雪解け - なんとはなしに

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 包丁研ぎが終わるまでの待ち時間。イ草の青々しい香りに包まれ、こんのすけと明日の晩ご飯の献立を考えたり、思いつくまま食べたい物を言い合ったり、次に植える野菜や花の話をしたりして過ごしていると。
「おや、亀吉ではありませんか」
 出し抜けに会話を切ったこんのすけの視線の先を辿れば、見知った亀がそこに居た。
 褪せた黄色の体に、灰色と淡い緑のふさふさ尻尾──亀の「かめきち」。刀剣男士の友人である。ちなみに漢字で書くと「亀吉」なんだとか。まんまじゃん。
「ん? あれ、ほんとだ。亀ちゃん」
 いつの間にか私のすぐ側までやって来ていた亀吉にびっくりする。それは本当に「すぐ側」で、少し手を伸ばせば難なく甲羅に触れることのできる距離だった。背後から忍び寄ってきたのだろうか。
 この小さな亀、結界を通れるようにしてからよく目にするようにはなっていたが、触ったり抱いたりしたことはまだないし、ここまで接近したのも初めてである。普段は池を泳ぐ姿を見かけるくらいで、接触らしい接触はない。
 こんなに近くに寄られても、こんのすけに言われるまで全く気付かなかった。亀吉には気配を消す特技でもあるのだろうか? ……うーむ、たぶんあるのだろう。神様たちも亀吉の脱走にはほとほと困ってるみたいだし、すごいなあ、亀ちゃん。
「びっくりしたー。いつの間に来たの?」
 尋ねてみるが反応なし。まあ、亀吉はこんのすけのように話すことができないそうなので仕方がない。それでも声をかけたくなるのは好意故か。ペットを愛でる心理に似ている気がする。
 眠たそうに眼を細め、のそのそと歩く姿はのんびりしていて可愛らしい。頭を撫でてやりたいなあと思ったところで、慌ただしい足音が遠く聞こえてきた。続いて、焦りを含んだ大声が響く。
「か、亀吉ー!」
 ……これは、亀吉の友人である橙色の髪の付喪神の声だろう。ほら。
 どたばたと近づいてきた足音は手入れ部屋の手前で止まり、振り向くと血相変えた一人の神様と目が合った。癖の強い明るい橙色の髪に、浅緑のくりっとした瞳。……ビンゴ。やっぱりこの子か。
 亀吉ってば、まーた刀剣男士の目を盗んでとんずらこいたのね。私に会いに来てくれた? のは嬉しいんだけど、これはあかんやつですわ。もちろん、亀吉単体ならウェルカムだよ。存分に愛でたいし仲良くなりたい。でも、「お友達(かみさま)」付きはちょっと、ねえ……。揉め事の種になりそうで面倒。
 っていうか、周りの付喪神は何やってたの? 亀吉がここまで来るの、見てたんでしょ。こっちに来ちゃう前に抱くなり掴むなりして止めればよかったのに。そうすれば、橙色の髪の子も慌てふためく事はなかったんじゃ。
 横目で周りの神様たちをチラ見するが、物言いたげなものも文句を口にするものもいない。無表情だったり険しい顔だったりと、顔色は様々だった。暗い紺色の髪の付喪神や白髪の付喪神なんかは、面白がるように目を細めている。各々こちらを静観しているようで、何やら変な雰囲気だ。
「あー、ほら、お友達が心配してるよ。あっちに戻らないと」
 空気を読み、小さな亀を仲間の元へ帰そうと話しかけるが、亀吉はとろんとした顔でじっと私を見上げたまま動かない。
 ……どうしたらいいんだ。ここに居ようとする亀吉の意思を尊重すべきか、私から亀吉を引き離したいあの子の思いに沿うべきか。
 考えあぐねた末、やはり今は私と一緒にいない方が角が立たないだろうという結論に至る。複数の刀剣男士の手前なので、尚更だ。できるだけあいつらを刺激したくないし、不快感を煽りたくもない。
「亀ちゃん、いい子だから。ね? みんなの所に帰りなよ」
 諭すように伝えてみるが、亀吉は呑気にふわあと大あくびをするだけ。私の言葉、分かっているのかなあ。口はきけなくてもただの亀ではないらしいから、通じているといいんだけど……。
 なんて、思っていたのに。
「わっ、亀ちゃん」
 なんと亀吉、正座を崩した姿勢でいる私の太腿によじよじと登り出したのだ。これには驚いた。
「亀吉っ」
 橙色の髪の子が叫ぶように亀吉の名を呼ぶも、小さな亀は私の膝の上でくつろぎ始めてしまっていて。
「亀ちゃん、だめだよ。降りて降りて、あっち行って」
 弱ったなあ。もう、なんか、情けない顔しかできない。誰かなんとかして。上手くこの場を収めてくれ。
「こんちゃーん」
 困った時の管狐。こんのすけに助けを求めると、彼はくつくつと笑って口を開く。
「亀吉も目が高い。主様の腿は居心地が良いですからね」
 なんでや! 違うやろ!
「ええー?」
 無念、助けは得られなかった。
 いや、ほんとどうしよう。あの子はまだ心配そうにこっちをガン見してるし、こうなったら亀吉を抱っこして手渡そうか。それか手入れ部屋の外にそっと出して、可哀想だけど襖を閉めるか……。
「浦島」
 戸惑いながら思案している私の耳に、涼やかな声が届く。
 ところどころ欠け、ひびの入った金の鎧を身に付けた刀剣男士が、橙色の髪の子の肩に手を置いた。藤色の長い髪が印象的な神様だった。
「蜂須賀兄ちゃん……」
 亀吉の友人は眉を八の字にして頼りなげに呟き、藤色の髪の付喪神の方を向く。そういえば、前々からこの子は「兄ちゃん」という単語をよく口にしているが、後ろの神様とは兄弟なのだろうか。……そうだとしたら、あまり似てない兄弟だなあ。髪の色も出で立ちもまるで違う。
 膝に亀吉を乗せたまま、二人の神様をハラハラして眺める。藤色の髪の刀剣男士は、どうも橙色の髪の子を戒めんとしているように見えた。詳細はよく分からないが、この行動には何か裏がありそうだな、と感じる。
 だってあの神様も、亀吉が結界を越えるとよく呼び戻しに来ていたのに。橙色の髪の子と一緒になって亀吉を連れて帰ろうとするのならば分かる。だが、なぜ今、あの子を制するような行動をとるのか。
 ……まさか、私は試されている?
「お二方、我が主は亀吉に危害を加えたりはしませんよ。そうでなければ膝なぞ貸しませんとも」
 私の隣に座っているこんのすけが穏やかな調子で言い、白と黄色の尻尾をゆらりと振る。脳裏を掠めた憶測は、膨らむことなく沈んでいった。
 でかしたこんちゃん、渡りに船。どうにかしてこの状況を良くしてくれ。
 期待を込めた眼差しを一心に向ければ、黒い双眸がきらりと光った。朱に縁取られた口がにんまりと笑みを作る。
「無論、取って喰うたりもしないでしょう。主様は好んで亀を食しません故。──スッポンはお召しになるようですが」
 えっ! ちょ、そんな誤解を招きそうな事を……。
「なっ、別にスッポンそんなに食べないし! それにスッポンは食用! 亀ちゃんは違うでしょ。食べない食べない。食べないから!」
 こんのすけからすると面白可笑しな冗談なのだろう。しかし間が悪い。悪すぎだ。
「違う。違うよほんとに。食べない」
 泡を食って全否定。ああ、「スッポン食べるなら亀吉も食べるんだろ」みたいな展開になったらどうしよう。この場で打ち首? 結界保つかなっていうかまさかのスッポンENDとか馬鹿らしいにも程がある。
 必死な私の傍らで小さな狐がころころ笑っているが、それを気にしている余裕はない。
「絶対食べない。亀ちゃんは食べないから」
 思い違いをさせてはいけないと思うあまり、声にも顔にも気迫がこもってしまった。そんな私の勢いに呑まれたのか、橙色の髪の子は浅緑の目をパチクリさせる。
「う、うん……」
 どもりつつも「うん」と言ってくれ、荒立った様相を見せない付喪神にほっと一安心。良かった……スッポンENDは免れた。
 一人安堵し微かな息を吐く。良かった。本当に良かった。ここで一斉攻撃なんか受けてたらと考えると恐ろしい。
「あ。……あー」
 焦燥感から解放され、平常心となった私を次に襲ったのは、気まずさだった。
 橙色の髪の子と藤色の髪のお兄さんは明らかに困惑している様子で、「なんだコイツ」といった目でじーっと私を見ている。その他の神様の視線も痛く、こいつらからしたら「何一人で喚いてたんだこの人間」って感じなのかもしれない。
「えーっと、まあ、そういう、事だから」
 寒々としたムードについたじろぎ、覚束ない声振りになってしまった。たぶん今の私、すっごく微妙なツラをしていると思う。
 ……。
 ……。
 ……。
 んんんん何この沈黙……気まずい。
 何か言おうか、こんのすけにヘルプを出そうか悩んでいると、橙色の髪の子の後ろに居る付喪神が藤色の長い髪をさらりと揺らした。
「行こう」
「……うん」
 えっ。……えっ?
 気まずさのあまりドギマギしている私をよそに、亀吉の友達とそのお兄さんは静かに移動を始めた。そして、十数人の神様が待機している隣の部屋の隅の方へ、二人して座り込む。何故かそこに居る付喪神はみんな真顔になっていて、裏の読めない目線が至る所から私に突き刺さっていた。
 なんなのこれ。なんで距離取られたの。何このビミョーな雰囲気。え、もしかしてドン引きされた? ドン引きされたの? こいつらに? 私が? うっそお。
 あいつらにドン引くことはあっても、ドン引きされることはなかった(と思いたい)し、ドン引きされるようなことをしたつもりはなかったんだけど──ええー?
 一人を大勢で威圧するような奴らに痛い子扱いされたっぽい事が密かにショックで、複雑な気持ちになる。
「ふむ。亀吉の自由にしても良い、ということですかね」
「……」
 とりあえずこんのすけはそこに直れ!

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