雪解け - なんとはなしに

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「別に何も。して欲しい事とか、望みとか……あんまりない」
 ──言った。言ってしまった。はっきりと。申し訳程度に「あんまり」とつけてみたが、ないものはない。
 これがどう転ぶのかは分からない。しかし、少なくとも私は神様の問いに誠実に答えた。彼らがお気に召す答えではないかもしれないけれど。
「……何も?」
 不可解そうな、それでいて呆けたような声がした。そちらを見やると、口を半開きにした刀剣男士と視線が交わる。そう遠くない所で正座をしているその神様は、白へ仄かに緑を乗せたような色味の髪をしていた。緑というよりは白の方が強いかもしれない。短髪なのに前髪だけが長くて、顔の右部分が覆われている。
 やはり今日は、片目や顔半分が隠れた神様とよく会うなあ。
「うん、今のところは何も。……そりゃあ政府は刀剣男士に協力してもらいたい、敵を減らして欲しい、って考えてると思うけど、私個人としてはそうでもないんだ。黒い髪の子たちと約束してるから、神様に戦いに出てもらうつもりはないよ」
 いつもより心臓は多く脈を打っていて、緊張状態だっていうのに不思議と舌はよく回る。
「こんちゃんのおかげで生活にも困ってないし、出陣とか戦いとか──仕事の他に手伝って欲しい事は……うーん、ない、かな。だから、望みはなし」
 付喪神の反応が怖くてドキドキしていたが、彼らに立ち上がって襲ってくる気配はない。私と対峙している大柄な刀剣男士も、薙刀を構えることなくじっと佇立している。どの顔も比較的そんなに怒ってなさそうで、これなら激おこぷんぷん丸からの大乱闘、政府に避難、なんてことにはならないんじゃなかろうか、という感触を得た。
「黒い髪の子たち、というのは、鯰尾藤四郎、蛍丸、小夜左文字のことですね。主様は御方々を手入れする前、刀剣男士を戦に出さず、干渉しないという約束をかの刀剣らと結ばれました」
「そうそう」
 三口の名前は覚えていなかったが、こんのすけが言うのなら間違ってはいないだろう。
 小さな狐の補足にうんうん首を縦に振り、乾いた唇を舌で湿らす。
 この子が側に居るだけで安心感があった。こうやって一緒に対応してくれると、すごく頼もしい。
 大丈夫。大丈夫。落ち着いて、普段通りに振る舞うのだ。きっとできる。
「あれは、錦鯉に撒き餌をされている最中でしたねえ」
 気を張りすぎないよう意識している私へ、こんのすけは懐かしそうに声をかけてきた。錦鯉に撒き餌。秋のあの日のワンシーンを思い出し、懐旧の情に駆られる。ああ、緊迫感はどこへやら。小さな狐の柔らかい微笑に心が緩み、つられて口角が上がってしまった。
「あー、そうだったそうだった! あの時、手入れさせてもらえないって諦めて、橋で餌やりしてたんだよね。でも、あの子たちが来たから慌ててそっちに行って──尾黒怒ってたなー。餌をドバっと池に入れちゃったからかな?」
「どうでしょう。ひょっとすると、鯰尾藤四郎らに主様を盗られた、と焼いていたのやもしれませんよ」
「えーっ、それはないない。いくらなんでも錦鯉にそこまでの頭はないでしょ」
「いえ、主様の鯉は皆賢い故」
「そう? うーん、まあ確かに賢いは賢いよね。ヤキモチは焼かないと思うけど」
 尾黒も紅(べに)も、他の子も……みんな鯉にしては頭が良い(親バカ目線も含んでいるが)。いつでもどこでも私の声に反応して集まってくるし、手を叩いて呼べば大抵来てくれる。可愛い錦鯉たちだ。
 ……って、違う。違う違う!
 懐かしさと錦鯉への愛でつい盛り上がってしまい、付喪神をないがしろにしてしまった。大事な話の真っ最中だったのに。
 気まずくて口を噤み、こんのすけばかりを見ていた目を前に向ける。そこには、薙刀の付喪神が変わらず居た。威風堂々とした立ち姿には貫禄があり、見ているだけで身が縮こまってしまいそう。
「何も、か」
 刀剣男士の機嫌を損ねていないかハラハラしていると、薙刀の彼が短く言った。さっきよりも声量が少ない。……私の発言を訝しんでいるのだろうか。まあでも、イライラしたり、額に青筋を立てたりはしていないようでよかった。
「ん? うん」
 独り言なのか尋ねられたのか定かではないが、ひとまず頷き返す。
「話の途中だというのに無視をするな、無礼者。斬ってくれるわ!」みたいな事になっちゃってたら、もう謝って逃げるしかないもんなあ。
「……本当に、何にもないの?」
 部屋の隅から飛んできた声は、藤色の髪のお兄さんと隣り合わせで座っている亀吉の友達のものだ。明るい橙色の髪をハーフアップにしている刀剣男士は、眉をひしゃげて何やら複雑そうな表情をしている。
「え? う、うん」
 三度目の「何も」に胸中がざわつく。しっかり頷きつつも、僅かに動揺していたために声がつっかえてしまった。
 えーっと、なんだろう。どうしてこう「何も?」って聞き直されるのかな? こんなに繰り返されると、裏を疑っちゃうというか、何かあるのかなって考えちゃうというか……。単に私の言うことが信じられないのかなー。
 ……もしや、「何かあって欲しい」、なんて、心の奥で思ってたりするとか。いやそれはないか。都合良く捉え過ぎ。
 それはそうとして、このやり取りが続くのには困る。何回「何もないのか」って聞かれても、私の答えは「うん」しかないんだもんねえ。不毛な応酬でしかない。
 どうすればよいものか迷っていると、左前からくぐもった声がする。言葉を成さぬそれは、考え込むような音をしていた。
「何もないときたか」
 またかい! そう、何にもない。何にもないんだって!
 薙刀の付喪神の手前、胡座をかいて座っている付喪神が、顎に手をやって呟いた。襟足の長い髪は白銀色をしていて、おそらく光沢があるのだろう。この暗さの中でも、時折光がちらついて見える。
「……うん」
 どうしよう。やっぱり「うん」しか言えない。
「無限ループにはならないでくれ」と祈りながら、私は錆び付いた機械のように首を縦に振るのであった。

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