、鶴丸国永は口を開く。鳴狐が頷くと同時に、お供の狐が「分かりました!」と勢い良く声を張った。
「ああ、頼んだぞ」
気合充分なお供の狐へ笑いかけ、加州清光と連れ立って障子襖の奥に消える鶴丸国永。残された無口な打刀は、じーっとこんのすけを見つめている。小さな狐はその視線を気にすることなく、秋風で僅かに乱れた毛並みを直していた。言うつもりのなかった事を引っ張り出された以外は概ね予定通りであり、管狐にとってはまずまずの運びである。
「……それにしても、あの審神者殿は南瓜如きで騒がれるのですね」
お供の狐が鳴狐の背の裏からそろそろと出てきて、池の向こうに目をやった。開いた戸口から垣間見えるのは、離れの土間を右往左往している女。
「ええ。食べたい物にありつけないというのは、主様からすると大事件なのですよ。食い意地が張っておられるといいますか、食欲に対して素直といいますか──楽しいお人です」
管狐は口元を綻ばせ、愛しそうに目を細める。春先に来た新たな審神者は、もはや彼にとってなくてはならないものとなっていた。
「刀剣男士らは危険な人物だと誤認していますがね、あの御方は武術にも呪術にも縁がなく、頭が切れるわけでもありません。霊力だって多くない。平和な時代からいらした、戦を知らぬ方なのです」
「戦を、知らぬ……」
呟いたお供の狐の瞳は、見え隠れする人の子に釘付けになったまま。縁側に腰掛けている鳴狐も、いつの間にやら管狐から女へと眺める対象を変えていた。面具で顔の下半分を隠している彼は、狐の語った人の子へ少しだけ興味を持ったのだ。
「はい。あの御方が少々呑気なのは、そのせいかと。……空を泳ぐ雲を見て憩い、突然の雨に大慌てし、野菜や花の成長を喜ぶ──それが、我が主です」
しみじみと言い、こっくりと頷く管狐。
「……そうですか」
遠くの山並みに目線を逸らしたお供の狐は、やけに切なそうな、苦しそうな面持ちをしていた。
*
十五分、いや二十分か。
鶴丸国永と一期一振が縁側に戻り、話し合いの結果を管狐へ告げる。それを聞いて政府の狐は深々と頭を下げた。付喪神らの出した答えは、「可」だったのである。しかし、満場一致というわけではなかったのだろう。一期一振は強張った面をしており、いかにも不服そうだった。
「では、私はこれから離れへ帰り、主様をこちらへお連れ致します。見張りや監視はどうぞお好きに。ただし、主様が気圧されてはいけませんので、大人数は止めていただきたい。……そうですねえ、廊下や隣室に散らばるとしても、十から十五。我が主をよくよく観察したい方が多いのであれば、短い時間で交代をすると良いでしょう」
「おーおー、注文が細かい管狐だな」
鶴丸国永が呆れ顔で茶々を入れると、管狐は澄まして続ける。
「まだありますよ。主様へは不用意に近付かぬようお願いします。驚かせてはいけませんからね」
「驚かせるのは俺の専売特許なんだが」
「なりません。なりませんよ。あの御方とは一定の距離を保つように。もちろん、非礼な振る舞いはしないでください。先日のような白眼視や殺気も許しません。抜刀なんぞとんでもない」
「いや、おい」
「鶴丸国永、黙ってお聞きなさい。これは重要な事でして──」
自身を止めようとする鶴丸国永の声をピシャリと跳ね除け、政府の狐は雄弁を振るう。
途中で岩融や蜻蛉切、ソハヤノツルキも混ざったが、管狐は付喪神らが首を縦に振るまで必要性を説き、ついには見事己の要求を通したのであった。