雪解け - なんとはなしに

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「んだと!? こんの、政府の犬が!」
「犬ではなく狐ですよ。お間違いなきよう」
「て、てめえ……!」
「もう、いい加減やめなよ兼さん」
 まだやいのやいの言い合っている長髪の付喪神とこんのすけ。
 羽織の持ち主はヒートアップしているようだが、小さな狐はそうでない。楽しげに笑い、わざと煽るようなことを言い、相手の反応を見て──たぶん、あの刀剣男士をからかって遊んでいるのだ。
 口喧嘩のような事をしている一人と一匹からは、陰険さというか、不穏さというか……強い負のオーラは感じないので、気にはなるけど放っておくことにしよう。さすがに色々あり過ぎて疲れた。
 きっと大丈夫。誰かが刀を振り回すような大騒ぎには発展しないだろう。私が間に入らずとも、長髪の彼の隣にいる付喪神がちょいちょいブレーキをかけてくれているし、こんのすけも本気じゃない。引き際は分かっているはずだ。そのうちやり取りを止めてこちらに戻ってくると思う。
 ……はあ。
 人知れず、深い溜め息が出た。気力も体力もずいぶん消耗してしまっている。体も気分もずっしり重い。
 半端ない疲労感に肩を落とし、何気なく振り向けば、池の周りを囲む丸裸の桜の木が目に入った。私の後ろに居た、首に縄を巻いた付喪神は、どこかへ行ったのか姿を消している。
 幹の太い、立派な桜。両手で葛籠を持ったまま、吸い寄せられるように一歩、二歩と進んでいく。冷たい夜の空気がちくちくと肌を刺した。
 やがて木の下まで辿り着き、ゴツゴツとした樹幹に右手を当てる。葛籠は脇で抱えた。少々無理な体勢だが、できないことはない。不恰好だけれど。
 夜空に聳える桜の木が、池を囲むように十数本。適度な間隔をもたせて植えられている。三月に土地全体を浄化していたというのに、これらは今年の春、花を咲かせなかった。蕾すら付けなかった。
 こんのすけは来年にはきっと咲くって言ってたけど……さあ、どうかな。次の春、お花見できるかなあ。できないと困るよなー。一応目標にしてるし。
 桜の未来を案じながら、自分の力を送り込んでみる。とうの昔に穢れは祓っていたものの、これで桜の木が元気にならないか、来年花を咲かせてくれないかと思っての行動だった。
 一本終わって、また一本。「冬を越したら咲きますように」と祈り、目には見えない力の流れを木々に満たしていく。池の向こうの桜へも、もちろん忘れない。
 審神者となって数ヶ月が経ち、この不思議な力の扱いにはずいぶん慣れた。遠隔操作もお手の物だ。
「……ねえ」
 急に声が聞こえて、身が竦む。音との距離は近い。半ばぼんやりとしていたため、驚いてしまった。
 後ろを向くと、小柄なわりに大きな刀を背負った付喪神の姿があった。吊り目がちなクリっとした瞳が上目遣いで私を見ている。見覚えのある子だ。
 この神様は、そう、大太刀の刀剣男士──明るい灰色の髪の子。夜闇で陰ったあの目の色は、春に萌え立つ新芽に似た黄緑だったと記憶している。
 灰色の髪の子と私の間は二メートルかそこら離れていて、一瞬、あの子は誰に話しかけたのかな、と考えたが、今現在桜の木の周辺には私しかいない。彼の視線は未だ私に注がれているので、自意識過剰などではなく、私に用事があるらしい。
 この子が話しかけてくるなんて、何事だろう。人嫌いな神様からの接触自体が珍しいっていうのに。
 懐かしい声だなあと昔を思い起こす。青い髪の子と違い、この子の姿は度々目にしていたが、こうやって言葉を交わすのは久しぶりだ。
「何?」
 幹に這わせた手は外さず、体の向きだけ変えて返事をした。すると、灰色の髪の子は視線を逸らしてぶっきらぼうな声をあげる。
「っ、べ、別に。なんでもない」
 話しかけてきておいて、なんだそりゃ。冷やかしか?
 訝しんで眺めていれば、彼は革靴に包まれた足先で小石をいじり始めた。なんでもない、と俯きつつも、この場から離れないのはどうしてだろう。──何か言いたいことでも?
 しばらく動向を窺っていたが、灰色の髪の子はちっとも口を開かなかった。
「なんでもないなら、なんであっちに行かないの」と、そういった事は思っていても言わない。私には故意に食って掛かるつもりも、意地悪をするつもりもないのである。
 背後の気配にアンテナを張りながらも、あえて黙って作業を再開する。次の木で最後だ。
 どうか、咲きますように。
 立ち並んだ桜が一斉に咲き、淡桃の花弁が空に満ちる光景は、きっと素敵だろう。ここの樹木はこんなにも壮大なのだ。
 咲いても綺麗、散っても綺麗。夏に茂る葉も爽やかで、秋には紅葉も味わえる。ずっと前にこんのすけも言っていたが、桜は四季で楽しめる良い木だ。
「何、してるの?」
 また、声をかけられた。なんでもないと言っておきながら、「何してるの」、なんて。
 変だなあ。面白いなあ。そんな感想を抱き、腰を捻って後ろを向く。そこにはやっぱり灰色の髪の子が居たのだけれど、私の視線はその後ろの──縁側に絡め取られた。
 軒下や縁側に集った神々がこんのすけと何やら話をしている。怒号は聞こえないし、誰も怒った顔もしていない。……しかし、賑やかだった。一人の神様が何かを言って、どっと笑い声があがる。みんな、穏やかに破顔していた。小さな狐と長髪の付喪神の諍いには、収拾がついたのだろう。
 燦然と輝く絆が見えたような気がした。
 彼らの過去を知らぬ、彼らと共に在らぬ私には、踏み込めない空気。刀剣男士と管狐だけの間にある、繋がり。
 少し離れただけなのに、縁側の喧騒は遠い。一つの温かな家庭を窓の外から眺めているようだった。……どうしようもない疎外感が、不気味に嗤って這い寄ってくる。
 ……ざりっ。
 すぐそこで土の擦れる音がした。活気のある縁側から目線を外すと、吊りがちな双眸と目が合う。
 兵隊が被るような帽子をちょこんと頭に乗せ、どこかのお坊ちゃん学校の制服みたいな服を着た男の子。
 そうだ。私はこの子にまた話しかけられたのだった。
「ああ、ごめん。桜に力を使ってみてたんだ」
 あっちに気を取られてせいですぐに返事ができなかったなあ。悪いことをした。
「……桜に?」
 どうして? と言わんばかりに小首を傾げた付喪神。それは幼い外見相応の仕草に見えた。神様とはいえ、この容姿で今の動きをされると、ただの子供のように感じてしまう。実にあどけない。
「ここの桜、浄化しても咲かなかったでしょ? 来年は咲くといいなって思って」
 ぽんぽんと幹を軽く叩き、樹上を仰ぎ見る。一枚の葉もついていない枝に、どことなく寒さを掻き立てられた。
「……ふうん」
 微かに聞こえた気のない返事。
 わざとそっけなくしているのか、興味があまりないのか、吟味しているのか──後ろにちらりと目をやると、大きな刀を背負った彼も、桜の木を仰いでいた。
「まあ、こんなコトしても咲くかどうか分かんないんだけどねー。来年、お花見したいんだ。こんちゃんと二人で」
 私のささやかな目標。夢というには小さすぎる、春への憧れ。
 再び上を向き、まだ見ぬ桃色の花弁へ思いを馳せていれば、遠方から誰かが声を張った。
「おーい、蛍ー」
 明らかな呼び声に振り向くと、灰色の髪の彼も首をねじってあちらを見ているようだった。
「蛍、そないなとこで何してんの。はよう戻り」
 濃くなりつつある闇に目を凝らし、呼び声の出処を識別する。あれは、こんのすけと嫌味の応酬をしていた眼鏡の神様だ。
 あまり良くない印象がついてしまったからか、あの付喪神とはできるだけ関わりたくない。面倒くさそう。
 頭の中で満開となっていた桜が一気に散る。膨らませていた夢への熱が、冷めてしまった。
「ほら、早く戻ったほうがいいよ」
 現実に引き戻された私は、灰色の髪の子に淡々と告げる。寒さにかじかむ耳が、息を呑む音を拾った。
 ゆっくりとこちらを向いた幼い顔が歪んでいる。眉はひしゃげ、唇は真一文字──……私の脳はそれを、「悲しそう」だと認識した。悲しいことなど何も起きていないだろうに、それでも私は、あの表情を見てそう思った。
「蛍ー」
 更なる呼び声に、灰色の髪の付喪神は踵を返す。どうしたの、と尋ねる前に、彼は走り出してしまった。そして、何度も何度も私の方を振り返る。
 人間のことが嫌いなくせに、どうしてそんなに名残惜しそうなの。複雑そうな顔をしているの。
 ぽっと生まれたこの疑問に、いったい誰が応えてくれるというのだろう。
 ──心がぐっちゃぐちゃに混ぜられたような気がする。ついさっきの出来事をもとに、予測や仮想が何個か出てきたが、どうしてだか、深く考えたくなかった。

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