雪解け - なんとはなしに

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 兎にも角にも、包丁の手入れは無事終了。役目を済ませた式神は、深々とお辞儀をしたのちに白い光となって消えた。
 式神が包丁研ぎに使っていた道具も消え、室内は一気にがらんとなる。ちょっと寂しくなったけど、こんのすけが「また会えますよ」と言ってくれたので、次に会う時を楽しみにしておこう。あの子に会えるのならまあ、ここに来るのもそんなに悪くは……いや、悪いか。でも、絶対嫌ってほどじゃない。
 研いでもらった包丁は、それはそれはぴっかぴかで。うっかり触れるとなんでも切ってしまいそうだ。怪我でもしたらいけないと、移動の間だけ式神のくれた布を刃に巻き直すことにした。落としてしまわないよう気をつけなければ。
 旅行が終わってお金に余裕ができたら、丁度いい大きさの入れ物を買おうかなー。こんなに綺麗な包丁だ。高級感のある桐箱とか似合うと思うんだよね。
「よし。帰ろっか、こんちゃん」
「はい」
 さあ、用は済んだ。さっさと離れに戻って、カボチャ料理を作ろう。あー、六時過ぎちゃったからなあ……今日の料理はのんびりできないや。フルスピードでいこう。
 相棒の小さな狐と共に腰を上げ、膝に鎮座していた亀吉をそっと畳に下ろす。
 亀吉ともさよならか……ああ、離れがたい。名残惜しいなあ。亀吉もこっちに来ればいいのに──って、神様がいるから無理か。亀吉は好きだけど、さすがに友達と引き離すようなことはしたくない。というか、刀剣男士が許さないだろう。
「じゃあね、亀ちゃん。いつでも池に泳ぎにおいでね」
 返事の代わりにゆーっくり瞬きをした亀吉は、相変わらず眠たそうな顔をしている。つるつるの額を撫でてお別れをし、回れ右して手入れ部屋の外に出た。秋のこの時間、太陽はとうに沈んでしまっただろう。まだ真っ暗というわけではないが、下をよく見て歩かないと危ない。
「我が主は離れにお戻りになられます。御方々、道をあけなさい」
 小さな狐の一言で、廊下に佇んでいた数口の付喪神が散らばった。ほんと、こんのすけって頼りになるわ。ありがたい。私もビシッと「帰るから道あけてー」とか言えるようになりたいなあ。こう、ギロッとひと睨みして神様の群れを割ったり……あ、そんなことしたら即打ち首か? めちゃくちゃ反感買いそう。
「主様、薄暗いので足元にお気をつけを」
「うん、ありがとう。……どうも、お邪魔しましたー」
 さくっと一礼して、板張りの廊下を進もうと足を一歩踏み出す。
 と。
「待て」
 突如呼び止められ、驚きに思わず身がすくんだ。振り返れば、手入れ部屋の隣室で仁王立ちしている付喪神と目が合った。彼は見た目のインパクトが強い神様で、名は知らないがその存在はそれなりに覚えている。
 大振りの薙刀を小脇に抱えた刀剣男士は、なにせ背が高い。ざっと見ただけでも身長二メートルはあるんじゃなかろうか。こんのすけ曰く、彼は薙刀の付喪神で、その本体はかの武蔵坊弁慶が愛用していたものらしい。
「えっ」
 戸惑う心が声となって漏れる。長身の付喪神は真っ直ぐに私を見据え、大股で三歩、こちらに近付いてきた。暗がりに目を凝らせば、彼の髪と瞳が東雲色である事が分かる。薄いオレンジとピンクが混ざったような、幻想的な色合いだ。
「私?」
 自分を指差し確認すると、薙刀の付喪神は重々しく頷いた。彼はこんのすけではなく、私に何か言いたい事があるようだ。とても真剣な顔をしていて、どう見ても楽しい話をしてくる空気ではない。ただの挨拶でもないだろうなあ。
 私は何かやらかしたのだろうか。「どうもお邪魔しました」だけじゃ礼節が足りなかったとか? それともやっぱり人間(わたし)が気に入らなくて、ここで引導を渡そうとしている、とか。どうか暴力沙汰にだけはならないでほしい。
「……何?」
 無意識のうちに肩に力が入る。何を言われるのか、何をされるのか──ちゃんと対応できるようにしておかなければ。
 大丈夫、私にはこんのすけがいる。斉藤さんもいる。政府の助けだってある。大丈夫。大丈夫だ。
 自身の緊張をほぐすように心の中で「大丈夫」だと繰り返し、作務衣のポケットにある携帯を握る。いつでも取り出せるようにしておこう。何が起きても逃げてやる。こんなところで死にたくはない。
「おい、岩融」
 私に話を繰り出そうとしている大きな付喪神へ、待ったが掛かった。廊下の壁にもたれかかっている一振りの神様が、薙刀の彼に戒めるような視線を送っている。
「止めてくれるな、へし切長谷部。俺は、……いや、我らは人の子を見定めなければならない。安心しろ、これは振るわん」
 言って、大きな彼は己の得物を一瞥した。薙刀の付喪神はこの接触を止めるつもりはないようで、そして、私に名立たる凶器を向けるつもりもないようだ。
 あの凶刃を振るわないと聞き、ほんの少しだけほっとする。同時に彼の言った「見定める」とは何かを考え始めたところで、「うぬは」と話を切り出された。彼はよく通る声をしている。
「うぬは、我らに何を望む」
 肌が粟立つほどに重く、痛いくらいに真摯な声。大事なことを聞かれているのだな、と、それとなく感じた。この刀剣男士の鋭気に圧倒され、よく分からないプレッシャーに押し潰されそうだ。
「……のぞみ?」
 喉から出たのは、ぎこちない反復。
 ──「望み」。言葉は分かるが、漠然としていて即答できない。これといった答えも思いつかなかった。
 望み、望み? 私が、こいつらに?
 私の神々への望みとは、なんぞや。付喪神らにして欲しい事を考えてみても、パッと頭に浮かぶものは──ああ、あれがあったか。
 時間遡行軍の討伐。そのための出陣。私個人ではなく雇い主である時の政府の望みになるけれど、何も言わずにいるよりはいいだろう。それに、政府に雇われた「審神者」の私が「敵の撃破を望む」というのは、至極自然な回答になるはずだ。
「あー……えーっと、歴史修正主義者を倒す、ことかな? 出陣とか」
「それは時の政府の望みだろう。うぬ自身はどうだ。同じなのか」
 間髪を容れずつっこまれ、二の句が告げない。……見透かされていた。それらしいことを当たり障りなく言ったつもりだったのに。演技不足だったか。……いや、不足というより、急なことで演技などできていやしなかったのだ。
「え、や、私は──」
 どうしよう。
 焦って頭を回転させるも、うまい答えが作れない。考えても考えても思いつかないということは、彼らに対する私の望みなんてないのである。だって、実際そうだもん。
 神様全員の手入れが終わって三日後。ここに来て初めて泣いたあの日。神様たちへの私の気持ちは冷め切ってしまっている。もう以前とは違って仲良くなりたいと思っていないし、仕事関係以外では極力関わりたくない。
 私が一個人として彼らに望むものがあるとすれば、静かにそっとしておいて欲しい。それだけ。
 ……でもなあ、「ない」ってしれっと伝えるのも処世術としては良くない気がする。今後の流れを作るべく、ここは嘘でも媚を売っておくべきか? それとも虚飾なくきっぱり「ない」と言うべきか。
 困り果ててこんのすけに目で助けを求めれば、小さな狐はゆっくりと頷いた。私を落ち着けるかのような、私の全てを肯定するかのような仕草だった。
「御心のままに」
 穏やかな音が私の背中を温かく押す。思うがままを口にしてよい、ということだろうか。逡巡して、深呼吸をする。
 ──よし。少し気が引けるが、もう正直になろう。よくよく考えれば、彼は……いや、彼らは私の本心を知りたがっている。嘘を言うのは良くないだろう。先ほどのようにまた見透かされても困る。
「……私は、別に」
 大柄な付喪神へ向き直り、意を決して口を開く。近くにいる刀剣男士は皆、私と彼に注目していた。

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