雪解け - なんとはなしに

50


 包丁を研ぐ、規則的に響いていた音が途切れる。待ち始めてもうそろそろ一時間が経つというところで、式神に動きがあった。
「主様、どうやら研ぎが終わったようですよ」
「え、ほんと?」
 こんのすけに言われ室内の中央を見れば、式神がこちらへ向かって歩いてきていた。赤子のように小さい手には、包丁の柄がしっかりと握られている。こびり付いていたあの赤錆が落ちたのか確認しようとしたが、刃の部分は布で包まれていてよく見えなかった。
「包丁、直ったの?」
 膝から亀吉を落とさないように注意しながら姿勢を正す。目の前まで来た式神は私を見上げてにっこりと破顔した。こんなに朗らかな面持ちをしているということは、錆びだらけの包丁をきちんと「直せた」のだろう。いやいや、すごいなまったく。
 晴れ晴れとした顔で手元をごそごそしている式神を見守っていると、彼は包丁を覆う布を悠然と取り去らった。
「わ、すごい!」
 現れたのは、錆一つとないぴかぴかの包丁。それは仄暗い中でもすぐに艶が分かるほど磨き上げられていた。日が沈んで少ない光源にこれほど反射をするとは……実に見事である。切れ味もさぞかし良いのだろう。これなら、あのカボチャもスパッと切れるはずだ。
「うわー、ありがとう! 大事にする!」
 年甲斐もなくはしゃぎ、差し出された包丁を受け取って礼を言うと、式神はうんうん頷いた。この小さな体でよくぞここまで仕上げたものだ。さすが刃物のエキスパート。
「ほう。これは見事ですね」
「ねー、ほんとすごいねえ」
 こんのすけに返事をしつつ、包丁を様々な角度から眺める。私は美しい刃にすっかり心奪われていた。
 本当に──本当に、素晴らしい。その滑らかな鉄の感触と冷たい温度に自ずと吐息が漏れる。右に傾け左に傾け照り返る光を楽しみ、あごや刃先をまじまじ見つめその鋭さに感心した。
「……綺麗」
 刃物を「美しい」と思ったのは、生まれてこの方初めてかもしれない。
「ねえ、こんちゃん、これ」
 すごいよね、と言いかけて、こんのすけが傍にいないことに気付く。蘇った包丁に長い間気を取られ、周りが見えなくなっていた。
 若干焦って周囲を見回すと、少し遠くで聞き馴染んだ声がする。
「ご覧になりましたか、御方々。あの包丁の輝きを」
 なんとまあ、こんのすけは隣の部屋で付喪神にちょっかいをかけているではないか。
「岩をも断ってしまいそうですねえ、石切丸」
「虎徹の真作に劣らぬ切れ味かもしれませんよ、蜂須賀虎徹」
「なんでも圧し切ってしまえましょうな。へし切長谷部」
「青銅の燭台さえも切れるとは思いませんか、燭台切光忠」
「鵺退治すら成し遂げられるやもしれませんねえ、獅子王」
「髭でも膝でもさっくり切れそうですよ。どうですか、髭切、膝丸」
 小さな狐は神々に声をかけながら尻尾をくねらせ、一歩一歩ねっとりと座敷を回遊している。抑揚の付いたあの声音は、彼が私をからかう時のものだ。間延びした話し方もそう。
 どうもこんのすけは、包丁と彼らの刀を比べる? ような事を言い、付喪神たちをおちょくっているようである。
 刀剣男士に逆上した様子はなかったが、かといって会話を楽しむ素振りもない。髭がどうとか言われていた神様は、「僕に髭は生えてないんだけどなあ」と笑っていたけれど。
 小さな狐の動向にポカンとしていた私だったが、これじゃあいかんと我に返る。
「ちょっとこんちゃん、あんまり神様おちょくらないの。包丁で岩とか燭台とか切れるわけないでしょ」
 今は大丈夫そうでも、これ以上放っておいて彼らの怒りに触れてはいけない。慌ててこんのすけを制止し、空いている手でおいでおいでと手招きする。
 こんのすけよ、あいつらに話しかけるのはいい。だが煽るようなことはやめてくれ。いくら昔からの仲だっていっても、コミュニケーションはもっと円滑にしようぜ。ひやひやするなあ、もう。
 私自身は付喪神とあまり関わり合いになりたくない。しかし、こんのすけにもそれを強要するつもりはない。何の変化があったのかは分からないが、今の刀剣男士はそこまでギスギスしていないので、小さな狐が神様たちと仲良さげに談笑していたのならば止めはしなかっただろう。……少々寂しいが。
「いえいえ、おちょくってなど」
「いいから。もう、ほら、おいで」
 包丁を持っていない手を差し伸べれば、小さな狐はにこにこして駆け寄ってきた。てのひらに押し付けられた頭を撫で、「怒られたらどうすんの」とひそひそ声で嗜める。私の懸念をよそに、こんのすけは可笑しそうに軽く笑った。
 ハラハラしてるのは私だけかい。んもー、心配してるのに。
「こーんーちゃーん?」
 ほんのちょっとだけムッとして、こんのすけの額を痛くない程度に人差し指でぐりぐり押す。ふと顔を上げると、廊下や隣の部屋の付喪神たちが皆こちらに顔を向けていた。特に、赤紫の縄らしき物を首に巻いている眼鏡の刀剣男士は、穴が空きそうなくらいに私と管狐を見つめている。あの神様、お仕置きでこんのすけのほっぺをびよんびよん抓んでいる時もじっとりとした視線を送ってきていたような……。
 無数の眼による集中攻撃を受け、やにわに居辛くなる。
 なんでそんなに凝視してくるんだろう。……ま、まさか私がこんのすけを虐めているとでも思っているとか? 冗談じゃない!
「あー、どうも」
 とりあえず愛想笑いを浮かべ、取り繕おうとしてみた。やつらの反応? ない! 失礼なくらいみんな固まってた。
 ……ああ、包丁片手に微笑まれてもホラーなだけか。そりゃあ固まりもするよね。
 だー、もう、すっごい気い遣う。

前へ  次へ

85