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「じゃあ、脱いだやつで着ない物はこの葛籠に放り込んどいてね。……それ、後で取りにくるから」
服を寄せて空けたスペースに、ゴミ捨て用の四次元葛籠を置く。一面に広がる服や防具で、縁側の床板はほとんど見えなくなっていた。
……ほんっと、この数時間で色々あったなあ。手入れ部屋の片付けに、包丁の手入れに、亀吉に、望みがなんちゃら──……ともあれ、衣類の取り出し作業も無事に完了して良かった。これでやっと帰れる。晩御飯が作れる。
さあ、帰ろ帰ろ。
肺に溜まっていた空気が吐息となってふーっと漏れた。朱い胴鎧の件でどんよりしていた気分も、開放感で少々緩む。といっても、胸の中のもやもやが払拭されたわけではない。悲しそうにしていたこんのすけの事が気がかりだ。今日はうんと優しくして、甘やかせてあげよう。
手下げ提灯で足元を照らしてくれているこんのすけは、もう辛そうな顔をしておらず、いつもの穏やかな表情で私を見上げている。……どうしてこんなにも、この子は健気なのだろう。
濃い哀愁に覆われているであろう小さな狐の心を思い、回れ右をしようとすれば。
「オレは着ねえぞ。どうせ、それぜーんぶ呪(しゅ)がかけられてるんだろ?」
突如、左方から尖った声が飛んできた。吐き捨てるかのようなそれの出所へ目をやると、黒い長髪の付喪神と視線がぶつかる。和装の彼の隣には別の神様が居て、二人は揃って体ごと顔をこちらに向けている。
しゅがかけられてるんだろ。その言葉の意味が理解できず、呆気にとられてしまう。
しゅがかけられてるんだろ。しゅがかけられてるんだろ。しゅがかけられてるんだろ。……──だめだ、反芻しても呑み込めない。
「はあ? しゅ?」
頭をこんがらせたまま口にして、ふっと、いつかの記憶が蘇る。
ああ、もしや、「呪(しゅ)」か、呪なのか。その単語には聞き覚えがあった。確か、あれは夏のこと。前任の審神者は神を苦しめるほどの呪術を扱っていたと、こんのすけが言っていた。
しゅ、は、呪。……では、この刀剣男士は「私(人間)が何かしらの呪いを衣類にかけている」と思ってるのか。……うーん。
現代日本に生まれ、一般家庭で育った私の呪いに関する知識といえば、丑の刻参りくらいである。あとは消しゴムに好きな人の名前を書くおまじない。小学生の頃よくやったなあ。
「あー、前の審神者さんは呪術? が使えたんだっけ。……でも、私にはそんな力ないよ? 誰かを呪った事なんてないし」
事実を伝えたのに、一も二もなく「嘘つけ」とねめつけられた。取り付く島もない。
「てめえがかけてなくても、政府が何か仕込んでるんだろ」
「兼さん、やめなよ」
縁側に面したいくつもの部屋、その中の一つに居る二人組。
襟足の跳ねた短い黒髪の付喪神が、高圧的な態度の神様を宥めようとしていた。朧げな灯りで顔の細部はあまり分からないが、成人男子よりも幼い──中高生くらいの男の子に見える。背も長髪の刀剣男士より低い。彼らには二十センチほど身長差がありそうだ。
『政府が何か仕込んでる』
長髪の神様の言葉に、もしかすると彼らは人間不信だけでなく、政府不信もあるのでは、という心証が芽生えた。まあ、政府関係者も「人間」なので、信じられないのは当たり前のかもしれないけれど──これはますますややこしそうである。「お前がしてなくても政府がやってる!」って、このパターンを他の事柄でも適応されたらどうしよう。……すごく面倒だ。
人嫌いでも、せめて「時の政府」という組織自体への敵対心が薄ければ──政府を盾にあれこれできた可能性があったのに。……ああ、時の政府を信用できていたなら、今まで派遣された人を追い払ったりはしないか。前の審神者のトラウマが強くて、やっぱり人間も政府も憎んでるんだなあ。
「馬鹿げたことを」
手下げ提灯を口から放したこんのすけが、私の足元で鼻を鳴らす。言い方は少々きつくとも、中身には同意する。
──ほんと、くだらない。
衣装に呪術。その目的たるや、いかに? 昔、人にひどい目に遭わされたせいで難しいのだろうが、感情論抜きで考えて欲しい。協力を得ようとしている相手へ、何故呪いをかける必要が? 服従させ、意のままに操るためだとしても、私にも政府にもデメリットの方が大きそうなのに。だいたい、他者を力づくで従わせるなんてしたくないし、趣味じゃない。
というか、呪いをかけたり、神様をどうこうしたりする能力なんぞ私にはないのだ。時の政府や他の審神者がどうだか分からないけど、私にはできません。
「おい」
心の中で悶々としていると、えらくぞんざいに呼ばれた。黒く長い髪の付喪神の目線は小さな狐でなく私へ向けられたままなので、彼は気に食わない人間に突っかかりたいのだろう。
「……何?」
御殿の軒下に立つ私と対峙している長髪の神様は、堂々とした歩き方で縁側と座敷を線引く敷居付近までやって来た。夜闇に隠れていた表情が、提灯の火で浮かび上がる。彼の斜め後ろにいた短い黒髪の子も一緒に出てきたようで、心配そうに長髪の付喪神を仰ぎ見ていた。
長い髪に高い身長の彼は、片手を腰にあて意地悪く口角を上げた。
「呪いがかかってないなら、着れるよなあ?」
この流れで、この口振り。
お前が着てみろ。彼がそう言わんとしている事は容易に察知できた。
内心むっとしたけれど、ここでムキになってはいけない。
「わかった」
呪いなんて、私はかけてない。政府だってきっとそうだ。
揺るぎない自信のあった私は、黒い長髪の神様を臆することなく見据え、しっかりと頷いた。