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「ぐっ、重っ」
終盤を迎えた服の取り出し作業。篭手や甲冑の一部など重い物も結構な数あったが、今まさに引っ張り上げた朱色の胴鎧も小さいながらにずっしりとしていた。
腕をぷるぷるさせて重量のあるそれを縁側に置けば、ゴトン、と鈍い音が立つ。同時に、傍らのこんのすけが息を呑んだ。
「──それは」
「ん?」
どうしたのかとそちらへ目を向けると、小さな狐は深い悲しみの色を眉間に漲らせていて。
「……──の、胴鎧」
遠くで誰かが呟いた。よく聞こえなかった部分は、「あきた」か「あきな」か、そんな言葉だった気がする。
この朱い胴鎧を葛籠から出した事により、私を囲む神々に異変が訪れていた。二十もの刀剣男士は皆一様に固く、沈痛な面持ちで視線を落としていて……。私をひときわ嫌う水色の髪の付喪神に至っては、ひどく鬱々とした、それこそ「明日で世界が終わってしまう」とでもいうような顔つきで胴鎧を見つめている。
……どうやらコレには何かあるらしい。
感付いたところで、小さな狐がすうと息を吸った。
「主様、衣装を求むる際、葛籠へいかように念じられましたか」
「え? うーん、普通に『刀剣男士の服』って」
答えれば、こんのすけは髭をピクリと動かし、緩慢に相槌を打つ。
「なるほど」
何が「なるほど」なのか私には皆目見当もつかなかったが、彼の中では合点がいったようだ。
「『ここに在る』と限局されていなかったのですね……申し訳ありません。私が初めに申し上げていなかったばかりに」
謝罪をされても、状況の把握ができていない私には受け止められなかった。「なんで?」「どうして?」頭に浮かぶのは、はてなマークばかり。
何が起こっているのかちっとも掴めていないけれど、普段は気楽な脳みそを使い、分析をしてみる。情報は決して多くないが、キーワードはいくつか出てきているはずだ。
この胴鎧に何かあるのは感じ取れた。小さな狐と神々の様相を見るに、その「何か」は悪い事なのだろう。
こんのすけの言葉を一考すると、私が朱い胴鎧を取り出せたのは、「ここに在る刀剣男士の服」という縛りをかけていなかったから、ということになる。となれば、私はここに居ない刀剣男士の服まで出してしまった──のではないか?
私の就任先であるこの空間には、現在確認されている刀剣男士のほとんどが揃っている。それは前もってもらった政府の資料に書いてあった事で、管狐にも同じように聞いていた。
真新しい胴鎧……これは、「ここに居ない」刀剣男士の防具なのかもしれない。そして、この胴鎧を付けるはずの神様がここに居ない訳は──何か悪い事があったから? ……この空気だ。ただただ不在なだけには思えない。
冷たい夜風が柔らかく通り抜け、急に静けさを感じた。虫の声や葉の揺れる音が、遠い。
……聞いても、よいのだろうか。
逡巡しつつも、自ずと口は開いていた。
「これ、何かあるの?」
聞いた直後、慌てて「言いたくないならいいよ」と付け加える。この胴鎧にどんな曰くがあるかは知らないけれど、言い辛い事を無理やり話させるつもりはない。
思案しているのか視線を彷徨わせる狐だったが、そう遅くないうちに答えを返された。
「……離れに戻り、お教えしましょう」
「ん……わかった」
憂いを湛えた黒の瞳は翳っており、この後彼から伝えられるであろう内容が深刻なものであることを悟る。
「御方々、よろしいですか」
こんのすけは晴れない表情のまま場に居る付喪神をぐるりと見回した。
秋の夜、侘びしげな静寂になぜか心が締め付けられる。過去、朱い胴鎧を着ていた神様に、何があったというのだろう。彼らは何を抱えているのだろう。
沈黙の支配する庭に冷たく緩やかな風が何度か吹き、障子襖の裏からゆらりと人影が現れた。
縁側に面した座敷に潜んでいたのは、女性的な着物を身に纏い、髪を結った付喪神。その姿をひと目見て女かと思ったが、胸板は厚く、乳房はない。やはり刀剣「男士」のようだ。
「勝手にしなよ。みんな、いいよね? ……あの事を話しても話さなくても、あの子は帰って来やしないんだ」
重い。心が鉛の沼に沈んでしまいそう。
──「あの子は帰って来やしない」。そのフレーズはぐっさりと私の胸に突き刺さった。なんて意味深で、哀しい台詞なんだろう。
見上げるような上背の神様は、身の丈ほどもある大きな刀を腕に抱いていた。彼の問いに異議を唱えるものはおらず、どうやら朱色の胴鎧について──正しくは朱色の胴鎧を来ていた刀剣男士について、私が聞き及んでもいいらしい。
「……次郎太刀」
小さな狐の囁きが薄闇に溶ける。途方もなく切ない声音だった。
こんのすけは女装? の神様へ何か言いたそうにしていたが、いきなり目を剥き、背筋を伸ばす。そうして、辺りをきょろきょろし始めた。思い出した大事なものを探すように。
「──一期……一期一振は」
うわ言みたいに呟いて、水色の髪の神様の方を向く管狐。柱の手前にいる付喪神は、沈黙を保ち苦悶に染まった顔を背けた。険しい表情は、怒りを抑えているようにも見える。
「……っ」
傍らの狐は息を凝らし、朱に縁取られた唇を震わせた。けれど、音は出てこない。
何か言いたいことがあるのか。言いたくても言えないのか。悩んでいるのか、迷っているのか。
不確かな憶測が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。まもなく、見守っていた大切な相棒はゆるゆると長い息を吐き、「主様」と私を呼んだ。
「さあ、衣装を出しましょう。もう数口分で終いです」
脆い微笑、陰の残る声、淋しげな瞳──切り替えは不完全だった。
普段通りを装おうとしているこんのすけが痛々しくて、胸が苦しくなる。どういう理由であれ、この子が辛い思いをするのは嫌だ。
「……その前に、それを仕舞わなければなりませんね」
歪んだ笑みの悲愴さに、身が引き裂かれるくらいの衝撃を受けた。
「こんちゃん……」
そんな顔をしないで。心を傷めないで。
無性に抱きしめたくなった。小さな体まるごと腕の中に閉じ込めたい、そんな情動。
力になりたい。励みになりたい。しかし、過去のいきさつを知らぬ私が、この子に寄り添えられるのか。間違っても軽率な慰めはしたくなかった。
暗い気持ちで朱色の胴鎧を葛籠へ戻し、「それでよいのです」と苦笑いしたこんのすけの頭を撫でる。できることなら、悲しみの原因をなくしてあげたい。審神者の力でもなんでも使って、この子を苛ませる問題全てを解決できたらいいのに。
己の無力さを感じながら作業を再開させ、小中学生サイズの衣装を淡々と出していく。小さな狐は明るく振る舞っていたけれど、縁側に漂う陰鬱さは消えない。
長い縁側にひしめく、神々の服や履物。最後の一つを取り出すまで、そう時間はかからなかった。